第186話約束
「うおおおおお!」
前方からのウィリアムの執拗な攻撃に対応している隙に、アレキウスがレトに背後から斬りかかる。レトは一瞬反応が遅れるもすぐに後方に風を巻き起こした。
「お、おおおお!?」
それに巻き込まれたアレキウスはグルグルと風の渦の中で回り続け、どんどん空中に上がっていき、ついにはペッと吐き出すかのようにウィリアムに向かって放り投げられた。
「うええええええ!?」
「どけええええええ!」
驚愕するウィリアムにアレキウスが叫ぶ。ウィリアムはなんとか横に飛んで回避すると、物凄い勢いでアレキウスが瓦礫に突っ込んだ。灰塵が周囲に浮かび上がる。
「大丈夫っすか? 死んでないよね?」
ウィリアムがレトへの攻撃の手を止めずに、アレキウスに話しかける。
「ぺっ、ぺっ、生きてるよ馬鹿野郎」
口に入った灰を吐き出しながら立ち上がる。すぐにアレキウスは左手に痛みを感じた。そちら側を見ると肘があらぬ方を向いていた。
「怪我とかってしてませんよね」
アレキウスに目を向けられないウィリアムが尋ねてきたので顔をしかめて答える。
「心配すんな。かすり傷だ」
「よかった。今アレクさんに負傷退場されると正直終わりっすから。って、腕折れてんじゃん!?」
アレキウスが横に立ったのでチラリと目を向けた瞬間、ウィリアムの目に飛び込んできたのは左腕をダランと垂らしながら片手で大剣を握るアレキウスの姿だった。
「かすり傷だって言ったじゃん!」
「うるせえ、俺がかすり傷と言ったらかすり傷なんだよ!」
「いやいや無理あるって!」
ウィリアムが騒ぐが、彼を無視してアレキウスは相手の観察をする。
「おい」
アレキウスの雰囲気で真面目な話だと理解したウィリアムはすぐに頭を切り替える。
「分かってます。隙は適宜どっちかが作る感じでいいっすよね?」
「任せた」
アレキウスとウィリアムはレトの反応が近接と遠距離からの攻撃でそれぞれずれている事に気がついていた。つまり、相手の気をどちらかに散らせる事ができれば、反撃の糸口になると考えたのだ。
【そろそろ、茶番は終わったか?】
「おいおい、マジかよ」
レトの穏やかな声が爆音の中にも関わらず聞こえてくる。何よりもウィリアムが全力を出しているのに一切苦悶の声をあげていない。それが意味する事はつまり、ウィリアムですら大した脅威になっていないという事だ。
【法術に特化していると聞いてどれほどのものかと期待してみれば、お前もつまらん。さっさと殺して喰うか】
「アレクさん!」
ウィリアムの声より先にアレキウスは走り出していた。だが彼の剣が届く前に、黒い空間が彼を包み込んだ。
「なんだこれは!?」
ウィリアムも初めて見る術に目を丸くする。
【『闇世界』。我自身が作り出した唯一、いや、1人には教えたか。まあいい、この術に包まれたらもう終わりだ。死ぬしかない】
「『闇世界』だと?」
ウィリアムはその名前を聞いて何かが頭の中を過ぎる。
【なんだ。お前、あいつに会ったのか?】
その質問が誰を指すかは分からないが、この術を扱う存在が今でも生きているという事を彼女の質問は示している。だがそれに意識を払おうとした所で、徐々に球体が狭まり出した。
「アレクさん!」
ウィリアムが外側から闇と対極になる光法術『光雨』を放つ。しかし、無数の光の粒は全て闇の中に消えていった。
【無駄だ。あれは全ての術を吸収し、その力を喰らってさらに強くなる。打ち破るには内外から直接法術以外の物理的な力で壊すか、我以上の法力で破壊するかしかない。だがあやつの法術はそこまででもない上に、片腕を失っている。術に特化したお前が何かすれば、あやつの死を早めるだけだ】
実際に『光雨』を吸収したためか、球体が縮む速度が増している。もうあと数分もしない内に完全に収縮し、アレキウスは死ぬだろう。
「くっ!」
ただ、レトはアレキウスを喰うつもりでいるので、死ぬギリギリを見極めて解放するはずである。そこが唯一、彼を救う可能性が残されている。
【さてと、まずはお前から殺すとするか】
「アレクさん、法術は使うな! 必ず助けますから頑張って下さい!」
ウィリアムが叫ぶと、球体の中から声が聞こえて来た。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
