第238話荒療治2

『そろそろ意地を張るのを止めないと本当に死んじゃうよー』


 真っ白い空間で目覚めたジンに、ラグナが愉快そうな声で話しかける。


「うるせえ」


 ジンはそんなラグナを睨みつける。だがラグナの言葉が正しい事も彼は理解していた。


「……あいつは一体なんなんだ? お前の使徒だろう? なぜ俺を殺そうとするんだ?」


『あはは、その質問に意味があるのかい? 君、僕が何を言っても信じないだろ?』


「……」


 ラグナの言葉にジンは黙る。彼の指摘通り、ジンはラグナを信じていない。その口から紡がれる言葉全てには悪意が込められている。信じるにはあまりにも危険だった。


『悲しいなぁ。僕はこんなに君の事が大好きなのに』


「ペットとして、か」


 それを聞いて一瞬目を丸くしたラグナはすぐに満面の笑みを浮かべた。


『あはは、よく分かっているじゃないか』


 そんなラグナを見て、ジンは舌打ちする。


『まあ、信じてくれなくてもいいけど、ソール・クリーガの事だったね。彼女は……そうだね、僕の使徒の中でも君を除けば1番のお気に入りだったと言えばどんな子か想像出来るかな?』


「つまり、一番狂っているって事か」


『その通り! 使徒になったばかりの時にいろいろ訓練を受けたんだけどね。あ、君よりも過酷なものではないよ。だけど心が弱かったんだろうね。殺人訓練の時に彼女の手で恋人とたった1人の家族だった、まだ10歳の妹を殺させてから壊れちゃったんだ。それでもある程度の力を得たから、適当な任務を与えて人界に送り込んだんだよ。面白くなると思ったからね』


「クソ野郎が」


 ソールの背景を聞き、不快な気分に包まれる。


『まあ、残念ながら人界で大暴れするかと思ったのに、意外と理性的に行動するもんだから退屈してたんだけどね。でも君がエレミア砂漠に来てくれたおかげで楽しくなってきた。責任感の強い子だから、君の事を伝えたらどうにかしてくれると思ってたんだけど、まさか拷問を始めるなんてね。しかも君じゃなければとっくに死んでいるような凄まじい拷問をね』


「……なぜ俺は死んでいないんだ?」


 確かにソールは傷を癒す。しかし、彼女は傷を癒すだけで失われた血液を満たしている訳ではない。つまり、ショック死を耐えられたとしても、失血死は免れないのだ。それなのにジンはまだ生きている。その質問にラグナは小馬鹿にしたように笑う。


『あはは、気づいているくせに。それは君が無意識下で無神術を使っているからだよ。忌むべき力だなんだと言っても、結局は生き汚く生き延びる為に利用できるものはなんでも利用する。まさに僕が望んだ通り、君は生きるのに必死な醜く汚れた【人間】そのものだ』


 ジンの顔が怒りと恥とで赤くなる。ラグナの言う通り、ジンは心のどこかで気づいていた。自分がなぜ生きているのかなど、理由は一つしかない。しかし無意識的に術を使うというのは、生まれながらに術を扱えたもの達とは異なる彼には困難な芸当のはずだった。


 例えば火法術には深く思考せずとも発動そのものは小さな子供でも出来る『火花』という、火の粉を少しだけ周囲に撒き散らすだけの蝋燭に火をつける事しか出来ないような単純な術がある。無神術は創造と破壊の力であり、原理は違っても同じ結果を生み出す事ができる。しかし、後天的に力を獲得したジンには、そんな術でさえ無意識下で発動する事が出来なかった。


 それが今になって、無意識下で、それも自分の表層的な意志に反して自分を救う為に血液の補充をしていたのだ。ある意味ではソールの荒療治は正しかったと言えるだろう。無神術の無意識発動は大きな可能性を彼に与える。複数の術の同時展開や、より完成度が増した攻防一体の攻撃も可能になるはずだ。


 だがそれはジンの望みではない。ラグナから与えられた力を忌むべきモノと定めて拒絶したのに、自分の命が危険になった途端に無意識であっても利用したのだ。自分の覚悟に自分で唾を吐いたようにジンは感じた。


『君は僕が生み出した最高傑作……は言い過ぎだけど、お気に入りだ。何よりも僕が気に入っているのは君の愚かな所だけど、それと同様に、どんなに間違っていても決断する君の精神性も好きなんだ。そんな君は少しでもシオンを救う可能性が出てきたなら、くだらない意地なんて捨てるって信じているよ』


「俺は……」


『そもそも、君、もう僕の力を使わなきゃまともに生きられないぜ? それで本当にいいのかい? 目的の為ならどれだけ疎ましくても力を使わないわけにはいかないんじゃないか?』


