第19話 まどろみの中で



 破壊の咆哮が途切れたのを見計らったレーベとメルは魔法具ブラスターを魔人ベリオールに投げた。二つの赤い球は魔人の目の前で爆発して多少の傷を与える。エイリークは敵が怯んだのを見計らい突っ込んだ。

 魔人は左手で右腕が付いたままの棒を振り回して迎撃するが体勢を崩していたので空振り、逆にわき腹を斬られた。が、浅い。

 そこにレーベも加わり、脚を重点的に狙い、危なくなれば距離を取るヒットアンドアウェイに徹して時間を稼いだ。

 前衛二人が時間を稼いでくれている間、メルは久々の大魔法の為に神経を研ぎ澄ましている。初級魔法と違って大魔法の魔力消費と制御の難易度は桁が違う。もし制御に失敗すれば自らだけでなく、周囲の地形を破壊し尽くす。出来ればそれは避けたい。

 今も自分を信頼して命懸けで時間を稼いでくれる幼い教え子の為にも、師が無様な真似を見せるわけにはいかない。あんな真っすぐで心優しい子が死ぬのは困る。そこでふと、自分がもし普通に生きていれば、あれぐらいの年頃のひ孫や玄孫が居るのではと思ってしまう。


(二人で、いえあと一人も連れて生きて帰りましょう)


 その頃には不思議と精神は極限まで研ぎ澄まされながらも、心はどこまでも穏やかな境地に達していた。こんな気持ちになったのは何十年ぶりだろうか。いや、生まれて初めてかも知れない。

 主の心に呼応するように杖のルビーが光り輝く。―――――戦え、戦え、敵を討ち滅ぼせ、早く我を使え、我が生まれたのはこの時の為だ。意思を持たぬ杖からそんな声さえ聞こえてくる。


「二人とも動きを止めたらすぐに離れなさいっ!」


 メルの言葉にエイリークは半壊した盾をベリオールの頭に投げつけて怯ませてから離れる。

 レーベも火鱗の盾を腕に固定してから、両手でミスリルの剣を握り、大きく振りかぶって魔人の右足の甲に深々と突き刺した。剣は瓦礫の中の大きな破片に突き刺さって止まる。魔人は動きを止めたレーベを棒で打ち据えたが、それは彼にとって計算尽く。ふっとばされて距離が開いた。

 そして既にメルは大魔法の最終段階へと踏み込んでいる。杖の先端のルビーは極限まで光り輝き、主の鳶色の瞳も妖しく輝く。


「大地の法、星界の鎧、闇の深淵、戒めの鎖、神々の力を我は手繰る、混沌の黒禍よ、我の腕により解き放たれよ『グラビティクラッシュ』」


 杖より漆黒の球体が放たれ、羊頭魔人ベリオールの頭上で弾けた。変化はすぐに起きた。魔人は膝を着き喘ぐ。左腕で身体を支えるが、その左腕は勝手に逆方向に折れて役に立たない。

 うつ伏せになった魔人は嗚咽を発しながら徐々に瓦礫に沈んでいき、その瓦礫すら段々と床に溶けるように沈む。

 そして遂に轟音と共に床が崩れ、大穴が開いて魔人は地の底へと落ちる。それでも黒い球体は消えず、そのまま中空に残り続けて穴の底では金切声にも似た音が響き続けた。

 永遠に続くと思われた破壊は、実を言えばそれほど長い時間ではなかった。三十秒も経たずに黒球は消え、辺りは静寂に戻る。

 しかし、メルは咳き込み嘔吐を繰り返した。それに気付いたレーベは彼女に近づいて背中をさすった。すると少し楽になったのか、嘔吐が弱まって話せる程度に落ち着いた。


「――――大丈夫。魔力を一気に使い過ぎると反動でこうなるだけ。―――ふう」


 彼女は息を整え、腰の皮袋に入った水を口にして、何度もうがいを繰り返して口の中をすっきりさせる。

 師を介抱するレーベをよそに、エイリークは開いた大穴を覗き込んでベリオールがどうなったか確かめる。

 魔人は瓦礫に埋もれて良く見えないが、動いているようには見えない。それに穴の底にある機械の中に埋もれていて、なにやら紫電を放っている。


「あれは確かこの施設の動力炉だった気がしたが――――拙い気がするのう。これはさっさと逃げるべきじゃな。おーい、お嬢ちゃんに坊主よ。今すぐここから逃げるぞい」


 エイリークの言葉に二人は頷く。しかしメルはまだ調子が戻っておらず、歩くのも辛い。だからレーベは彼女を抱きあげた。


「ちょ、ちょっと坊や!」


「僕が先生を運びますから。急ぎましょう。先生軽いから大丈夫ですよ」


 ほぼ同じ体格の師弟だが、元から鍛えているレーベなら細身のメルを運ぶのはそう苦にならない。

 柔らかい女性の身体に触れ続けているが、今はそんな感触を楽しめるほど余裕の無いレーベは小走りに来た道を戻り、階段を駆け上がる。エイリークも顎をカタカタと鳴らし、それに続く。

