第5話 駆け出しの仕事・前編
魔女メルに冒険者の弟子入りした家出少年レーベは夜明け前に目覚めた。彼は一振りのミスリル銀の剣を持って屋敷の外に出る。
秋の夜明け前は寒さで身が縮こまるが、彼は構わず剣の稽古を始めた。
実家に居た時から毎日欠かさず行う。稽古は業を磨くのもあるが、一日の調子を確かめる確認作業でもあった。
一時間の鍛錬で十分に身体がほぐれて調子が平常なのを確認したころには夜が明けていた。
鍛錬を終えて、近くにあった井戸から水を汲んで身体を拭こうと思ったら先客が居た。水を汲んでいたのは骸骨だった。彼?は桶に水を張ると、レーベの前に差し出す。
「あの、ありがとう」
レーベの礼に骸骨は無言で立ち去った。少年も無言で身体を拭いて屋敷に戻った。
食堂のテーブルには朝食用の食器が用意してある。これらは全て屋敷の備品の骸骨兵が用意した物だ。そこに激しい違和感を感じるレーベだったが、生きている使用人か死んでいる使用人が用意したかの違いでしかないと、己を誤魔化して昨日と同じ席に着いた。
少し待っていると、家主と師である魔女メルが入って来た。
「おはようございます、メル先生」
「おはよう坊や、良い朝ね。そうそう、坊やの精子すごく良かったわよ。流石に若くて育ちが良いだけあって鮮度が良いわ。あれなら品質の良い薬が作れるでしょう」
「はあ、ありがとうございます?」
褒められているのは分かっているが、少しも喜べないレーベだった。
上機嫌のメルとは対照的なレーベだが、気を取り直して並べられた朝食に取り掛かる。今日の朝食もおいしそうだった。
食事を終えて準備を整えたレーベとメル。屋敷の外には既に魔法生物『骨の鳥』が待機している。
「じゃあ、行ってくるわ。留守番をお願いね、ムーンチャイルド」
「いってらっしゃいませ、マスター、レーベ様。お弁当楽しみにしてください」
「ありがとうございます、行ってきます」
外まで見送りに来てくれた辛辣美女メイドの自動人形ムーンチャイルドに手を振られて二人を乗せた骨の鳥は飛び立った。今日は少しは慣れたのか、震えは弱かった。
再びマイスの街にやって来たレーベ達は寄り道せずにそのまま冒険者ギルドへ来た。昨日と同様にギルドは独特の熱気に包まれており、荒くれ者の冒険者達は稼ぎの良い依頼を我先に手に入れようと依頼表に人の生垣を作っている。
冒険者達はレーベ達の姿を見ると、すぐさま視線を逸らすか小声で何やら内緒話を始めた。彼等が気にならないと言えば嘘になるが、今は目の前の依頼を受ける事が第一なので無視した。
「それで、先生。今日はどういう依頼を受けるんですか?早くしないと良い依頼が無くなりますよ」
「そんなに急かさなくていいわよ。今日はゴブリン討伐の依頼だから最後まで残ってるわ」
ゴブリン―――それは成人男性の腰ぐらいまでの大きさの人型モンスター。知性はオーク並で人より劣るが残忍。体力も低く、魔法のような特殊能力も無い。精々勝っているのは旺盛な繁殖能力と成長速度ぐらいだ。討伐懸賞金は銅貨で三枚。オークの銀貨五枚に届かせるなら最低でも十七体も倒さねばならない。いくら弱くてもこれは少々手間である。ちなみに銅貨十枚で銀貨一枚のレートだ。
おかげで倒しやすくてもゴブリンは冒険者の依頼の中では人気が低く、大抵最後まで売れ残っている。だから大した武器を持たない駆け出しが担当するモンスターだった。
レーベはゴブリンと知って些か拍子抜けしたが拒否はしなかった。師の言う事に不満を述べるのは拙いし、オークでの失敗を考えれば、まずはゴブリンで経験を積む方が正しい気がする。
二人はそのまま冒険者が少なくなるのを待って、ゴブリン討伐の依頼を受けた。残っていた冒険者は身なりの良い駆け出しと第二級の魔女がゴブリン討伐を受けて鼻で笑っていたが、レーベは大して気にしなかった。
依頼を受けた二人は、さっそく現地に赴くと思われたが、その前にやる事があると言ってメルは街に留まった。
彼女が立ち寄った所は街の肉屋だった。
「あの、先生。何で肉屋に?」
「ゴブリンの主食は人間や動物の肉よ。あいつらは悪食だから腐った肉でも平気で食べるし鼻が利く。だからおびき寄せるには動物の肉が一番効果的なの」
つまり、むやみやたらに討伐対象を探すより、餌を用意しておびき寄せる方が効率が良いというわけだ。出来る限り無駄な労力を避けるのも冒険者の知恵なのだろう。
