pm11:30~
pm11:30
隔離室に閉じ込められている少女を、彼女は見ていた。
少女は部屋の隅で蹲り、空虚な瞳はなにも映さず、静寂に満ちるまで沈黙する。
№57・
精神感応能力者は総合的に、能力の副作用として自閉症を患う傾向が見られ、少女も例に漏れず軽度の自閉症を伴っている。
精神感応能力における他人の精神との接触は、同時に多大な情報処理を行うことであり、当然脳の負担が増大する。
その負荷を軽減するために情報交流を意識、無意識問わず、ある程度遮断しようとするため、自閉症、もしくはそれに類する症状が見られる。
所長の門野誠一は、そう研究報告にまとめている。
でも違うと思う。
人の心を直接見るのは、人の悪意を見ることだ。
おぞましい人の心の悪意を、肉体と言うフィルターを通すことなく直接感知してしまう。
だから、まだ心の弱いこの少女は恐ろしくて、悪意にこれ以上触れたくなくて、見ることも聞くことも話すことも止めてしまったのだ。
そしてそんな世界の中でも、少女は大切な人を見つけた。
自分に少し似ているような気がする。
他の実験体に比べて明らかに待遇が良く、大幅に自由行動が許されているが、本質的に隔離室に閉じ込められている少女と変わらない。
この研究所から逃げられない。
離れることができない。
自由はない。
そして自分にも大切な人がいる。
№32・
トレーナーにジーンズ姿は一般的な服装だが、白衣と病棟服が大半を占める中では寧ろ不自然で浮いていた。そのことを厭う者はいないが。
彼女は自分と、ガラスの向こう側で蹲って一寸も動かない少女の境遇とを、重ねて見ている。
番号で呼ばれ隔離室で外界と遮断された生活は、昔の自分と同じだ。
もし兄がこの研究所に上手く取り入っていなければ、今でも同じ状態だっただろう。
あるいは、なにも変わらないのか。
「美鶴、ここにいたのか」
廊下の向こう側から、兄が声をかけてきた。彼に声をかけられただけで、仲峰美鶴の心に安らぎが満たされる。
№31・
喪服のように黒いスーツを着こなした彼は、一見エリートビジネスマンのように見えるが、彼もまた実験体の一人であり、同時に職員として雇用されてもいる。
どちらが本職といえるかはわからないが。
「どうしたんだい? 美鶴」
仲峰司は妹に優しく問いかける。
だが通路と断絶するガラス壁の向こう側の少女に目を向けると、仲峰美鶴がなぜここにいるのか理解したのか、繰り返し尋ねることはしなかった。
仲峰美鶴が少女に同情しており、できれば助けたいと考えていることは彼も知っていた。
それが不可能であることも理解している。だから、ただ無事を確認しに会いに来る。
だが、それも今日で終わる。
「美鶴、これから仕事があるから、今日はもう部屋に戻るんだ」
「うん」
優しく諭す兄の言葉に従って、仲峰美鶴は部屋に戻ることにした。
七つ年の離れた兄は、いつも仲峰美鶴に見せたくないなにかが在る時、部屋に戻して遠ざける。
それはこの研究所より以前、養護施設で暮らしていた時から変わらない。
そして仲峰美鶴自身、逆らって直に目にしようとしたことはない。
大体予想がつく。
なにより自分の代わりに手を汚している兄が、そんな自分自身を一番見せたくないのだということも。
「兄さん、気をつけてね」
「ああ、わかっている」
別れ際に、仲峰司は仲峰美鶴の頬に手を添え軽く撫でた。
血で汚れた手を、彼女は拒絶せず受け入れる。
pm11:37
№13・
警備室で待機している彼に緊張感はなく、搬送時における警備体制で慌しい警備室の中で、イスの一つに腰掛けて寛いでいる彼だけが浮いているが、咎める者は誰もいない。
だが、それは彼が怠慢の特許を所有しているからではなく、基本的に警備室の部外者だからだ。
しかし追い出されないのは、彼自身の人徳ではある。
人懐っこい笑顔に、着古した背広の上からもわかるほどたっぷり蓄えた脂肪は親しみを持て、無駄話を好み、ユーモアもある。
彼は実験体の中で最も古くからこの研究所に所属しており、当時から自由行動の権限を持っていた。
実験体の名簿に載っているが、同時に所員の一人でもある。
予定では程なく実験体名簿から完全に除籍され、専属の所員に採用配属される予定だ。
なお妻帯までしており、結婚してから二十年は経っているが、いまだに惚気る。
今も警備員の一人を捕まえて、家内のことを話しているところだ。
「でね、うちの家内は言うんですよ。どんなに警備を厳重にしたって入る方法なんていくらでもあるって。例えば、所員に正式に採用されるとか。そうすれば、ほら、簡単に出入りできる。情報機密もあったもんじゃない」
「なるほど。でも情報を見るのにパスワードが必要ですけど、その辺どうなるんですか?」
「いや、他の人にしてもらえば良いじゃない。うっかり忘れたとか言っちゃって」
警備主任の高永大介が警備室に入室してきた。厳つい顔の大男は怠けている警備員を見つけると即座に怒鳴った。
「なにをしている! 早く持ち場に行け!」
瞬く間に警備位置に直行する。しかし荒城啓次は悠然と構えている。
「そんなに慌てなくったって大丈夫だよ。時間までまだ余裕があるんだから」
