第197話明け方

 夢を見る。


 目の前で見知った街が火に包まれていた。


 夢を見る。


 足元には大切な人達が倒れていた。


 夢を見る。


 掛け替えのない大切な何かがいつの間にか奪われていた。


 夢を見る。


 遠くで誰かが笑っていた。


 夢を見る。


〜〜〜〜〜〜〜〜


 ジンがバッと目を覚ますと、横にはシオンがすやすやと眠っていた。昨夜こっそりと窓からシオンの部屋に侵入し、甘い一時を過ごした事を思い出す。直前まで見ていた不快な夢を思い出そうとするが、どうしても思い出せなかった。


 空が白み始め、そろそろ部屋を出て行かなければならない事に気がついた。


「シオン」


 彼女の肩を揺すると、眠そうに目を擦りながらゆっくりと起き上がる。彼女の柔肌を隠していた布団がずり落ちて、上半身が顕になる。


「ふぁあ、どうしたの?」


「俺そろそろ行くよ」


 ベッドから出て、床に落ちていた衣服を拾い、身に纏い始めた。


「うぅん、分かったぁ」


 どうやらまだ眠いのか、その返しはどことなく幼さを感じさせる。それに苦笑しつつ、服を着終わるとベッドにいる彼女に近づき、額にキスをした。


「んー、もっとぉ」


 寝ぼけているのか、甘えた声を出しながら唇を突き出す。ひょっとこ顔を浮かべる彼女を見て声を出して笑いそうになるのを何とか堪え、今度はご要望通りに口付けをする。


「う……ん……」


 これ以上は我慢できなくなる為、程々に切り上げて顔を離す。


「えへへ。ありがと」


 嬉しそうな顔を浮かべる彼女を見て、幸せな気持ちで胸がいっぱいになるのを感じながらジンは昨夜侵入時に利用した窓へと向かう。


「じゃあな」


 もう一度振り返り、そう言うとシオンは眠たげな目を再度擦りながら手を軽く振る。


「ばいばい」


 そうして彼女の言葉を聞きいてから、彼は部屋から飛び出た。


〜〜〜〜〜〜〜


 明け方の街を練り歩く。いつもの喧騒とは異なり、全く人の気配がない大通りの中央を歩いていると、向かいから既視感のある青年が歩いてきた。


「あれ? もしかして……ジンか?」


「お前は……」


「覚えていないか? カイウスだ」


「カイ……ウス?」


 その名を聞いて漸くジンは思い出す。かつて学校で出会ったことがある青年だ。あまり接することは無かったが、強者である事を覚えている。


「あの、どうだ? 覚えているか?」


「ああ覚えているよ。久しぶりだな」


「よかった! 忘れられていたら少しショックだったよ」


 ふとジンは何かを思い出しかける。しかしそれが何なのかを思い出すことがなぜか出来ない。少し歯痒い気持ちで、必死に思い出そうとするが、その前にカイウスが話しかけてきた。


「学校からいなくなったって聞いて驚いたよ。今までどこにいたんだ?」


「ああ、少しな」


 あまり親しくないはずの彼が、自分がいなくなった事を知っているとは思わなかったが、ジンは言葉を濁す。


「そうか。まあ、でも、久々に会えて嬉しいよ」


その様子を見てカイウスはこれ以上聞く事をやめたようだった。


「ところでこんな朝早くに何をしているんだい?」


 まさか直前までの事を言うわけにはいかないので、ジンは無難に答える事にした。


「早朝散歩だ。久しぶりに戻ってきたからな。街を見ようと思ってさ。そう言うお前は?」


「俺? 俺はある人に用事があってね。これから行くところだよ」


「こんな朝っぱらから大変だな」


「まあね。でも楽しみにしていた事だから、全然大変な事ではないよ」


 ニコリと笑って答える彼に、どことなく違和感を感じるもジンはこれ以上気にしても仕方ないと考える。


「そうか、頑張れよ」


「ああ、ありがとう。今度学校に来てくれよな」


「気が向いたらな」


 その答えにカイウスはもう一度笑うとジンが来た方向へと去って行った。その姿を後ろで見てから歩き出した彼の頭の中には、いつの間にか思い出す事が出来なかった何かがあった事を完全に忘れていた。


「さてと、今なら会いやすいかな」


 ふと呟いた言葉は、もう相手には聞こえていなかった。


〜〜〜〜〜〜〜〜 


「よう、来たか」


「あれ、どうしたんだ?」


 宿まで戻ると、入り口に動きやすい格好をしたルースが立っていた。


「少し頼みがあってな」


「何だ?」


「俺と手合わせしてくれ」


「は?」


「お前がどれほど強いのか、そんで俺が今どの程度の強さなのか。それが知りたいんだ」


 ルースの目は真剣だった。パッと彼の様子を見る。服の上からでも鍛え抜かれているのが見て取れる。


「……わかった。どこでやる?」


「お前もよく知っている所だよ」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「確かにここはよく知っている所だな」