肉屋の店員は冒険者相手に慣れているのか、わざわざ捌いた豚の中でも古くて悪臭のする内臓を選んでくれた。どうせ捨てる予定だったので、革袋一杯の内臓でも銅貨一枚で売ってくれた。
餌を確保した二人は改めて『骨の鳥』に乗って現地へと向かった。
マイスの街からやや離れた森の前に二人は降り立つ。近くの農場の住民の目撃情報では、この森にゴブリンが度々入って行ったらしい。つまり連中の住処がある。
メルは森の前で革袋から腐りかけの豚の内臓を半分程ぶちまけた。それからレーベに近くの大きな岩の影に隠れるように指示した。
暫く待っていると、森の中からぞろぞろと浅黒い肌の小人が五名ほど出てきた。あれがゴブリンだ。奴等は全員が手に木や動物の骨の棍棒を持っている。連中もオークと同様に道具を作る知性は無いが、物を握るぐらいの事は出来る。
彼等は豚の内臓を見て、さっそく飛びつこうとしたが、集団の中で一番体格の良いゴブリンに蹴り飛ばされて、不承不承ながら食べるのを止めた。おそらく、あの大きな個体が集団の長だろう。
「さあ、出番よ坊や。あのゴブリン共を蹴散らしてきなさい。援護に一体着けておくから背中は心配無いわ」
メルは地面に白い骨を落として詠唱する。すると骨はみるみるうちに体積を大きくして人型をとる。
「竜牙兵『ドラゴン・トゥース・ウォーリア』よ。ゴブリン相手には過剰でしょうけど、備えあればなんとやらよ。しっかりやりなさい」
少々過保護と言えなくも無いが、気遣いはありがたく受け取っておいた。
レーベは疾走する。狙いはゴブリンのリーダー格。集団戦の基本は迅速に頭を潰す事。これは実家で再三に教え込まれた鉄則だ。
彼の装備は防御より速さを重視している。鉄以上の強度を持ちながら三分の一以下の重量のオリハルコンの軽装鎧に、同じくオリハルコン製のサークレット型の兜を着けて防御を固めている。
剣も取り回しを重視したショートソード。こちらはミスリル銀製の業物。ミスリル銀は鉄と同程度の重量だが、錆びず、朽ちる事の無い性質から、古来より邪を払う聖なる金属と言われ、その上、極めて切れ味の良い刃物になる。
これにより餌の確保に夢中のゴブリンが気付く前に、速さの損なわれないレーベが一足飛びでリーダーのゴブリンを切り伏せた。
乱入者によって後頭部を両断されたリーダー。呆気にとられるゴブリン達。そのまま周囲のゴブリンを二体ばかり薙ぎ払いで切り捨てたレーベ。
時は動き出し、ゴブリンの絶叫が響き渡る。彼等はリーダーの死に怒ったのではない。自らに這い寄る死の恐怖に慄き、レーベに襲い掛かった。が、一足遅く追い付いた竜牙兵の拳がゴブリン一体を絶命させる。
それから先はただの蹂躙でしかない。統制を失い、個々に襲い掛かるゴブリンは背中合わせで迎撃するレーベと竜牙兵によって瞬く間に駆逐された。
全滅したゴブリン共を前にレーベは深呼吸して気を落ち着ける。オークに比べれば格段に弱いが、命のやり取りは神経をすり減らす。
「おつかれさま。じゃあ、もう一度やりましょうか」
「え?あれで終わりじゃないんですか?」
「食糧調達班は一つと限らないわよ。この森の規模ならもう一つ二つぐらいあってもおかしくないわ」
師の忠告により、殺戮現場から離れた場所で、再度餌の肉を撒いてゴブリンの群れを釣った。
次の群れは七体と最初より多かったが、こちらも難なくほぼ全滅出来た。『ほぼ』というのは、何故かメル師が一体だけゴブリンを無傷で捕らえて魔法で眠らせた事だ。なぜそんな事をするのかレーベは不思議がったが、彼女は何も教えてくれなかった。
それから三度目の釣りを始めたのだが、待てど暮らせどゴブリンはやって来ない。
「来ませんね」
「そうね。ここの群れの調達班は二つだけだったみたい」
当てが外れたメルだったが、彼女はさして悔しくなかった。
「それじゃあ、先に昼食にしましょう。休憩を取った後に、こいつの使い方を教えてあげる」
魔法『スリプル』によって眠らされたゴブリンを放って置き、二人は毒舌メイドのムーンチャイルドが作ってくれた弁当を広げて食べ始めた。
弁当の中身は妙に肉が多い。それが豚の内臓やゴブリンの死体を連想させるが、味や匂いは文句のつけようの無いほどに美味しかった。メルから言わせれば、メイド人形のちょっとした嫌がらせらしい。
主従関係とは何なのか、レーベは真剣に悩んだ。
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