第29話
「お、戻ったか。シルビア、シャル」
階段を降りて戻ってきたアルベール姉妹に気付き、声を掛けるエマ。
「ただいま。色々あって、仲間が増えたわよ」
「仲間?」
眉をひそめるエマに、シルビアは背後を指差して見せる。
「おぉ、アリスにサクラさんに……何か沢山居るな……」
苦笑を浮かべてそう言ってから、エマはその中に見覚えのある人物を見つけ、表情を引き締めた。
「お前――!」
エマが強い足取りで歩み寄った相手は、ノアであった。
「誰だ?ボクに何か用かい?」
「忘れもしねぇ!お前ロコン村を襲った奴だろ!」
それを聞いて、ノアはつまらなさそうに鼻で笑う。
「あぁ、あの村の生き残りか。よく生き延びたね」
「てめぇ――!」
悪びれもせずに飄々としているノアに逆上するエマ。
「待って」
二人の間に割り込むように入り、今にも殴り掛かりそうになっていたエマを止めたのは、シャルロットであった。
「シャル……!」
「あなたの気持ちはわかるわ。でも、あなたがこいつに挑んだ所で、返り討ちに遭うのは試さなくたってわかる事よ」
「でも――!」
「良いから落ち着きなさい。ほら、深呼吸!」
エマの頬を両手で挟むようにパチンと叩き、いたずらっぽく笑うシャルロット。
彼女のそんな態度に、エマは一人で逆上している事が恥ずかしく思えてきたらしく、ノアにぶつけようとして上げていた拳をゆっくりと下ろした。
「ちっ……。わかったよ……」
「ふふ、それで良いのよ。エマ」
にこっと笑いかけるシャルロット。
すると、そのやり取りを少し離れた所から見ていたサクラが、シャルロットには聞こえないようにこう呟いた。
「随分と大人しいですね。何だかイメージに合わないような……」
「あんたもそう思う?」
隣に居たシルビアが、いつの間にか火を点けていたタバコを咥えたままそう答える。
「と言うと?」
サクラは横目でシルビアを見ながら訊き返す。
「確かに今は争っているような状況じゃないわ。優先すべきはエヴァとかいう女の企みを阻止する事」
「えぇ。それは勿論――」
「それでも、あいつは我慢できる程大人じゃないわ。一発殴りでもしないと気が済まないんじゃないかしら」
「え?」
その時、シルビアの予想通り、シャルロットは突然身を翻して振り向き様にノアの頬に大振りなフックをお見舞いした。
「……ほらね」
「……」
「な、何すんだよ……!」
「何すんだ――ですって?」
シャルロットは怒りにひきつった笑みを浮かべながら、派手に倒れてその体勢のままこちらを見上げているノアに向かって歩いていく。
「成り行きで協力する事になったとは言えね、私はあんたを許す気はこれっぽっちも無いのよ。あんたはロコン村に住んでいた何の罪も無い人達を殺した。今のフックじゃ物足りないくらいよ」
「上等だよ……。ボクだってフォートリエ様の命令だから従ってるまでだ。それさえ無ければ、お前なんか殺したって構わないんだぞ」
「言ってくれるじゃない。なら今ここであんたを――」
「そこまでよ。シャル」
一触即発の二人を、シルビアが止めた。
「今は優先すべき事があるでしょう」
「シルビア、あなたはこいつを許すというの?」
「許さないわよ。そんなの当然じゃない」
強い口調でそう即答され、シャルロットは少し気が引けて黙り込む。シルビアは続ける。
「でも、私は復讐なんてマネをするつもりは無いわ。彼女を殺した所で、ロコン村のみんながかえってくるワケじゃない」
「……」
「――まぁ、一発ぶん殴ってやろうかとは思っていたけど、それもあなたが今やってくれたからね。とにかく、今はユーティアスに向かうわよ。異論は認めないわ」
「……わかったわよ」
肩をすくめて、溜め息をつくシャルロット。
「勝手なマネをした事については謝るわ。――でも、私はあなたみたいに割り切る事はできない性分なのよ。それについては、同意するつもりは無いからね」
「知ってるわ。勝手にしなさい」
二人の会話はそこで終わる。
まだ腹の虫がおさまっていないノアの元には、アリスが歩み寄っていった。
「ノア」
名前を呼ばれ、ノアは一瞬だけそのままの鋭い目付きでアリスを見たが、すぐに表情を平常通りのものに戻した。
「フォートリエ様……」
