第182話早朝
【やはり安定せぬか】
洞窟の中で瞑想を続けていた法魔レトが呟いた。先日のシオンとの邂逅以来、彼女の器となっているナギという女の魂が暴れているのだ。特段気にするほどのことではないのだが、レトにはどうにも不快感が残っている。何せ融合している自身の魂にも干渉してくるのだ。
【どうやら喰らうか殺すしかないようだな】
そう言うとレトは目を開けて、ゆっくりと歩いて洞窟の外に出る。だが少し歩いたところで、木の根に躓いて盛大に転んだ。まだ目覚めたばかりでまともに動いていないので動作確認のために少し運動が必要だった。
【むう……】
ドロドロに汚れた衣服を見てレトは唸った。
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デートを満喫したシオンとジンは名残惜しみながら別れ、それぞれの宿舎に戻って行った。当然の如く、ジンが泊まっている部屋のドアを開けるとミコトがニヤニヤと笑いながら詰め寄ってきた。
「それで……どうだった? 楽しかった? どこまで進んだ?」
「うるせえな。飯でも食ってろ」
ジンは一切取り合わない姿勢を見せる。それを見てミコトはギャアギャアと騒ぐが、ジンはさっさと布団に潜り込んで、頭まですっぽりと毛布を被った。ミコトが揺すってくるのをしばらく無視していると、飽きたのかミコトは舌打ちをして部屋を出て行った。
「ははっ」
そっと唇を撫でると、先ほどまで一緒にいたシオンを思い出して、思わず笑みが溢れる。真っ赤な顔をしながら浮かべる笑顔、ぎこちなく握った手から伝わってきた体温。脳を麻痺させるような柔らかい唇。何もかもを忘れて彼女と2人で生きていく事が出来たらどれだけ幸せだろうか。
『本当にそれを望むなら、そうしてもいいんだよ?』
頭の中で声が囁く。
「ラグナか」
気がつけば例の真っ白い空間に立っていた。どうやらいつの間にか眠っていたようだ。
『ご名答!』
黒い髪に黒い瞳、そして男か女かわからない中性的な、人とは思えない魔的な美しさを持つ存在が何もない空間から現れた。ジンの成長に合わせているのか、今は20歳近く見える。
「逃げてもいいのか?」
ジンは呟く。ラグナはそれに頷いた。
『ああ、元々は僕が依頼した事だ。だから君にこの責務を全うするよう強制する事は僕には出来ない。ただお願いするだけだ』
「俺が逃げたら、他の誰かが代わりになるのか?」
ラグナの言葉は今のジンには酷く魅力的だった。何もかも捨てる事が出来たらどれほど心を救われるだろうか。
『その通り、と言いたい所だけど、すぐには無理かな。前にも言っただろう? 君を作り出すのに膨大な年月を要したと』
ラグナがカムイ・アカツキを用いて長い年月をかけて、ジンという存在を生み出したという話は、初めて会った時に聞いていた。
『つまり、また四魔やフィリアに対抗できる人間を創るまでには数百年、いや、もしかしたら数千年はかかるかもしれない。それに四魔が現れ始めた今、フィリアの性格上有り得ないとは思うけど、人界は崩壊の危機にある』
「どこにも逃げ場は無いという事か……」
『そうだね。おそらく2人で逃げたとしても、きっと争いに巻き込まれるだろう。何せ君の恋人は使徒だからね。フィリアも監視しているはずだ。その上、彼女は責任感も強いだろう?』
「……そうだな」
例えジンが彼女にそう望んだ所で、シオンはきっと受け入れないだろう。どれだけ自分が傷ついても、誰かを守るために強大な相手にも立ち向かう彼女を、たまらなく愛おしく思うと同時に辛く思う。
『僕としてはこれ以上君に苦しんで欲しくはないんだ。でも、君にも果たすべき約束があるし、あのままのお姉さんを放置しておくつもりもないんだろう?』
ジンはウィルとマリアを思い出し、そして魔人となったナギを思い浮かべる。
「……ああ、お前の言う通りだ」
酷く顔を歪めるジンに、ラグナは近づくと優しく話しかける。
『でも、僕は君の考えを尊重するよ。例えどんな決断をしたとしても、僕は君が作り上げていく物語を見守っていくからね』
