第8話 調合の基本
ストラ湖から帰って来た翌日。
レーベは屋敷のアトリエに居た。彼がこの屋敷に厄介になってからおよそ十日近く経っていたが、この部屋に入るのは今日が初めてだ。ここは彼の師のメル専用の部屋に近く、用が無ければ立ち入り禁止を言い渡されていた。
今は調合の勉強という事で中に入るのを許されており、物珍しい道具や素材が所狭しと置かれている。それをあれこれ眺めていた。
「興味をそそられるのは分かるけど、今日坊やが使う道具はそんなに多くないわよ」
師匠に窘められた弟子は素直に前を見た。目の前には二種類の道具が二つ置かれている。陶器製の小さなすり鉢とガラス器具だった。今日使う機材はこの二つ。
「まずは調合の基本になる蒸留水を作るわ」
メルはガラス器具に水を注ぎ、容器に火を付けた。レーベも師に倣って水を注いで火を付ける。
ひたすら待ち続けていると、温められた水が沸騰しだして、湯気を出し始める。この蒸気は上に上って行き、容器に繋がったガラス管を通って、もう一つのガラス容器へと導かれる。そちらの容器は冷水に浸かっており、流れてくる蒸気が冷やされ凝縮、再度水へと戻る。
「これが蒸留水の作り方よ。水の中の不純物を取り除いて調合に適した水を作るの。雑味が無いから飲み水にしてもいいわよ」
冗談交じりに出来上がった蒸留水を差し出されたがレーベは遠慮した。
出来上がった蒸留水は専用の容器に移し替えておく。そして今度はちゃんと覚えたのか確認として、レーベ一人で蒸留水を作る事になった。当然、水を入れて火にかけるだけなので間違える事は無かった。勿論冷却用の水もしっかり用意してある。
出来上がった蒸留水を見て、師匠は『合格』と言って弟子の頭を撫でたが、レーベは子供扱いされたみたいで恥ずかしかった。褒められるのは嬉しいが、せめてもう少し年相応の扱いをしてもらいたいと思った。
「私から見れば坊やなんて子供どころかヨチヨチ歩きの赤ん坊よ。一丁前に扱ってもらいたかったら十年後に出直しなさい」
飄々と抗議を跳ね除けたメルはガラス器具と蒸留水を片付けて次の作業に移った。
次の調合はクラックの実を使う魔法具『クラッカー』の作成だ。こちらは既に屋敷の森で採れたクラックの実が用意してある。
「この実を見た事はあるかしら?」
「あります。触るとバンって爆ぜて種を飛ばす木の実ですね。食べられないし、何の役にも立たないと思ってました」
レーベの言葉に同意したメルはブドウと同じぐらいの大きさの実を一つ摘んで力を入れた。途端に実は爆ぜて、種を四方八方に飛ばす。
「そうね、木を材木にするぐらいで実は食べない。間違って食べると口の中が大惨事になるし、美味しくないわ。でも武器にはなる」
その事はストラ湖で十分証明して見せた。あれをモンスター相手に使えば弱い相手なら容易に討伐出来る。ゴブリンなら確実に倒せる。オークでもそれなりの手傷を負わせられるだろう。一種の魔法と思っていい。遠距離攻撃に乏しい剣士のレーベにはこういう武器が一つ二つあると戦いの幅が広がる。
メルは今度は実を刺激しないように慎重にナイフで切り込みを入れる。それから中にぎっしりと詰まっていた種を取り出して、すり鉢に入れる。これを五回繰り返して種を取り出した。レーベも教えられた通りに種を取り出すが、二つは力の加減を誤って爆ぜてしまった。中々難しい。
「ここで魔力を込めながらゆっくりと、そして慎重に磨り潰していくの。魔力の込め方はこれから教えるわ」
そう言ってメルはレーベの後ろに回って手を握る。彼女の黒髪が首筋に当たるほど身体が密着する。レーベは慌てるが、メルの方は淡々としていた。
「変な想像しないの。こうやってくっ付いていれば魔力が籠っているか分かりやすいのよ。それとも、一回出してから心を静めて作業する?」
「い、いいです!そのまま作業しますから!えっと、魔力魔力と…こうかな?」
女性らしい匂いと柔らかな感触に気を取られつつも、レーベは何とか平常心を保ちながら言われた通り、身体の中にある魔力を手から外に出すような感覚で意識を集中した。
師に触れられている手に、彼女の体温とは違う温かみを感じる。本能的にこれが魔力だと確信した。そしてそのままの状態ですり棒を持って種を潰していく。
