第70話教室にて
校門を抜け、指定された教室へと向かう。校舎は3階建てで、寮とは異なり1年が1階、2年が2階、3年が3階となっている。学校には複数の巨大な講堂と大小様々な教室があり、3階部分には図書室などの設備が整えられている。職員室、学長室は1階にある。また訓練場は5つあり、学生は申請すれば自由に利用することができる。
教室の前まで来ると中から幾人もの話し声が聞こえてきた。すでにかなりの人数が集まっているようだ。ジンはドアの前で深呼吸を一つすると扉を開けた。一斉に視線が彼の元に集まり、すぐに興味がなくなったように元のおしゃべりへと戻っていった。
ジンは教室をさっと見渡す。彼らが今年のジンのクラスメイトである。ふと黒板に紙が貼られているのに気がつく。そこには座席表が記載されており、ジンはその指示通りに席に向かう。彼の席は教室の中央列の一番後ろであった。その周囲の席はすでに埋められている。着席すると左隣に座っていた少女がジンに挨拶をしてきた。
「あ、おはよう!あんたがお隣さん?あたしはマルシェ、マルシェ・サーフィス。これからよろしくね!」
「ああ、俺はジンだ。ジン・アカツキ。こっちこそよろしく」
笑いかけてきたその少女は小柄で人懐っこい様子である。赤茶色の髪は肩までの長さで、顔にはそばかすがあり、うっすらと日焼けした肌から快活そうな雰囲気を醸し出している。その体躯と制服のサイズがあっていないため、服を着ているというより、服に着られている。その彼女は訝しげにジンを眺めてきた。
「な、何か用か?」
「んー、あんたどっかで…あっ!シオンくんと喧嘩してた人だ!」
昨日のルースと同じ反応を見せるマルシェにジンは溜息をつく。どうやらそれほどまでにシオンは有名人のようだ。
「ね、ね、なんで喧嘩してたの?やっぱり知り合い?それとも…唯ならぬ仲ってやつ?」
「はあ!?」
「だってあんなに男子に過剰に反応しているシオンくん初めて見たんだもん。あ、私中等部からこの学校の生徒なんだけど、普段のシオンくんってもっと冷静で凛としてるんだよ?」
このファレス騎士養成学校には基礎教養と簡単な戦闘技術を身につけるための、初等部、中等部、そして戦闘技術を高めることに特化した高等部がある。それぞれ別の校舎に分かれているため接する機会は少ないが、主に貴族の子女や裕福な家庭の者は初等部から入学する。学費が高いため初等部と中等部に入れないような生徒たちは高等部から外部入試を経て入学するのだ。
ちなみにたとえ家格が高く、内部生であっても、進学時には外部生と同じ試験を受ける必要がある。そのため試験の結果によっては進学できない。これは高等部の教育が中等部までのものと一線を画す程に厳しいものとなっているため、実力のない者をふるい落す必要があるからだ。
「あたしあの子とクラス一緒で席も近かったから仲よかったんだけど、あの子が誰か、特に男の子に対してあんな態度を取るのはテレサちんにちょっかい出したやつでもなかったよ。なんていうか気になる子に冷たく当たっちゃう女の子みたいな…もしかして…」
「い、いやそんなこと言われても知らねえよ、俺だって最近知り合ったばっかだし、なんか知らんが異様なまでに敵視されているし…そ、それよりもシオンって有名なのか?この前から誰かに聞こうと思ってたんだけどさ。シオンを様付けしたりしてる奴もいるし。田舎から来たんでよく知らないんだよ」
「ふーん、まあそういうことにしておいてあげよう。それでシオンくんだっけ、うんあの子はねぇ、中等部時代に数々の伝説を生み出したんだよ」
「伝説?」
「うん、代表的なのだと…まずはファレス武闘祭って知ってる?」
「いや…」
「ありゃりゃ、そこからかぁ。ファレス武闘祭っていうのは簡単に言うと学校でナンバー1を決めようっていうお祭りなんだ。で、まあ予想通りかもしれないけど、あの子中等部1年の時に18歳以下の部で優勝したんだよね」
「それは凄…いのか?」
「うん、当時高等部で一番強かった人は何体も単独で魔物を討伐した実績のある人だったからね。そんな人を鎧袖一触」
マルシェは首に親指を向けて、横に手を動かした。
「しかも、そん時にあの子衆人環視の前で4属性の法術を操ったのよ」
「よ、4属性ってマジかよ…」
「そう、この国では4属性以上の法術を扱えるのは国王陛下と使徒のナディア様、それからテレサちんだけしかいない。そこにシオンくんが四番目の使い手になったわけ」
「えっ!テレサもなのか!?」
「知らなかったの?だからあの子も結構この国じゃ有名人なんだよ?それとシオンくんの話だけど、あの子は父親がこの国の宰相。家柄も高いし、あの見た目とテレサちんの騎士みたいな感じでいつもべったりでしょ。もう女の子がキャーキャー騒ぐし、男子も男子で告白したり、決闘を申し込んだりで大騒ぎだったよ」
マルシェは遠い目をしながらその光景を思い出しているようだった。
「騎士って…あれは猛犬の間違いじゃねえか?」
「あー、まあね。でも必死に主人を守ろうとしているって、そんなところが可愛いって女子にもてはやされていたなぁ」
「ふーん、そんなことがあったのか」
ふとジンはアスランとカイウスの顔を思い出す。彼らから感じる底しれないものをシオンから感じなかったのは何故なのか。