アレキウスは真っ暗闇の中で火法術を放つ。だがすぐに壁にぶつかり、吸収されるように消えた。
「くそっ!」
それならばと大剣で内側から斬り裂こうとするが、片腕ではどうする事もできないほど頑丈である事がすぐに分かった。
「どうすっかな」
ドサリと腰を落とし、火法術で明かりを確保し必死になって考える。今もなお、外ではウィリアムが1人で戦っている。彼1人では長く保たない事は明確だ。だが具体的な策が無い。その上空間も徐々に狭くなり始めていた。
「あんま時間なさそうだな。時間的にはあと2、3分ってとこか」
収縮の具合から見て、もうアレキウスには時間が残っていなかった。その時、外からウィリアムの声が聞こえてきた。
「あいつ、てめえの状況の方がヤバイってぇのに」
いつもなよなよした同僚の意外な男気に思わず笑みが溢れる。
「しっかし、さっき吸収されたって事は、こいつは術を吸収して力にする性質があるみてぇだな。つうことは、純粋な腕力で勝負ってことかよ」
チラリと折れた左腕を見る。痛みは酷くなっており、動かすのも一苦労だ。
「とりあえずやってみるしかねえか」
そう呟いた所で、凄まじい轟音とともに闇の空間に亀裂が入った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
戦場に辿り着いたジンの目に入って来たのは、見覚えのある黒い球体と見知らぬ男、そしてレトだった。彼らは一斉にジンの方を見た。
「誰か知らんが逃げろ!」
見知らぬ男が叫ぶ。一方、闖入者を見て、レトは失望したような表情を浮かべた。
【またお前か。戦うやる気もない者が我の前に立つな、煩わしい】
だがジンはその言葉を無視すると、全速力で黒い球体に駆け寄り、最大限まで強化した拳で球体を殴りつけた。ピシッという音とともに罅が入り、徐々に広がっていった。それを見たレトは目を丸くする。
【なんだと?】
その言葉を無視してジンはもう1発全力で球体を殴った。今度はパリンと音がして、完全に術が崩れ去った。中には驚いた表情を浮かべているアレキウスがいた。
「生きてたか」
肩で息をしていたジンは話しかけながら手を差し出す。アレキウスはニヤリと笑ってその手を借りて立ち上がった。
「シオンは?」
「街で救助活動中だ」
「なるほど。そんで、お前は何しに来た?」
「……あいつを倒しに」
「出来るのか?」
アレキウスは先日の事情聴取を思い出す。レトがジンの姉の記憶を持っているのなら、とてもではないが本当にジンが戦力となりうるのか不明だ。そもそも彼の実力もあまり知らない。自分が壊せなかった術を破壊したことから、かなりの腕であることは推察できるのだが。
「……あんた、外の様子を見たか?」
「いや」
「出来るかどうかは関係ねえんだよ」
一体何を見て来たのか分からないが、その瞳には深い怒りの炎が灯っていた。
【ぬかせ小僧。贄だから生かしてもらえるとでも勘違いしているのか?】
虫けらを見るような目でジンを見下すレトを、毅然とした態度でジンは睨み返す。
「俺は姉ちゃんとの約束を忘れていた」
【なんのことだ?】
「あの時、姉ちゃんは俺に殺し尽くしてほしいと頼んだんだ」
【だからなんだ?】
「お前が姉ちゃんの魂を持ち、姉ちゃんの尊厳を傷つけるなら、他の誰でもなく、俺が……俺がお前を殺さないといけねえんだよ!」
ジンは『ナギ』に会ってからずっと混乱し続けていた。自らの手で殺した最愛の姉をもう一度傷つける事が怖かった。それが例え別人になったとしても、彼は『ナギ』を失いたくなかった。だが目の前の存在は姉ではない。あんな地獄を生み出したモノが姉であるはずがない。
「姉ちゃんの顔で、姉ちゃんの声で、姉ちゃんの姿で、これ以上誰も殺させねえ!」
漸く覚悟が決まった。もう決して迷いはしない。それは遅すぎたかもしれない。多くの人が命を落とした。だがこれ以上姉を傷つけてはならない。
姉を守るために、姉を殺す。
ジンは力を解放する。その様を見てジンの本気を感じ取り、ナギが微笑んだ。
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