第220話接敵

 凄まじい地響きとともに、研究施設内が激しく揺れた。ジンの闘気を目指して通路を駆けていたハンゾーは思わず立ち止まる。一瞬感じた禍々しい力の波動はジンの近くから感じられた。


「ジン様……!」


 揺れが収まるのも待たずに、ハンゾーは再び駆け出した。暫く進んでいくと、床に巨大な穴が出来ていた。その穴は吹き抜けとなって、地上まで続いていた。下からは明かりが輝いている。目を凝らすと、誰かが倒れていた。


「あれは……」


 ハンゾーはすぐさま穴に飛び降りる。無事着地した彼の目に右肘から先を無くし、血を流して気絶しているジンの姿が飛び込んできた。


「ジン様!」


 慌てて駆け寄ると、意識は無いものの、息はしていた。それに安心しつつ、患部を見ると、最低限の止血はされていた。正確には何か空気の膜のようなものが傷口を覆っていた。


「ジン様、起きてください」


 ジンを軽く揺すると、暫くして彼は目をゆっくりと開けた。


「ハ……ンゾー?」


「はい、ハンゾーにございます。一体何があったのですか? シオン殿は?」


 朦朧とした様子のジンにハンゾーが尋ねる。


「シオ……ン。シオン! つっ!?」


 一気に意識が覚醒し、ジンは起きあがろうとして、無い右手を地面につけようとして、痛みに顔を歪めた。


「大丈夫ですか?」


「ああ、それより、俺はどれぐらい寝ていた? お前はいつ来たんだ?」


「つい先程です。諸々計算したとして、恐らく10分ほどかと思います」


「そうか」


「腕は治せそうですか?」


「ん? ああ、そうだな」


 ジンは意識を無くした腕に向ける。だが一向に回復が始まらなかった。術を発動している感覚が確かにあるのに、腕の再生に何かが邪魔をしているようだった。


「おかしい。治らない」


 苦痛に顔を歪ませながら、ジンが呟く。


「もしや、腕を止血しているその空気の膜が妨害しているのでは?」


 ハンゾーがジンの切断された腕の先を指さした。その途端、術が解除されたのか、切断面から血が溢れ出した。


「もう一度やってみる」


 しかし結果は同じだった。一向に腕が治る気配は無かった。


「どうなっているんだ?」


 ジンは歯噛みする。とりあえずこのままだと血を流しすぎるので、傷口を塞ぐことにする。今度は上手くいき、無事に出血は止められた。


「血は止められたみたいだ。なのに腕は治せない」


「それではいかがいたしましょうか」


 ハンゾーの質問に、ジンは自分の右腕を見ながら答えた。


「とりあえず、シオンを探すぞ。何があったかは、走りながら教える」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「こいつはひでぇ」


 アレキウスの前には酷たらしい惨状が広がっていた。あたりに飛び散った肉片の数々はもはや人間としての原型を留めていなかった。血の量を考えてみても、少なくともこの場には10人以上の人間がいたはずだ。しかし、誰も生きているものはいなかった。


【お主か】


 突如頭上から聞き覚えのある声が響いてきた。アレキウスが上を見ると、そこには漆黒のドレスを身に纏ったシオンがいた。


「よう。こんな所で何してんだシオン」


 軽口を叩くも、彼女から醸し出されている雰囲気は彼の知るものではなかった。それよりも、少し前に同じような気配を感じた事をすぐに思い出した。


【かかか、気づいておるくせに、知らないふりをするのは馬鹿の真似事か?】


 その言葉を聞いて、アレキウスは面倒臭そうに頭をガシガシ掻きながらため息をつく。


「はぁ、やっぱりか。だがどうやって生き延びた? あの時、確かにあの小僧がお前を倒したはずだが?」


【なに、少しツキがあっただけよ】


「ツキがあっただけで四魔が生き残るんじゃねぇよ」


 アレキウスの額にはいつの間にか汗が滲んでいた。


「それに、随分力が増しているみたいじゃねえか」


 まだ戦闘態勢を取っていないのに、目の前にいる少女から放たれる力の波動は以前対峙した時よりも遥かに増していた。


【なに、魂が元の一つに戻っただけよ。これでもまだ力は完全ではない】


「そいつは良いこと聞いたぜ。つまり今のお前ならまだ少しは勝ち目があるってことだな」


【かかか、自惚れるなよ。それは無い】


 その言葉を言い切る前に、アレキウスは右掌から『焔龍』を放った。通常の『炎龍』よりも高火力のそれが法魔に襲いかかる。


「うらぁぁぁぁ!」


 すぐさま左手を法魔に向けると風法術『嵐』を放つ。炎が風に煽られて勢いを増した。さらにアレキウスは両手を地面につけると、土法術『金剛牢』を発動する。炎の嵐を囲むかのように強靭な壁が出来上がり、そのまま上部まで完全に覆い、法魔を炎ごと封じ込める。