「まあでもアスラン様の方が強いかもね。あの人もう騎士団でも隊長格で入隊することが決まっているらしいし」
「マジかよ、でもそれならなんであの人がその武闘祭で優勝しなかったんだ?」
「ああ、あの方は高等部からの編入生だからね。私たちが二年生の時に入学したから。しっかし、そんなにシオンくんが気になるなんて、やっぱり…」
マルシェはジンの反応に半目になって面白そうな表情を浮かべる。
「だから違うって!もうこの話はやめだやめ」
「えー、つまんなーい!」
その非難の声を無視してなんとか話をそらすことにジンは成功した。それから二人は取り止めのないことを話し始める。マルシェはオリジンの有名な商家の一人娘であり、そのこともあって中等部から学校に入学したらしい。唯あまり成績が芳しくなく、偶然仲良くなったシオンに勉強をよく手伝ってもらっていたらしい。入試も直前まで彼女のお世話になっていたそうだ。
そんなマルシェだが、見た目に反して水法術による治癒が得意なのだそうだ。その一点に関しては中等部時代から他の追随を許さないほどであったらしい。しかし戦闘能力は低く、恐らく受験生の中で下位に入るだろうと豪語した。
「いやー、あたしもなんで進学できたのかわからないんだよね。普通騎士を養成するなら戦えないあたしなんて意味なくない?看護学校にでも行けって自分でも思うよ」
「じゃあ、なんでそうしなかったんだ?」
「まあ親がね、うるさいんですよ。あたしのことかなーり心配してるっぽくて、治癒師じゃなくて騎士になって欲しいんだって。ほら、治癒師って仕事の割には賃金安いし」
「あぁ、なるほど。でも大丈夫なのか?結構きついんだろ、ここの授業」
「まあね、劣等生のあたしなんか、っていうか多分Eクラに入ったやつのほとんどが来年には学校にいないからね、試験落ちて」
「マジかよ…」
ジンは頭の中でルースを思い浮かべる。自信満々な様子であったが、実は崖っぷちに立たされているのだ。あの自信は一体どこから来ているのか気になった。
そんなことを話していると教室のドアが開き、腰に剣を差し、ヨレヨレの騎士服に身を包んだ40代半ばの男性が杖をついて入って来た。その右足は不自由なのか引きずるように歩いている。中肉中背で身長はジンより少し低い程度だろうか。
目は眠たそうにしており、非常にやる気が感じられない表情をしている。顔には額から右頬にかけて大きな切り傷が流れている。髪はボサボサでグレーの髪がさらに濁っているように見えた。同様に顔には散らかり放題の無精髭が生えている。控えめに言っても不潔な印象を与えてくる。
生徒たちは彼の登場で話すのをやめた。それよりも唖然とした表情を浮かべている。
「嘘だろ…」
「本物かよ…」
「なんでこの人がうちらのクラスに…」
ちらほらとあちらこちらから驚きの声が上がる。
「なあ、あの人も有名人なのか?」
ジンがマルシェに目を向けると彼女も驚愕の表情を浮かべていた。反応がないため肩を揺さぶる。
「あ、ああうん。あの人は元王国の近衛騎士団の副団長だよ。ベイン・レシオン。何年か前に怪我して引退したって聞いてたんだけど…」
一瞬の沈黙とともに皆が騒ぎ始める。その様子をボリボリと頭を掻きながらベインは眺めていた。それから一言声を上げる。
「うるせえ、クソガキども!」
その言葉に再び教室内が沈黙に包まれた。
「ったく、こっちは二日酔いで辛えんだよ」
ベインはブツブツと文句を言いながら教卓に設置された椅子にドサリと座り込んだ。
「あ、あのべ、ベイン副団長ですよね?あなたが僕たちの担任なんですか?」
クラスの中で勇気を出して一人の少年が男に尋ねる。
「ああ?元だよ元、そんで答えはイエスだ」
それを聞いてクラス中が興奮する。
「うるっせえな!黙れって言ってんだろうが!」
苛立ちの篭る声に再び教室中が静かになった。それに気を良くしたのかベインは机に突っ伏して寝ようとする。
「あ、あのすみません…」
先ほどの少年がもう一度ベインに話しかける。
「ああ?まだ何かあんのかよ?」
「こ、これから僕たちは何をすればいいんでしょうか?その…ホームルームとかって…」
「何って…ああ、お前ら今から大講堂に集合だ。入学式やるらしいからな。そんで終わったら解散らしいからさっさと行け」
うんざりとやる気のなさそうに爪の間をいじりながらベインが返答する。
「もういいか?俺は気持ち悪いから寝てぇんだよ」
「は、はいありがとうございます。あっ、でも大講堂ってどの?」
「そんなもん自分たちで調べろ!」
「ええ!?」
そんな光景を見ていたジンがコソコソとマルシェに尋ねる。
「おいあの人本当に元副団長なのか?どう見てもダメなおっさんだぞ?」
「うーん多分…」
「いやでもあれは…」
ジンが口を開きかけたところでバンっという音とともに息を切らせながらルースが教室に入ってきた。
「すんません!遅れました!」
「だからうるせえって言ってんだろうが!」
ベインはルースに顔を向けることなく指先に即座に小さな水の塊を作るとそれを放った。
「ウギャッ!」
それは高速で彼の額に打つかった。奇声とともにルースはまるでスローモーションで再生しているかのようにゆっくりと背中から床に倒れた。
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