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目覚めると、まだ外はようやく日が昇り始めた所だった。昨日の事を思い出して、シオンは毛布に包まるとベッドの上を右に左にと、ゴロゴロと転がった。
「うぅぅぅぅ」
毛布の中で唸り声を上げる彼女は傍目から見るとかなり不気味だった。やがて、彼女は転がりすぎてベッドから落ちた。しこたま腰を打ったシオンは涙目になりながら毛布から這い出る。だが頬が緩むのは治まらなかった。
「ダメだ。こんなんじゃ仕事にならないし、団長達にからかわれる」
頬を叩いて、気を引き締める。
「ちょっと汗でも流すか」
この時間ならば朝市が行われているという。貴族であるシオンは今までそういったものとは無縁であったので、折角ならばと思い立ち、運動用の服装に着替えて、外に出て軽く汗を流すためジョギングして向かった。
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「あれ?」
「え?」
突然かけられた声にジンが振り向くと、少し上気したシオンが立っていた。額に汗が滲んでいる事からここまで走ってきたのだろうと推測する。
「ど、どうしたんだ? こんな朝早くに」
「それはお前もだろう」
「あ、うん、そうだね」
シオンはすぐに髪を手櫛で梳きながら、走って乱れた衣服を整える。
「走ってきたのか?」
「うん。なんだか早く目が覚めちゃって。ジンは?」
「ああ、俺もそうだ」
「そっか」
「ああ」
2人の間に沈黙が流れる。だがそれは嫌なものではない。ただ気恥ずかしかったのだ。昨日1日で慣れたかと思っていたが、そうではなかったらしい。
「「あの!」」
意を決して声を掛けようとすると、シオンも同時に喋ろうとしていた。
「な、なんだ?」
「そっちこそ」
「俺はいいから先にそっちから言ってくれ」
「いや、僕はいいから」
「いや、俺が」
「いや、僕が」
何度もお互いに譲り合っていると、シオンが背後からドンと押された。図らずもジンの胸に飛び込むような形になった。
「道の真ん中でイチャイチャしてんじゃねえ!」
髭面の男が商品の箱を抱えてノシノシと歩いて行った。お互いに顔を真っ赤にして慌てて離れる。
「ご、ごめん」
「いや大丈夫。……なあ」
「何かな?」
期待に満ちた目をジンに向けてくる。それに気付きつつも、照れ臭くてそっぽを向きながらジンは頬を掻いた。
「一緒に回らねえか?」
「う、うん!」
シオンはパアッと顔を明るくする。
「じゃあ……」
ジンはそっと手を差し出す。それを見たシオンはすぐに意図を察すると、その手を握った。そして2人は気恥ずかしさを感じながらも歩き出そうとした。
その瞬間、異様な空気を感じ取ったジンは、シオンを抱き寄せると斜め上に思いっきり跳んで屋根に飛び乗った。
「キャッ!」
シオンが驚きの声をあげたと同時に、先ほどまで2人がいた場所に火柱が立った。一瞬にして周囲にいた人間が悲鳴を上げる事すらできずに炭化する。
「な、何? 何が起こったの? うわっ!?」
「逃げるぞ!」
シオンの疑問の声を無視してジンが彼女を抱き上げて走り始めた。160半ばの身長の彼女は鍛えている事もあって普通よりも重いはずなのだが、ジンは全く意に返さない様子で、ぐんぐんスピードを上げる。そんな彼らを追いかけるかのように、どんどん火柱が上がり、その都度多くの人が焼け死んでいく。
「ひ、人が!」
「今は気にするな!」
シオンが叫ぶが、ジンには気にする暇がない。攻撃してきた相手など、とうに知っている。シオンと彼女を合わせるのが危険である事を、昨日アレキウスからも聞いていたのだ。
【ようやっと見つけたのに、すぐに逃げるでない】
頭上から声がしたと思った瞬間に、ジンは叫んだ。
「上を見るなシオン!」
「えっ?」
だがその言葉が決め手となり、シオンは声がした方に顔を向け、宙に浮いていた女性と目が合った。
「かはっ!?」
シオンは突如胸が強く締め付けられて、思わずその痛みに体を縮める。混乱のためか、呼吸が出来ないほど息苦しくなった。荒い息を吐きながら、そのまま意識を失った。
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