「黙れ! おまえは自分の持ち場から動くな! モルモット風情が!」
十年来の付き合いであるにもかかわらず、いまだに警備主任は彼の人格を無視し、人間扱いしようとはしない。
なぜなら研究所が明示した序列であるからだ。
上の人間は下の人間をどのように扱っても構わず、そして荒城啓次を含めた実験体は人間ですらない。
なにをしようと咎められるいわれはないのだと断じている。
そして荒城啓次は彼の本性を見抜いていた。
生まれつき自身に備わっていた超能力と、後天的に培われた人物眼によって。
だが、怒って反論したり、諭して宥めたりしない。
高永大介にそのようなことをしてもけして理解できないだろうし、荒城啓次は無駄な労力を使う主義ではなかった。
「はいはい、わかりましたよ。おとなしくしてます。んじゃ、なにかあったら連絡を入れて頂戴」
おどけて手を振ると、荒城啓次は警備室から自室へ戻った。
pm11:40
荒城啓次が警備室から出て行くと、高永大介はさっそく部下に怒鳴りつける。
「さっさと仕事をしろ!」
元自衛官の高永大介。
体を鍛えることを喜びとし、当然体力に自信があり、高校卒業後すぐに自衛隊に入る。そして自衛隊の中でも特に過酷な特殊訓練を受け、戦闘技術を身につけたことで周囲には持て囃され、上からは頼られ、下からは尊敬された。
民間に入ってもその実力で伸し上がれると思い退職したが、専門分野が違うという常識的なことに考えが及ばなかった。
射撃で高得点を出しても、山の中で何週間も平気ですごせても、書類整理や情報処理、計算などとは全く関係ない。
民間会社で求められたのはそういった技能であって、彼の得意とする技能とはなんの関係もなかった。
しかも彼はそのことを理解できなかった。
厳しい訓練に耐えた、鍛え上げた肉体。
自分がいかに凄い人間なのかを自慢し、会社に必要なものを全く学ぼうとしなかった。
他の社員を軟弱な蛆虫と見下し、親切から仕事を教えようとしてくれた同僚に威圧的に接し、そして呆れられて相手にされなくなると、今度は嫌がらせを始めた。
自衛隊にいた頃は、肉体的な強さが強弱を決定し、弱小の者に子供のような嫌がらせをしても、咎められることはなく、寧ろ弱いほうが悪いものとして扱われてきた。
民間の会社でも彼は同じだと思い込んでいたが、会社は嫌がらせが発覚した時点で彼を迅速に解雇処分した。
元々お荷物でしかなかったのだ。
理由があればすぐにでも追い出す。
路頭に迷った高永大介は、すぐに生活に困窮し、自分の才能が認められないことに苛立ち、彼は陥れられたと考えて、嫌がらせをしていた相手に復讐する。
完全な逆恨みだったが、彼の頭の中では正当な理由であり、絶対に正しいことだった。
相手を執拗に付け回し、いたずら電話や夜中に部屋に訪問して怒鳴り散らすなどの行動を日常的に行い、近所や会社など、相手の交友関係を調べ上げ、いかに異常な人間であるのかを言い触らし、徹底的に貶めようとした。
そのうち、相手は冷静な判断を失い、異常な犯罪をやらかすに違いないと断じていたが、嫌がらせの相手は冷静を失わずに、弁護士に相談し、結果、高永大介は警察にストーカーとして捕まることになった。
だが高永大介を偶然知った氷川に、身元保証人として助けられ、さらに復讐の機会まで与えてもらった。
嫌がらせをしていた相手を拉致し、氷川の用意した場所で長時間に亘って暴力を加え続け、高永大介は自分がいかに強いのかをたっぷり味あわせ、それは相手が死ぬまで続けた。
そして、その死体をゴミ埋め立て地に捨てた。クズはゴミ山の中がお似合いなのだ。
復讐に協力してくれた氷川は、さらに仕事の雇用の話を持ち出してきた。
仕事内容のことは教えられたが、高永は軟弱な企業は愛想を尽かしていたので、こういった非合法の仕事こそ望むところだと喜んで承諾した。
そして研究所に入ってから、その才覚を現し、一年で警備主任となった。
高永大介は人生の勝ち組になったこと確信し、自分がどれだけ才能に溢れ、上に立つべき凄い人間なのかを確信した。
研究所で人体実験を見ても、彼は良心の呵責などまるで感じなかった。
貧弱で軟弱な連中は、そのような末路がお似合いだ。
それがこいつらの人生なのだ。
全ては歪んだ自尊心を満足させるための詭弁でしかないのだが、そのことに気がつくほど彼は頭が良くなかった。
それに最近はその虚栄の論理も揺らぎ始めている。
荒城啓次は以前から所員に採用されていたが、ほどなく実験体から除外されることになる。
つまり警備主任の上になるのだ。
さらには他の実験体も所員に正式採用する話も持ち上がっており、これまでの力関係が逆転する。
見下していた屑が上になることで、高永大介は頭中に嫉妬や焦燥が渦巻いている状態だった。
なんとかして奴らの立場を思い知らせてやらなければならない。
自分の上になろうなどと思い上がらせないように。
「なにをぼさっとしている! 仕事をしろと言ってるのがわからんのか!」
怒鳴りつけてやった警備員たちが、慌ただしく仕事を始めるのを見て、高永大介の自尊心は少しだけ満足した。
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