「俺は!」


 ジンは必死に何かを言い返そうとする。だがラグナはそんな彼の機先を制し、何も話させなかった。


『君が何を決断するのか、天界から見させてもらうよ。期待しているから僕を楽しませてくれ』


 その言葉が耳に届いたと同時に、ジンの意識は覚醒した。


〜〜〜〜〜〜〜〜


「うぇっ、ソール隊長の趣味は相変わらずとんでもないっすね」


 20代後半の外見をしたエルフの男が目の前に磔にされたジンの体を眺める。ソールが所属するミレス戦士団第一部隊ではなく、拷問、暗殺などを主目的とするシカリスという暗部組織に所属する男が独り言ちる。


「あの方、拷問好きなくせに下手なんすよ。こんな状態の人間をどうやって生かせっていうんっすかねぇ」


青年はジンの様子を観察する。すでに四肢はなく、それどころか下半身に至っては腰から下がない。傷口を観察すると強引に縫ったようで縫い口は歪んでおり、まだ血が流れている。身体中の至る所が削ぎ落とされ、喉には呼吸のためのチューブが刺されており、舌と下顎は切り落とされている。唯一手がつけられていないのは、脳だけだった。つまり、痛みや思考力はこの状態であっても残っているという事だ。


「ここまでやって精神が狂っていないはずはないっすけどね。つーか、狂ってなかったらそれこそやばいっすよ」


 ぶつぶつと言いながら下半身の患部を調べる。ソールの雑な治療ではすぐに感染症を発症するか、あるいは汚物を排泄する事が出来ず、毒素が体内に溜まり死に至るだろう。少し考えれば分かる事なのだが、彼女の悪い癖なのか拷問をする際は歯止めが効かないのだ。


 外部から侵入して来た者を一番に撃退するのがソールの部隊の役目ではあるのだが、彼女はたまにそのうちの1人を生かしたまま連れ帰ると、拷問にかけるのだ。何かを聞き出したい訳ではなく、ただ痛めつけ、殺すためだけに。


 彼女の部隊に所属する者のほとんどはこの彼女の性癖を知らない。だが暗部や上層部に属する者達にとって、彼女の異常性は有名だった。それでも彼女を止める者はいない。使徒と戦うという決断がいかに愚行であるか皆知っているのだ。それに彼女は外敵にとっては狂った殺戮者であるが、味方達にとっては守護者なのだ。誰も彼女の性癖に口を出せる者はいなかった。


「とりあえず、排泄物を出せるように手術しないとダメか」


 青年は7歳でシカリスに入って以来100年もの間、医術を学んでいた。今では組織の中でも一二を争う癒し手にして毒の名手である。そのため、時折ソールに処分を頼まれるのだ。彼もまた彼女には頭が上がらないので素直に従っている。


「じゃあ、まずは抜糸するか」


 両肩を貫通し、後ろの壁に突き刺さってジンを磔にしていた杭を抜き、彼を近くにあったベッドに運ぶ。完全な体であれば、足の重量の分かなり重いはずだったのだが、幸いな事に今は色々なモノが無くなったおかげでかなり軽くなっている。容易くベッドにジンを寝かせると、早速強引に縫われた糸を引き抜き始めた。すぐに血液が溢れ出す。


「うっ、臭いっす」


 異臭が鼻を刺激し、男は思わず顔を歪める。


「全く、毎度の事とはいえ、なんで俺がこんな事を。つーかそもそも、この人って使徒なんじゃないんすかねぇ?」


 先日上がった報告書によると目の前で寝ている人物は確かに使徒の可能性を指摘されている男だった。


「まあ、俺はヤれと言われたことをヤるだけなんすけどね」


 そう言うと、木神術を発動させ、肉体を癒しながら治療をしようとする。だが、彼はそのまま治療を続ける事なく、手を止めて呆然とした表情を浮かべた。


「な!? そんなバカなっす!


 欠損した箇所が盛り上がるように回復を始めたのだ。それは失われた部位全てに起こった。くり抜かれて窪んでいた両目が再構築された。下顎は復元し、喉に刺さって呼吸の補助をしていたチューブは内側から押し出される。抉られた箇所からは肉が盛り上がり、瞬く間に傷が消える。何よりも失われていた下半身が腰、太もも、ふくらはぎ、足の順であっという間に創り出された。


 わずか数十秒で、先程のボロ雑巾のような状態の青年は消え、ベッドの上には傷一つない裸体の青年が静かに寝息を立てていた。


「ドク、お願いした事は済んだかしら?」


 ジンを唖然とした表情で眺めていると、後ろからソールが声をかけてきた。ドクと呼ばれたエルフはゆっくりと振り返り、混乱しながらもソールに今あった事をそのまま伝えた。それを聞いてソールは心底嬉しそうな顔を浮かべた。


「ああ、よかった。どうやら荒療治は上手くいったみたいね」


 そう言いながら、ソールは優しくジンの頬を撫でる。その姿はまるで、愛おしい人に接する様だった。

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