「あなたがシャルと喧嘩をしたら、それはエヴァにとって都合の良い事態。――勝手な事を言って申し訳ないとは思ってる。でも、今は抑えてほしい。お願い」
「……すみません」
ノアは驚く程にすんなりと、頭を下げた。
「感情的になって、思わず現状を忘れてしまった」
「頭を上げて?ノア。私なんかの言う事を聞いてくれて、ありがとう」
「滅相もないです……」
一連の騒動が治まった所で、ずっとそのやり取りを見守るように見ていたマリエルが、ほっと胸を撫で下ろす。
「良かった……。喧嘩にならなくて……」
その言葉を聞き、側に居たリナが呟く。
「殴られてたし、喧嘩にはなってたんじゃないかな」
「一方的な殴られ損――だけどね」
くすりと笑うルナ。
すると、マリエルはにこにこと愛想の良い笑顔で、二人にこう言った。
「ノアさんって、大人なんだね!怒りを抑える事ができるなんて、凄い事だと思うな!」
その言葉を聞いて、リナは呆然とした後、難しい表情になる。
「大人っていうか……」
「ただのバカ」
ルナは無表情で、ぼそっとそう呟いた。
一同は屋敷を後にして、ユーティアスへ移動を開始する。
「ノア」
シルビアが振り返り、かなり後ろを歩いているノアを呼ぶ。
「……なんだよ」
「あなた、足には自信がありそうね。先に行って頂戴」
「はぁ?」
「私達人間がどんなに全力で走った所で、限界はあるわ。でも、ヴァンパイアであるあなたなら、幾ばくかは早く到着するでしょう」
「先に行って何をすれば良いんだ?」
「エヴァを止めるのよ」
シルビアがさらっと言ったその言葉に、ノアは苦笑を浮かべる。
「……一人で?」
「あら、自信が無いの?さっきシャルと睨み合ってた時の威勢はどこに行ったのかしら?」
シルビアは微笑しながらそう言って、ノアを煽る。
しかし、ノアは珍しくその挑発に乗らず、鼻で笑ってこう答えた。
「エヴァとこいつじゃ比べ物にならないよ。こいつには負けるとは思わないが、エヴァにサシで挑むのは御免だね」
「こいつこいつって、黙って聞いてれば――」
ノアに向かって行こうとしたシャルロットを、シルビアががっちりと掴んで止める。
「そう言う事じゃ仕方ないわね。諦めるわ」
「待ってください」
それはサクラの声であった。
「私も同行しましょう。これでも、足の速さには自信がありましてね」
「半端者が付いた所で勝てる相手じゃない。それはお前も知ってるだろう?」
嘲笑するノア。気に触るその言い方を気にもせずに、サクラはくすくすと笑い返す。
「ふふ……。確かに、半端者に卑怯者じゃ、組んだ所で仕方がありませんね」
「誰が卑怯者だ!」
そのままシルビアの提案は無かった事になろうとしていたが、サクラの他にもう一人、立候補する者が居た。
「私も行く。三人なら、何とかなるんじゃないかな」
そう言ったのは、ルナであった。ノアが眉をひそめる。
「確かにお前なら身体能力は問題無いが、お前達双子が分かれて戦えるのか?」
「大丈夫。あなたと違ってルナは優秀な子だから」
「バカにしないで。バカのクセに」
「(畜生どいつもこいつも言いたいだけ言いやがって……!)」
溢れる怒りを必死に抑えるノア。
「リナ。あなたも私達と来れば良いのでは?」
サクラがそう提案するが、リナは静かに首を横に振る。
「私はあなた達みたいに速く走れないから。フォートリエ様の護衛に回る」
「足の速さなら問題ありませんよ」
「?」
「ノアがおぶって行けば良いのです」
「そっか」
「ちょっと待て!そっかじゃないだろ!」
勝手に進んでいく二人の会話に、ノアは思わず割り込む。
「そうすれば何も問題無いじゃありませんか。この双子はやはり、二人揃っていた方が力が発揮されますし」
「じゃあお前がおぶってけば良いだろ!どうしてボクが――」
「私は半端者ですからね。力も半端。つまり、完全なヴァンパイアであるあなたが背負うべきなのです」
「知るかそんな事!ルナ!リナはお前の姉だろ!」
「無理。体格考えて」
「あぁもう!こいつらホントに――!」
強引で一方的な提案に、ノアは苛立ちを抑えられなくなっていくが、アリスの手前、必死になんとかそれを抑える。
「私からも頼むわ。人数は多い方が良いでしょうし。アリスの護衛は私達に任せなさい」
