1枚目:その求人、マニアックにつき-2
保育所から高校までずっと一緒で、大学でついに分かれたと思ったら最寄り駅は同じだった、そういう腐れ縁だこの幼なじみは。
そのおかげと言っていいのか分からないが、ずけずけと僕のプライバシーを詮索するし、あれこれ聞いてくれとも頼んでないのに勝手に探って無遠慮に解決してしまう。
困ったことに僕限定の親切屋らしいのだけど。
今日も今日とてデリカシーの欠片もなくああだこうだとわめき散らして僕の金欠具合を探り当てると、なにも言わずに諭吉を三枚握らせてきた。
……いやいや、それは困るって
「旭は受験料貸してくれたやろ? あれのお礼」
「いやあれはもう返してもらったし、悪いからいいよ。ほんまにどうにもならんかったら貸して?」
「いいってば」
「いやいやいやあかんって、親しき仲にも礼儀あり……違うなこれ。えーと、なんや、その……」
「金は天下の回りもの?」
「全然違う。とにかく一回返すから。ていうか今三万もらっても最終的にどうにもならんねんて。なんか儲かるバイト知らん?」
「マグロ漁船?」
「もう少しソフトな感じで」
んー、と唸った後で、真砂は何かを思い出したように手を打った。
こういうベタな所作をいちいちするのだこの子は。
そのせいで昔は色々あったもんだが、変わらずその仕草が癖付いてくれたことに少し安堵する。
「これとか? うちの大学で今話題になってる、頭おかしい求人」
「頭おかしい求人?」
真砂はK芸術工科大に通っている。
見せてくれたのは、そこの掲示板にあったという求人貼り紙をスマホで撮影したものだった。
拡大して、文字を読んでいく。
「付き人・アシスタント募集、ねえ」
条件:三宮徒歩圏内居住、十八歳以上(高校生不可)。資格等は不要。
工房NAGI代表のアシスタント業務がメインです。
撮影助手と撮影地調査の他、軽微な事務雑務をお願いします。九月末までの期間限定、週二日程度から可。
時給三千円から応相談。採用祝い金二十万円あり。
「……時給三千円?採用祝い金??」
「それ、あまりにも条件がいいから中央区民の芸工大生みんな狙ってんねんけど、誰も面接まで行けてないねん。それ以前のとこで落とされてんねん。なんか一次試験がめっちゃ難しいらしくて」
「試験? 面接じゃなくて?」
「そ。……この写真のアングルが見える場所に来いってさ」
スマホの画面に写し出されたのは、とても古い写真だった。
求人チラシと一緒に貼られているそうだ。
白黒、それも損傷が激しく、下半分はほとんど見えない。
どこかの街並みのようだが、判然としない。そもそも現存する景色なのかも怪しい。
でもなんとなく、分かるような気が、する。
「とりあえず送ってくれへん? ちょっと考えてみる」
時給も祝い金も欲しいのは本心で。
しかし、単純な好奇心が僕の中で顔を覗かせていた。
塾講といっても授業をするようなものではなく、高校生の英作文指導と添削だ。
最初の十数分こそ簡単なテーマ解説をするが、噛み砕かれたマニュアル通りに進めるだけ。少人数のクラスで、生徒達が成果物を持ってこない限りはやることもない。
そんな環境にあって、僕の意識があの高額報酬バイトの課題に吸い寄せられたとしたって、咎められるいわれはないと思う。
……いや本当は駄目なんだろうけどさ。
どうにかこうにか二コマを終えた後はダッシュで帰宅し、北野坂を駆け上がってマンションへ辿り着く。
ロビーでエレベータを待つ間、そもそも写真についての基礎的なことを調べてみた。
カラー写真の普及は一九七〇年代になってからのことだそうだ。それより前から技術としては存在したが、現像環境の整備や一般への広まりなどの要素を考慮すれば、一九六〇年代はまだまだ白黒写真主流の時代と思っていいだろう。
ラップのかかったオムライスをチンしながら、さらに思考を深める。
お題の写真がわざと白黒加工されたものでないという保証はどこにもないながら、まずはあれは現物そのままの色味だと仮定して推理を始めることとする。
スプーンを入れてチキンライスと卵を口に入れる。美味い。
思考作業はそのまま継続。
わざわざこんな写真をお題にするということは、今はなきものが手がかりなのではないかと推測される。つまり、代替わりした象徴的な建物や、あるいは特定の時期にのみ掲出された看板などだ。
しかしながら、この写真の構図ではなにがメインの被写体なのか分からない。劣化も激しく、なにかしらの建物が複数写っていることしか分からない。
どうしたもんかと画面を睨みながらオムライスを食べていたら、ちょうど風呂から上がってきたところの母に見つかり怒られた。
「旭、食べるか見るかどっちかにしなさい」
「ごめーん」
一旦食べる方に全てを注ぎ込み、皿を持ち上げて口へ流し込む。
麦茶を一気飲みして手を合わせ、ごちそうさま。