「だろ?」


 そこはジンがかつて毎朝訓練を行っていた場所だった。あの頃の事を思い出す。たった2年の事なのに、随分と前の事の様に感じる。


「それにしても、お前がこんな早起きになっているなんて知らなかったよ」

「まあ、色々思う所があってな。鍛えようと思ったんだよ」


「聞いたぜ。今Aクラスなんだって?」


「ああ、一応な」


「それで、どうする? なんか禁止にすることはあるか?」


「へっ、随分と上からじゃねえか。特にはねえよ」


 ニヤリと笑いながらも、その目は今にもジンに襲い掛からんとする意志が込められていた。


「そうか。ならやるか」


 軽く体をストレッチしてから腰に下げていた短剣に手を伸ばす。2ヶ月ほど前のレトとの戦闘で破壊された為、現在使っているのは協力の報酬としてイース王から渡されたものだ。さすがに以前使っていたものの方が性能としては上なのだが、王から賜っただけあり、中々に手の馴染む逸品だ。


「ああ、そんじゃあ先に行かせてもらうぜ!」


 ルースは地面に深く踏み込むと、放たれた矢のようにジンに接近した。


「はあああ!」


 長剣を上段から切り下ろしてくるが、ジンは難なく下がって回避する。しかしルースはそれを読んで、もう一歩踏み込んで横薙ぎの斬撃を放つ。ジンはそれにカウンターを入れようとして、その斬撃の裏に隠れているもう一つの攻撃に気がつき、体を止めてもう一度回避する。そのまま熱風がジンの体に届いてくる。


「炎? いや、熱か?」


「ご名答。しかしすぐに気がつくとはやるな」


 そう言うと、ルースの持っているただの剣の刀身が熱されたように赤くなる。


「以前倒した魔物から作り出したもんだ。そん時はさすがに焼け死ぬかと思ったぜ」


「へぇ。1人でか?」


「まあな」


 ルースの言葉を聞いて、目を丸くする。ルースは炎系の法術を得意としていた。しかし、そんな彼が炎の魔物を倒したのだと言う。それが意味する事は、彼の炎はその魔物を越える力を秘めているという事だ。


「どんどん行くぜ!」


 熱を纏った剣がジンに迫る。回避する事は容易いが、避ける度に凄まじい熱風が彼を襲い、さらには剣がかすったあたりの草が燃え始める。いつの間にかジンの周囲は炎に覆われている。


「どうした! 避けるだけか!」


 煽ってくるがそれを不快には思わない。それ以上に友人の著しい成長が嬉しい。


「いいぜ、やってやるよ!」


 ジンは全身の闘気を足に集約し、地面を蹴る。ルースの目からジンが消える。直後、ルースは背後から凄まじい衝撃を受けた。


「がはっ」


 肺に入っていた空気を全て吐き出す。そのまま炎に突っ込むと地面を転がる。服に飛び火するが、ルースはすぐに立ち上がって振り払った。荒い息をついて入るが火傷のような外傷は見られない。炎系の法術師の中には炎に対してある程度の耐性を持っているのだ。


「さすがに速いな」


「そっちこそ、今のを喰らって立ち上がるとはな。随分タフだ」


「まあ、それなりに鍛えたからなっ」


 ルースは懐に隠し持っていたナイフを投げる。ジンはそれを回避せず素早く空中で掴む。


「返すぜ!」


「く!?」


 まさかの攻撃に目を丸くさせつつ、ルースは慌ててバク転する。先ほどまで彼がいた所にナイフが刺さる。


「あぶねえあぶねえ。まさか掴んで投げ返すとはな」


 顎を伝う汗を拭いながらルースがジンを見据える。


「よく避けたな」


「まあな。それよりもさっきから何で隙があるのにお前から攻めてこねえんだ? なめてんのか?」


「そういうわけじゃねえよ。だけど……いや、そうだな。お前に対して失礼だ。ならこっちから行くぞ……死ぬなよ」


「何?」


 気がつくとルースの目の前にはジンが踏み込んでいた。そのまま強烈なアッパーカットが顎に入り、ルースの体が弾かれた様に宙に浮く。その彼にジンは回転しながら蹴りを放ち、吹き飛ばす。さらに吹き飛んだ先に先回りして、右手を前に出して、掌から水球を作り出す。それは一気に膨れ上がり、飛んで来たルースを包み込み、彼の勢いを止めた。ジンが彼の様子を確認すると、どうやら気絶したようだった。


「ふっ、やるじゃねえか」


 猛烈な攻撃を喰らい、気絶をしてもルースは剣を手放さず、戦いへの意志を示し続けていた。

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