「ええ、それでいいわ。ただし込める魔力は多すぎても駄目、少なすぎても駄目。常に適量を込めないと種が駄目になるわ」
吐息が首に当たって動揺して集中力が切れてしまい、魔力が少ないと叱られたが、気を持ち直してどうにか種を磨り潰し終えた。
磨り潰した種は空になった実の部分に入れ直す。そしてパンパンに入ったら、切り口に糊を塗った紙を張って閉じる。
これを五回繰り返して、加工した実を全て布袋に入れて硬く紐で縛れば『クラッカー』の完成だ。
「初めてにしては上出来よ。やっぱり坊やは調合の才能があるわ」
やはり頭を撫でられるのは恥ずかしいが、師の肌の心地良さは捨て難い。葛藤に苦しむレーベを無視して、メルは見本で砕いた種を見に入れ直し、紙を貼って同じ物を作った。その手際は恐ろしく正確で速かった。曰く、慣れれば一日でクラッカーを六個は作れるらしい。尊敬のまなざしを向けると、彼女は苦笑して『こういうのは慣れ』だと当たり前のように言った。
「ところでどうして実は五個なんですか?数を少なくしたり、多くしたらどうなるんです?」
「少ないと上手く爆発しないのよ。逆に多すぎても変なタイミングで爆発して投げる人間が怪我をするの。五個が一番扱いやすい量って事」
こうした量を見極めるのは実地試験を繰り返すしかないらしい。先人の知識には頭が下がる。
出来上がった二つのクラッカーは今日の記念にとメルの手からレーベに渡された。明日、都合の良い依頼があれば使ってみるのもいいかもしれない。
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翌日、数日振りに冒険者ギルドに顔を出して、いつものようにゴブリン討伐の依頼を受けた。
そして、いつも通り家畜の内臓を囮にしてゴブリンの食料調達班が来るのを待った。
予想通りゴブリンがやって来た。今回は四体と若干少ないがそれでも構わない。
「じゃあ、あれに向かって投げてみなさい。投げる時に魔力を込めるのを忘れないように。そうしないと爆発しないわ」
教えられた通り、手に魔力を込める。するとクラッカーは光を纏い、小刻みに震え出した。これが起動した証拠だった。
レーベはすぐにゴブリンの集団の真ん中に投げる。狙い通りクラッカーは豚の内臓の上にボトっと落ちた。ゴブリン達は首を傾げたが、次の瞬間周囲に炸裂音が鳴り響き、森の野鳥達が空へ逃げ惑う。
四体のゴブリンはふっ飛ばされて地面に転がり、血塗れで痙攣していた。そのまま待っていると次第に四体とも動かなくなる。
「―――こんな簡単に倒せるんだ」
「そうね。ゴブリン程度だったら一撃よ。まあ、オークぐらいになると、怪我ぐらいはしても死ぬ事はまず無いわ」
直接剣で殺さないので返り血を浴びないのは便利だと思う。それに剣の届かない位置から攻撃出来るのは安全で良い。
クラッカーはもう一つ残っていたので、再度おびき寄せて、もう一度ゴブリンの集団に投げて全滅させると、この快感が癖になりそうだった。
「―――いい」
「それは良いけど、変な方向に染まるのは止めてよね」
師匠の呆れた声が辺りに響いた。
妙な性癖に目覚めそうな弟子を危うく思いながらも二人はゴブリンの巣に突撃した。流石に閉所で使うと衝撃が逃げずに自分達も危険なので禁止令が出されたので、剣と竜牙兵を使って殲滅してきた。
ギルドの依頼完了の報告をして屋敷に帰る間、二人は雑談をしていた。
「先生、調合って面白いですね」
「気に入ったのなら、これからも色々な薬を教えてあげるわ。今度は傷薬とか解毒剤がいいかしら」
弟子が自分の生業を楽しいと言ってくれたのが嬉しかったのか、メルもいつもより楽しそうにしている。ただし、爆弾の類を教えないのは妙な性癖を疑って、ブレーキを掛けているのだろう。死霊術を扱っている割に彼女の気質は善性な気がする。
メルはレーベの事をあくまで冒険者としての弟子であり、精子供給源としてしか見ていなかったが、調合師としてそれなりに才覚があり、本人もそこそこやる気があるようなので、今後はもう少し手解きしてやってもいいと考えを改めた。
その意識の変化は屋敷の駄メイドのムーンチャイルドにも知られて弄られたために、メルは度々折檻を与えるのだった。
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