第179話怨嗟
「……姉ちゃん!?」
ガバッと起き上がったジンが目覚めると、そこは知らない部屋だった。すぐに激痛が肩から走る。
「ぐっ」
思わず痛みに顔をしかめながら、恐る恐る肩に目を向ける。包帯が巻かれているが、どうやら喰われたところは回復しているようだった。
「起きたのか?」
声がした方に顔を向けると、シオンが同じくベッドから体を起こしていた。
「ここは?」
「騎士団の医務室だよ」
「……そうか」
自分がこんな所に寝ているという事は、あれが事実であったという事の証左である。ジンはドサリとベッドに倒れ込み、顔を左手で覆い隠した。
「クソッ、クソッ、クソッ!」
あの『ナギ』はナギであり、再びジンの前で魔人になった。本当の姉はもう死んでいたはずだ。つまり誰かが禁術で姉の肉体を創り、魂を呼び戻したのだろう。またしても、彼女を救う事が出来なかったのだ。その事実に、ジンは歯を食い縛る。
「……お前も何かあったのか?」
医務室で寝ているという事はシオンも怪我をしたのだろう。そして使徒である彼女を怪我させる事ができる相手など限られている。すぐに誰がやったのか想像できた。
「いや、これは怪我じゃないみたいだ」
だがその返答はジンの予想を反していた。
「それならなんでこんな所に?」
「……なあ、ジン。あの人とお前の関係ってなんだ?」
唐突に話題を変えてきた事に僅かに混乱する。
「はあ? それとお前になんの関係があるんだ?」
正直な話、その話題にジンはあまり触れて欲しくなかった。自分の罪をまざまざと思い出させる存在を、シオンには話したくなかったのだ。だがシオンは真剣な顔を浮かべていた。
「頼むから、僕に教えてくれ」
あまりにも真摯な眼差しに、ジンは溜息を吐き、応える事にした。そうしなければ、恐らく話が進まないと考えたからだ。
「……あいつは……あの人は、俺の姉ちゃんだ」
その言葉が自分の口から吐き出された事に、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる。そっと、シオンの顔を見ると、彼女は顔から血の気が失せたように真っ青になっていた。
「……そうか」
「大丈夫か?」
「……うん」
「それで、その話とお前に何か関係があるのか?」
ジンの言葉に、シオンは一瞬目を泳がせる。何かを言おうとして、口を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返す。やがて意を決したような表情を浮かべた。
「僕は……僕はお前に謝らなくちゃならないんだ」
「どういう事だ?」
深刻そうな声音に、シオンの口からどのような言葉が発せられるのかと、ジンは不安になる。
「……僕は、僕は!」
その瞬間、バタンとドアが開かれ、アレキウスとスコット、それにハンゾーが部屋の中に入ってきた。
「おっ、2人とも起きたみてぇだな」
ズンズンとアレキウスが2人に近づいてくる。ハンゾーはそんなアレキウスを追い抜かし、ジンの元に足早に近づいてきた。
「お加減はいかがでしょうか?」
「あ、ああ。まだ肩は痛むがそれだけだ。腕も手も動く」
「それは重畳。しばらくすれば、その痛みも引くでしょう」
「そうか。それで、あれから何があった?」
「その前に俺の話に答えてもらおう」
2人の会話にアレキウスが割って入る。
「あんたは?」
「俺か? 俺はアレキウス・ビルスト。こいつの上司だ」
そう言って、シオンの方へ親指を向ける。
「アレキウス……使徒か!」
「おう。よろしくな、ジン・アカツキ」
ジンはすぐにハンゾーに目配せをする。しかしハンゾーは首を横に振った。つまり、名前を漏らしたのは彼ではない。とするとシオンが話たのかとジンは訝しむ。
「……どうして俺の名を?」
「おいおい、制限付きとはいえ、あんだけアスラン様と互角に渡り合った上に、龍魔を追い詰めた奴の名前を俺が知らないわけねぇだろ」
「……そうか」
どうやらあの試合を見にきていたらしかった。そういえば、彼の息子がシオンと戦っていた事をジンは思い出す。
「まあ、なんにせよ、お前には今色々と嫌疑がかけられている」
「はあ?」
「何!?」
ジンと共にハンゾーが驚く。どうやら何も聞かされていなかったらしい。
「当然だろ? 龍魔はお前を狙って襲ってきた。その上、法魔と最初に会ったのはお前だ。そのくせ、あの大会でお前は、謎の力を使っている。怪しいと思わない方がどうかしているぜ」
「団長!」
シオンがそれ以上喋らせないようにとアレキウスを止めるために叫ぶ。ジンの問題に深入りすれば、また彼を失ってしまうかもしれない事にシオンは耐えられなかった。しかし、アレキウスは彼女にも鋭い目を向ける。
「シオン、お前にも疑いがかけられている。あの時、法魔はお前に対して【生命置換】の邪法が使われていると言った。あれは禁術中の禁術だ。それがなぜお前に使われている? お前は何を隠している?」
「そ、それは……」
ジンはアレキウスの発した言葉に耳を疑う。
【生命置換】。その術の名を、彼は決して忘れる事が出来なかった。
「今、なんて……」
「お前らは、これから色々と取り調べを受ける事になる。あの法魔との関係をな。その後の処分は陛下が下され……!?」