 レーベ達が去った後、大穴の中でスパークは次第に激しさを増し、配管を通って施設全体を揺らし始める。壁には亀裂が入り、天井は重みに耐えられず次々と落ちて行き、優れた文明の残滓を覆い隠してしまった。


 崩れ落ちる天井を避け、照明の消えた廊下を必死で走るレーベとエイリーク。メルは魔法で光源を確保している。

 動力炉から送られる暴走したエネルギーが、照明のあった場所からスパークを放つたび背筋に冷汗が伝う。一刻も早く外に逃げねば全滅だ。息苦しさに喘ぎながらもレーベは己の足を叱咤して力を込める。

 階段を駆け上がり、瓦礫を飛び越え、ゴブリンの死体などに見向きもしない。ただ、前だけを見据えて走り続けた。

 ようやく地上部分に出た頃には、既に太陽に取って代わった月が主役になった時刻になっている。

 レーベ達が夜の森に飛び込んだ数秒後、遺跡は光になって天高く登って行く。それだけに留まらず、周囲の地面が裂け、光に包まれる。

 休む暇も無いレーベ達はそのまま夜の森を走り、1メードでも光から離れようとする。

 光が収まった時、森は三分の一が消えうせて、代わりに底の見えない巨大な空洞が生まれた。

 レーベは助かったと思い、力が抜けて抱えていたメルを落とし、その場にへたり込んだ。あまりに気が抜けすぎて小便を漏らしそうだった。


「ぜひぃぜひぃ」


「落ち着いて息をしなさい。過呼吸になると余計に辛いわよ」


 先ほどと立場が逆転して、今度はメルがレーベの背中をさすって落ち着ける。その後、息を整えたレーベは体力回復用の栄養剤を飲んで落ち着いた。

 その頃には近くの村が騒がしくなり、松明を持った男衆が森の周囲で様子をうかがっていた。

 下手に森に入ってこられると穴に落ちそうだったので、メルはこちらから姿を現して注意を促した。

 突然夜中の森から傷だらけの若い男女と骸骨が出てきたので、一時村人はパニックになったが、二人がギルドの認識証を見せて、骸骨が自分が魔法で作った道具と説明する。村人達はやや胡散臭そうにしていたが、怪我人だった事もあり、事情を聞きたかったのと治療の為に二人を村に招いた。

 村の集会場に使っていた一番大きな家で簡単な治療をした二人。村長が代表で森で何があったのか尋ねた。メルは魔人の事を話さず、ただ数日前に古代の遺跡に入った同業者が生きていた施設を壊してしまい、暴走した果てに森を半分近くふっ飛ばしたとだけ伝えた。真相も大体間違っていない。

 それには村人も怒りを見せる。無理も無い。自分達の知らない所で村全体が危険に晒されていたのだ。それもゴロツキ扱いの冒険者のせいで。そのため話を聞いた村人達の二人を見る目は厳しい。ただ、それで今すぐ村から追い出そうとまではしないのは、相手が怪我人なのと集会場の外で待機している竜牙兵の姿があるからだ。村人はゴブリンぐらいなら見た事があるが、あのような骸骨の化け物を見た事など無い。その威圧感が軽挙を抑止し、二人への冷遇を思い留まらせていた。

 結局話を聞き終えた村人達は、このまま集会場で朝まで休んで行けと言ってそれぞれの家に引き上げて行った。逆に言えば朝になったら出て行けと言っているに等しいが、冬の深夜に外に放り出されないだけマシだ。おまけに暖も取れる。

 集会場に残された二人は揃って仰向けに倒れた。もう体力も精神も限界に近かった。


「死ぬところでしたね」


「そうね。久しぶりの難敵だったわ。あの魔人、若いドラゴンぐらい強かったわよ」


「先生、ドラゴンと戦った事あるんですか?」


「結構前に素材が欲しくて戦ったのよ。あの時はもっと仲間がいたから今より楽だったけど」


 師が強いのは分かっていたが、まさかドラゴンを倒せるぐらい強かったとは予想外だ。よくよく思い起こせば、出会ってからまだ三ヵ月程度。知らない事の方が多くて当たり前だった。

 レーベはもっと色々な事を聞きたいと思ったが、どうにも睡魔には勝てそうもない。何度も欠伸をしつつ、寒さに身を震わせて、囲炉裏に近づいた。


「眠いのならもう寝なさい。それと、寒いならこうするわ」


 そう言ってメルは後ろから抱き着く。レーベはドキリとするが、それより師の暖かさに安らぎを覚えた。まるで幼い頃、母に抱かれたような深い慈しみに満たされ、すぐに眠りに就いた。

 師は眠る弟子の頭を優しく撫で、消えるように小さな声で呟く。


「――――――よく頑張ったわねレーベ」


 それだけ言うとメルもまた目を閉じ、小さな寝息を立てて眠った。


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