「少しは効いてるか?」


 アレキウスは警戒を解かずに牢獄を睨む。すると、すぐにヒビが入り、アレキウスに向かって3匹の『焔龍』が飛んできた。


「ちっ!」


 それを転がりながら回避すると、今度は四方から『嵐』が迫ってきた。その上避けた龍達が方向を転換し、アレキウスの方へと再度向かってきた。


「くそがっ!」


 その攻撃を躱しつつ、法魔の方に目を向けると、そこには無傷のままの法魔が立っていた。ドレスにすら汚れ一つない。


【ほらほら、避けねば死ぬぞ】


 法魔は楽しげに指揮棒でも振るかのように指を動かす。それに沿って龍が空を駆け、風が踊り狂う。


「うおおおおおお!」


 アレキウスは雄叫びを上げながら、回避を続け、法魔の隙を狙い、攻撃を繰り出した。


〜〜〜〜〜〜〜〜


「はぁっ、はぁっ、はぁっ」


 しかし、わずか数分で彼の体力はつきかけていた。


【随分と辛そうだな】


 法魔の言葉にアレキウスは内心で舌打ちをする。想像以上に疲労している理由は明白だった。空気が極端に薄いのだ。


「空気を操ったのか?」


【ほう、気づいたか。だがもう遅い】


 パチンと指を鳴らすと龍と風が掻き消えた。


【我が糧になるがいい】


 そう言った瞬間、アレキウスの前に法魔が立っていた。動くそぶりすら一切見せなかったため、彼は目の前に現れた事を認識し、思わず固まった。


「しまっ……!」


【死ね】


 法魔はアレキウスの胸に右手を置いた。ぐちゃりという音が周囲に響き、アレキウスが血を吐き出しながら法魔に倒れ込んだ。それに当たらないように、法魔は後ろに『転移』する。


 現世に存在する事象ならば法魔は真似る事ができる。例えそれが無神術によって生み出された術であっても、それが可能であると立証された時点で法魔には扱えるのだ。もっとも、法魔自ら新たな理を創る事が可能である。だからこそ、全ての『法』を統べる『魔』という名が冠されている。


 アレキウスの心臓を転移で抜き取った法魔は、右手にあるそれを見て舌なめずりをする。未だにドクッ、ドクッと心臓が脈動する。法魔は小さな口を限界まで開けて、それに齧り付いた。


「あ……あ」


 アレキウスは薄れゆく意識の中、その様子を見続けた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「シオンよ。なにを食しているのだ?」


 イースが夢中になって食事をしている法魔に話しかける。


【ふむ? 誰だ?】


「おいおい、私を忘れたというのか?」

 

 法魔はこめかみを右手の人差し指でついて目をつぶる。


【ああ、この国の王か。名は……イースか】


「それで、お前の自己紹介をしてくれないか?」


【かかか、これは失礼。我が名はレト。四魔の一角である法魔の名を関する魔人よ】


「なるほど。それで、その体の本来の持ち主はどうした?」


【我が内にて眠っておる。目覚める事は期待するなよ】


「それは残念だ。では、お前は何をしていたのだ?」


【なに、お前の部下を食っていただけよ】


 そう言うと、法魔は楽しそうに下に転がっていた頭を持ち上げる。法魔が割ったのか頭頂部は開かれ、中に入っていたモノは無くなっている。片目は喰われたのか、すでに無く、涙を流しているかのように血が流れている。


【さすが使徒だけあって、他の人間よりも何倍も美味いな】


「そうか」


 イースは信頼する王国騎士団長の無惨な死骸を見てピクリと眉を動かすも、冷静さを維持する。


【それで、お前はどうする? 敵討ちでもするか?】


 馬鹿にしたようにレトは尋ねる。


「ふむ、そうだな。我が国の安全の為にも大切な部下の弔いの為にも、今ここでお前を葬るとしようか」


【かかか、ならばかかって来るが良い】


「そうさせてもらおうか」


 イースは来ていたマントを脱ぎ、腰に差していた長剣を引き抜いて構えた。

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