「今なんて言ったんだ!?」
ジンはベッドから飛び跳ねると、アレキウスに掴みかかった。肩の痛みなど気にせず、胸ぐらを掴み叫ぶ。
「痛ぇなクソガキ!」
だがアレキウスはそんなジンの腹を思いっきり殴る。
「がはっ」
「ジン様!」
ジンはその場に蹲り、ハンゾーが駆け寄る。
「い……ま、な……んて言った?」
それでも尋ねてくるジンの尋常ならざる雰囲気に、アレキウスは目を丸くする。
「【生命置換】だ」
そんなアレキウスの代わりに、今まで黙していたスコットが答える。その瞬間、ジンの顔が痛みすらも忘れて驚愕の表情を浮かべる。次いで、その顔には信じられないという気持ちが浮かび上がってくる。
「【生……命置換】?」
そして恐ろしいものでも見たかのような、僅かな希望にすがりつこうとしているかのような顔で、シオンの方へとゆっくり顔を向けた。しかし、彼の目に飛び込んできたのは、今にも泣きそうなシオンの顔だった。
「……嘘、だよな?」
考える事が怖かった。それを知ってしまえば、自分は彼女を決して許せなくなると分かっていたから。だが、考えるのを止める事が出来なかった。シオンは小さい頃、ジンと同じくオリジンで暮らしていた。そして、彼女は小さい頃大病を患い、死にかけた事があるとテレサから聞いた事がある。さらに彼女は貴族で、片親がいない上に、兄弟もいない。何もかもが姉から聞いた話に当てはまった。
「……知って……たのか?」
「ち、違う。ぼ、僕は!」
シオンはすでに涙を零しながら、弁解しようとする。だが、もはやジンには彼女の言葉など、とてもではないが信じる事ができない。
「知ってたのか! 知ってて……知ってて俺を騙していたのか!」
2人の間に何があったのか分からず、アレキウスもスコットもハンゾーも押し黙る。ただ、今2人の間には割り入って欲しくないという雰囲気を彼らは感じていた。
「違う! 僕はそんなつもりじゃ……」
だがジンは彼女の言葉を最後まで聞こうとはせずに、彼女に殴りかかろうとする。即座にアレキウスが彼を押さえ込んだ。床に叩きつけられても、怨嗟の籠もった瞳をジンはシオンに向ける。
「許さねえ……絶対に許さねえ!!!」
シオンはその目に怯える。アレキウスが手を放せば、ジンは必ず彼女に襲いかかるだろう。その事実に愕然とした。
「ご……ごめ……ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい」
彼女は泣きじゃくりながら謝り続ける。だがそんな彼女の姿ですら、今のジンにとって、憎しみを助長させるものでしかなかった。
「放せ! 放せ!! クソッ、絶対に許さねえ!! 放せえええええええ!!!」
だがアレキウスは決して放さない。今彼を解放すれば、シオンに対して何をするか容易に想像できたからだ。狂犬のように暴れ続けるジンを必死に押さえ付ける。
「暴れんな!」
「うるせえ! そいつだけは絶対にぶっ殺してやる!!!」
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい」
最愛の姉の人生を狂わせたのは確かにフィリアだ。だが、もしシオンさえいなければ、きっと彼女は今も生きていたはずだ。少なくともジンはそう考えた。短絡的かもしれないが、姉のコピーが現れ、魔人になったせいで頭が混乱していた彼には、そうとしか考えられなかった。だからこそ、いっそうシオンは許す事など出来るはずがなかった。
「姉ちゃんは! 姉ちゃんはあんな風に苦しんでいい人じゃなかった! あんな風に死んでいい人じゃなかった! それなのにお前が、お前がいたから!」
呪うかのような憎しみの視線でシオンを睨みつけ、暴れ続ける。そんな彼に対してシオンは謝罪しながら泣きじゃくる。
「いい加減にしろ!」
一向に収まらない状況に、痺れを切らしたアレキウスが、ジンの首筋に手刀を打ち込む。即座に彼は意識を失った。
「さてと、話はこのまま続けられそうにねえな」
泣き続けるシオンは尋問してもまともに答えられないだろう。ジンに至っては気絶しており、いつ目を覚ますか分からない。
「とりあえず、2人の部屋を別々にした方が良さそうだな」
「そうだな。スコット、部屋の準備を頼めるか?」
「直ちに」
ハンゾーの提案にアレキウスは同意すると、スコットに命令した。スコットはうなずくと足早に部屋を出て行った。
「そんじゃあ、悪いがもう少し詳しい事をあんたに聞かせてもらってもいいか?」
「……分かった。だがその前にジン様から離れてくれるか?」
「っと、悪かった」
「いや、お主がしていなければ、儂がしていたから気にするな」
「へっ、そうかい。それじゃあひとまず、別の部屋にシオンを移動させるとするかね。おいシオン。立てるか?」
アレキウスがそう言うとシオンはゆっくりと泣きながら立ち上がった。そして、彼は彼女の肩を支えながら部屋から出て行った。そんな彼らを見送り、ハンゾーはジンを抱き上げるとベッドにそっと寝かせた。
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