第30話勝利

 《男》の右腕が地面を削りながら裏拳のように伸びてくる。それを飛び上がって躱すが、目の前には《男》の額が近づいてきた。ジンは折れた左手を強引にあげて腕を交差し、衝撃に備える。凄まじいインパクトが体を駆け抜け、地面に叩き落とされ、何度も体がバウンドする。


 20メートルほど吹き飛ばされてようやく止まった体はところどころに痛みが走り、ガードした左腕はぐしゃぐしゃに砕けていた。右腕にはヒビが入ったようで、動かすだけで痛む。倒れ伏しながら急いで顔を上げて相手を見やると、先ほどまでいた場所にはいない。


次の瞬間、空が陰る。背筋にツっと落ちる嫌な汗から、次に来る未来を予測し、慌ててその場から転がり抜ける。そしてすぐさま先ほどまで自分がいた場所から、ドスンという音とともに、砂煙が黙々と立ち上がり、さらに石片がものすごい音で飛び散った。


 そのストンプ攻撃をうけてゆれた地面のために、立ち上がろうとしていたジンはバランスを崩し、腰をついてしまう。そしてその瞬間に吹き飛んだ石片が彼の体に襲い掛かった。顔だけでも守ろうとした彼の、左足に深々と破片が突き刺さる。さらに大きな破片が彼の左側の肋骨を強打する。


「かはっ」


 肺にたまっていた空気が一気に漏れ出た。息をするのが苦しくなり、呼吸が定まらなくなった。いつの間にかリミットが来ていたのか、先ほどまでのことが嘘のように体が全く動かない。少しでも動かそうとすれば全身が激しい痛みで覆われた。気づけば数十メートルは飛ばされていた。それでも吹き飛ばされ、ボロボロになった体を持ち上げようとしていると、ドスン、ドスンと彼の命に終りを告げる鐘のように足音が近づいてきた。


『今度こそ本当に死ぬ…』


 近寄ってくる敵に恐怖する。全身を走る痛みと、あの死の痛みを再び味わうのかということが彼にのし掛かり、吐き気がこみ上げてくる。


『でも…姉ちゃんと約束したんだ!まだこんなところで死ねない!』


 その思いが彼の死に体の全身に、心に活力を与えてきた。ここで死ぬことを彼のプライドが良しとしなかった。


 痛む足をこらえながら、立ち上がり森の主へと視線を向ける。相手もダメージのためか動きが鈍い。しかしその目には未だにジンに対する憎しみがしっかりと見て取れた。


 ジンもその接近に備えるために、片手片足で苦労しながら立ち上がった。だが彼にはもう攻撃する手段が残されていなかった。半身になり、残る右手を持ち上げてなんとか手放さなかったナイフの切っ先を向ける。左胸に当たった石片のためか、呼吸がまともにできない。目だけは相手に注視してはいたが、先ほどのような攻撃が来ればもう避けられないだろう。


 ゆっくりと近寄ってきていた化け物は、急に傷の付いていない方の足に力を込めると地面を思いっきり蹴飛ばして、ジンに接近しようとした。


 わずかばかり残されている力をすべて足に込めてジンは避けようとする。しかし体に刻まれた数々の傷のために闘気を練ることが難しい。なんとか練り上げたところで、相手の足が地面を離れた。このタイミングではもう避けることも叶わなかった。


『あぁ、ごめん姉ちゃん』


 その言葉が頭に流れた次の瞬間、彼の目の前にジンより少し高い程度の、薄い氷の壁が形成され、化け物の足元にはその足を固定するかのような木の蔓が幾重にも巻き付いた。バランスを崩した化け物は倒れこみ、いつの間にか足元にさらに生えていた小さな氷と木の針山にのしかかった。


「—————————————————————!」


 痛みによって咆哮を上げながら起き上がろうとする化け物の手足を蔓が覆う。相手も疲労のためか、立ち上がるのに一瞬の隙ができた。さらにそのタイミングで電撃が化け物の体を貫く。化け物の体の動きが止まる。


「坊主、こいつを使え!」


 ジンの目の前に一振りの剣が突き刺さる。


「ジン、いまだ。やれぇぇぇ!」


 その声を聞いて、ジンは瞬時に剣を引き抜いて、足に最後の力を込めて飛び上がる。そして全体重を込めて倒れこむように相手のむき出しになっている首に剥けて剣を突き立てた。


 深々と突き刺さった剣は、化け物の延髄を切り裂いた。化け物は何度かビクンと反応した後、ついに活動を完全に停止した。


 剣を突き立てた勢いでジンはそのまま地面に飛び落ちた。


 左腕はもう上がらない。完全に砕けた。腕の先の感覚もない。肋骨は何本も折れ、それが臓器に達しているのか呼吸をするだけで激痛が走る。吐き気とともに何度も吐血する。出血のせいか目も霞んできた。左ふくらはぎには深々と石片が突き刺さっている。もう立ち上がることもできなかった。


 横を見やると、かつて森の主と呼ばれた男の亡骸が転がっていた。真っ白い毛皮を赤く染めたその顔には、穏やかな、一見すると笑みにも見える表情が浮かんでいた。


 遠くから誰かが駆け寄ってくる姿が見えたが、そこで彼は意識を失った。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


『いやーまさかあんな体でトドメを刺すとは思わなかったよ』


 真っ白い空間でラグナが満面の笑みで拍手していた。


『そう思わない?父さん。』


『…それよりもなぜあのような幼い子供を選んだのだ』


 ラグナの視線の先には、一人の男がいた。以前バジットの鍛冶屋の前に立ちすくんでいた男だ。彼から父と呼ばれた男は、そんなラグナの質問に難色を示した。


『なぜってあの子ならこの状況を変えてくれるかもしれないからさ。父さんだってわかっているだろ?今の後手後手の状況はもうそんなに長く続かないってことを』


『むっ』


『そろそろこっちからも攻勢に出ないと、このままじゃ父さんの力が先に尽きちゃうよ。そうなったらこの世界が終わるのは目に見えてることだろ?』


『だが…』


『確かに僕もあんな小さな子に過酷な運命を与えたことは申し訳なく思うよ。でも今はもうそんなことを言っている時間はないよ。相手が力をどんどんつけていくならこっちも何かしなきゃ』


 オルフェはラグナの言葉に口をつぐんだ。目の前の少年の言葉が真実であったからだ。


『…よかろう。すべて任せたのはこの私だ。お前の言は確かに的を射ているのだろう。ならば私はこれ以上言葉にはしまい。だが努努忘れるなよ。私たちが何のために戦っているのかを。下界に住まうすべての我が子達の命が我々に掛かっているということを』


『大丈夫だって。一度たりとも忘れたことはないよ。だから安心してよ。絶対にフィリアを倒すからさ』


 その言葉を聞くと、オルフェの姿が徐々に薄れていき、そして完全に消えた。


『まったく父さんは神経質だな〜。もっと僕を信頼してくれればいいのに。そうしたらもっとやりやすいんだけどな〜』


 真っ白い空間の中でラグナはぼそりと独り言をした。

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