シルビアにもそう言われ、ノアは観念したのか、溜め息をついてから小さく頷いた。
「わかったよ……ボクがおぶってけば良いんだろう……?」
「私達もなるべく急ぐよう努力はするわ。それまで、頼むわよ」
「はいはい……」
ノア、サクラ、リナ、ルナの四人が、アルベール姉妹の横を通り過ぎていく。
「それでは、行きましょうか」
長い髪を紺色の紐で縛って纏めながら、サクラが他の三人に呼び掛ける。
「あぁ、行こう。――しっかり掴まってるんだぞ。落ちても拾わないからな」
「落ちるもんか」
ノアと、彼女に背負ってもらっているリナ、そしてその側で準備運動として屈伸をしているルナ、三人共に準備は完了している。
それを確認したサクラは、先頭に立って移動を開始した。走り出したサクラを見て、他の二人もその場を後にする。
彼女達の姿は、あっという間に見えなくなった。
「ま、流石はヴァンパイアね」
「ねぇ、私ふと思ったんだけど……」
四人が見えなくなるのを待っていたかのように、シャルロットが口を開く。
「あの双子、私達と戦った時みたいに一つになっちゃえば良かったんじゃないの?リナって方が走れないだけなんでしょ?」
「あぁ、そういえばそうね」
シルビアは大して興味も無さそうにそう返事をした後、こう続けた。
「まぁ良いんじゃない?頭は足りてないけど、体力だけはあるみたいだし」
「酷い言い様ね……」
一方、アルベール姉妹とヴァンパイア達が一連のやり取りをしていた時、アリスとマリエルの二人は、一同から少し離れた場所で会話をしていた。
その内容は、マリエルが抱いたとある疑問についての事。
「ねぇアリス。さっきから、みんながあなたの事を"フォートリエ様"って呼んでるよね……?」
マリエルは、何か恐ろしい事を訊こうとしているような、不安そうな表情をしている。
アリスはその表情を見て、彼女が大体の事には気付いているという事を察し、小さく頷いて見せた。
「私はお母さんから、ヴァンパイアの長の地位を受け継いだ。お姉ちゃんもフォートリエの血筋だけど、あの場に居たのは私だけだったから……」
「待って。受け継いだって、つまり――」
「……うん。お母さんは死んだ。エヴァって女に殺されたの」
すると、マリエルは意外にも驚いたような素振りは見せずに、ただ哀しそうに弱々しい笑みを浮かべた。
「……そっか」
「……」
アリスはかける言葉が見つからず、何も言わずにマリエルを見つめる。
「こうなる事はわかってた。シルビアさんとシャルロットさんから話を聞いた時から。――他の人にやられたっていうのは予想外だったけど」
「私は、そのエヴァって女を倒す。これはお母さんの意思でもあるから」
「お母様の意思?」
「エヴァは沢山のヴァンパイアを復活させて、ヴァンパイアの頂点に立とうとしている。もしそうなったら、フォートリエの歴史は終わってしまう。――だからお母さんは、私に力をくれた」
「アリス……あなた……」
「私はお母さんの意思を受け継いで、フォートリエの歴史を守る。そう決めたの」
アリスの話を聞いたマリエルは、そこで初めて驚いたような素振りを見せた。
その表情を見て、アリスは思わず訊く。
「……どうしたの?」
「いや、そのね――」
マリエルは気まずそうにアリスから視線を外し、答えた。
「立派だな――って思ったの。私なんか、自分にヴァンパイアの血が流れてるって事を聞いただけで動揺したって言うのに。何だか自分が情けなく思えてきちゃった……」
「お姉ちゃん……」
「ごめんね……辛い役目を引き受けさせちゃって……。本当は、姉の私が戦うべきなのに……」
思わず、涙声になってしまうマリエル。
「……大丈夫」
アリスはマリエルを安心させるように笑いかけ、こう続けた。
「私はこの道を自分で選んだんだから。後悔なんて無い。だから、謝ったりしないで」
「……ありがとう」
自分自身への嘲笑、妹への感謝。マリエルが浮かべた笑顔は、その二つが混じったものであった。
哀しいような、嬉しいような、そんな複雑な笑顔であった。
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