軽く水洗いした食器類を食洗機へ投入し、自分のベッドへ一目散。
このマンション、大人四人が住めるようなサイズではない。
リビングダイニングとキッチンを合わせて十二畳ほどある以外は、六畳弱の洋間が二つあるだけ。
部屋割りはすったもんだしたものの、僕と姉が同室ということで落ち着いた。
僕は全然納得してないけど。
そんなわけで真にプライペートな空間はベッド上だけ。勉強用のデスクさえまともに置けないので、外でやるか、もしくはひたすら座ってテキスト読み。
今はスマホの中の写真さえ見れればいいのでなんでも構わないけど。
ぐっと腕を伸ばすと、そのまま背中を反らせて後ろへ倒れる。
姉はまだ残業から帰ってこないだろうし、しばらくこのストレッチをしながら謎解きの続きに勤しむとしよう。
といっても、手がかりはなにもないんだけれど。
目一杯にズームして顔を近づけても分からないので、逆に腕を伸ばせるだけ伸ばして遠目に見てみる。
……だめだ、分からん。
「っと、うぇっ……」
手が滑った。
鼻柱を直撃したスマホを拾い上げて片目で画面を見て、違和感に気づいた。
というか、閃いた。
この写真、上下が逆だ。
そうと仮定して見れば分かる。
地面と思っていたものは空中の設備だ。
写真から推測されるような時期に、こんなに密集した電線を必要とするものはそう多くない。
ホームボタンを押して、もしやと思ったそのキーワードをChromeのアドレスバーに突っ込み、スクロールすること五回。
「あった……!」
神戸市電。
当時、東洋一とも言われた路面電車。
その通常運行の姿を写した一枚を、わざわざ加工したもの……それがこのお題だ。
ヒントになるキーワードは分かった。
元になる写真が見つけられればこの勝負には勝てる。
そして幸運なことに僕はそれがありそうな場所を知っていた。
ベッドから跳ね起きて部屋を出る。
そしてそのまま短い廊下を右に曲がり、スライド式の扉を開いた。
この家にはアンバランスなほどの大きなウォークインクローゼット。これこそ、姉がこのマンションを買うことを決めた理由。
そこは思い出箱なのだ。
僕らがみんな大好きだった父の思い出を全て入れておける部屋が欲しいと言って、姉は物件を探していた。
前の家はそもそも父と暮らした家ではなかったから、特に愛着を持ってはいなかった。
働き者の父を失った我が家が毎日を過ごすには、最初の家は大きすぎ、同じ町内の小さなアパートに移って数年経っていた。
父の遺品を捨てられない姉は少し離れたところへトランクルームを借りて、そこに思い出を全て保管していた。
それらを全て綺麗に仕舞いなおしたのがこの思い出箱だ。
神戸が好きで、神戸のために働くことを選び、不慮の事故でこの世を去った父がどれだけ神戸を愛していたかということは、この部屋に詰め込まれたものを見ればすぐに分かる。
書籍からグッズ、写真、新聞の切り抜きに至るまで、父が誇らしいと思った神戸が全てここにある。
そして僕の記憶が確かなら、神戸市電の本もいくつかあったはずだ。
「……なにしてんの、旭?」
今帰宅したらしい姉が訝しげに僕を呼ぶので思わず肩がびくりとなるのを抑えられなかった。不覚だ。
しかしいいところに帰ってきてくれた。
「市電の写真集みたいな本、どこやっけ?」
「ああ、出したるわ。待っとき」
スライド式の本棚の奥から、迷うことなく一発で出してくれたそれこそ僕が探していた一冊。
「さすが、ありがとう」
「うん。なんか調べもん?」
「この写真やねんけど、多分市電の写真の一部ちゃうかなって」
一刻も早く合致する写真を探したい僕は、スマホを姉に渡して自分はその場に立ったままページをめくる。
白黒の写真はどれも一緒に見えて非常に厄介だ。
見比べるためにスマホを返してもらい、姉も一緒になって床に座り込んで照合していく。
軌道らしきものの幅からして、この写真はかなり拡大して切り取られている。
故にピタリと嵌まる一枚を見つけるのは至難の業だった。
姉と二人、スマホも本もくるくる回して突合するが、全然合わない。
もしかして個人所蔵の写真で、当てようがないのではないか。
そんな無茶な課題があってたまるかと苛立ち始めたタイミングで、姉が手を止めた。
「あ、これちゃう?」
「へ?」
「ほらここ、このへんをこう切り取った感じ」
「ああああ、ほんまや、これや! 姉ちゃんすげえ!」
「どや、もっと褒めてええねんで」
「すごい! ありがとう! 助かった!」
へへんと鼻を鳴らしてみせる姉の手から本を回収し、キャプションの文字を読む。
”税関線を望む”
この場合の税関は言わずもがな神戸税関。
建物は今もほぼ同じ形で残っており、通常業務が行われている。
明日の予定は決まった。
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