am01:28~
am01:28
舎弟二人が一階に向かってか五分以上が経過し、松川は受話器に向かって話しかけた。
「おう、どうした?」
返事はない。
松川は残りの舎弟に視線を向けた。
その意味することを汲み取り、舎弟は戦闘体制に入る。
おそらく偵察に行った二人は殺されただろう。
運がよければ生きているかもしれないが、特に気にすることではない。
その腕はそれなりに信用していたが、人格は信頼していなかったし、気を許した相手でもない。
もし失敗したのならばその程度の力しかなかったことの証明であり、どちらにせよ処置も同じだ。
松川はこれから上がってくる敵に全神経を集中した。
サブマシンガンを舌なめずりするようにチェックすると、扉に向けて構える。
銃を撃つ瞬間は最高だ。
拳で人間を殴るのとはまた違った格別の享楽。
これから現れる敵がどんなものかは知らないが、こいつがあれば一瞬で片付けてやる。
殺戮願望を滾らせる松川の背後で、残りの四人舎弟は緊張を孕んだ沈黙で耳を傾け、かすかな物音が知らせる敵の存在を察知しようと努めてきた。
ぎしり、と階段からかすかに音が鳴り、老朽化した古い事務所が、一階から誰かが上がってくることを知らせる。
「来るぞ」
端的に告げる松川はサブマシンガンをドアに向けた。
それに呼応して、舎弟らも拳銃を構える。
舎弟の内、二人は落ち着いているが、もう二人は見るからに震えて落ち着きがなく、手にする拳銃があらぬ方向に向くような危険な仕草も時折見られる。
この二人は役立たずだな。
松川は密かに断じた。
適当に煽てて利用して、用が済んだら処分するのが良いだろう。
役立たずをいつまでも雇っておく気はない。
勿論生き残っていればの話だが。
そして自分は生存者の中に必ず入っているつもりだった。
無意識に必ず生き残ると思っていた。
あるいは自分が死ぬはずがないと思い込んでいた。
かつて自分が告訴された時、不当な罰を受けたと、逆恨みしたように、ごく当然のことと思い込んでいた。
am01:29
松川は舎弟に、なにもするなという指示を手だけで出すと、扉の前に神経を集中していた。
一階から誰かが上がってくる音は一度微かに鳴っただけで、その後全くなく、やや怯えている舎弟の二人は、なにも起きないのではないかという期待が沸いてきたようだ。
だが、それを裏切るかのように、無音で一人の男が扉を開けて現れた。
安物のスーツにハーフコートを着た男。
両手に拳銃を持っている。
松川は即座に無言でサブマシンガンの引き金を絞った。
攻撃対象の男は銃口から弾丸が射出されるか否かの瞬間に横へ跳躍し、壁の向こうに姿を消すが、構わずに引き金を絞り続け、自動で打ち出される弾倉内三十発の弾丸は三秒でなくなる。
弾切れと同時に、サブマシンガンを捨て、引き出しに隠してあった拳銃を取り出して、扉に向けて構えた。
扉から男が存在すると思われる位置の壁にかけて三十の弾痕が生じている。
静寂が訪れる。壁の向こうからは、反応はない。
舎弟たちは今の攻撃で殺ったのではないかと思ったのか、安堵した顔でお互いを見たが、二人の期待は再び裏切られた。
何事もなかったかのように男が再び扉の前に現れた。
「「うわぁあああ!!」」
舎弟の二人がまるで不死身の殺人鬼が現れたかのように恐怖して、松川の指示を忘れ拳銃を乱射した。
それが松川の行動を制限してしまった。
下手に前に出れば二人の撃つ弾に当たる。
男は大きく的を外している弾丸を意に止めず、拳銃を二人に向けると数発撃つ。
消音器によって押さえられた発砲音と共に、二人の体は衝撃で大きく揺れ、それは前衛的なダンスにも似ていたが、音が止まると同時に、二人は立ったままの姿勢で動かなくなった。
体の数箇所から血液が流れている二人が、力なく床に倒れると、残り二人の舎弟が雄叫びを上げて突進した。
「おおぅら!」
日本刀を振り上げて力任せに叩き切ろうとしたが、振り下ろしたその位置にいたはずの男は瞬きの瞬間に消え、真横に移動していた。
その事実に気付いた時には、向けられていた銃口から火が吹き、頭蓋骨を貫いて脳漿を撒き散らす。
「てめぇっ!」
そして最後の一人が拳銃を向けたが、その時には、先に攻撃した仲間が持っていたはずの日本刀を、男が投擲し、避ける間もなく口内を貫き、勢いでそのまま壁に突き刺さる。
数秒間は金属の異物を抜き取ろうとしていたが、すぐに全身の力が抜け、昆虫標本のような状態で壁にぶら下がった。
その間、血気盛んな素人の戦いに巻き込まれないよう、ソファの後ろで身を隠していた松川は、ソファの前のテーブルに体を転がせて、その勢いで着地と同時に男へ間合いを詰めた。
急速接近する松川に、男は左拳銃を向けて発砲するが、その腕を弾かれて銃口は松川から外れ弾丸は命中しない。
先に一階で暴力団員の一人に行ったことを、今度は松川に行われた。
しかし一発分の隙を狙って男に撃った松川の右手の拳銃も、同じく上に弾かれて、弾丸は男の頭上を通過する。
男は右手の拳銃で腹部を狙って撃つが、松川は右膝で円を描くようして銃口を逸らす。
松川は体を向かって横にした状態になり、だがそのままの位置から拳銃を胸に狙って発砲。
男は体の軸を真横にして、心臓を狙った銃撃を避ける。
松川は左手で男の右腕の関節を固めようとしたが、事前に察知され、抵抗されたため完全には決まらなかった。
しかし相手の左手の拳銃を落とすことには偶然だが成功した。
一瞬力押しの拮抗状態になり、次には、松川は右手の拳銃を男の頭部に狙いをつけたが、同じく男も左手の拳銃を松川の頭部に狙いをつけたため、右腕と左腕が交差する形となり、咄嗟に二人はお互いの腕を弾いて銃口を逸らそうとする。
だが再度頭部に狙いをつけようとすると、相手の腕が自由になるため、自分も狙いをつけられる。
再び相手の腕を弾き、即座に狙いを定めようとするが、それもまた弾かれる。
二人は同時に体の片方では関節を決めようとし、もう片側ではどちらが早く拳銃の狙いを定めることに成功し発砲するか、接戦が繰り広げられた。
時間にして正確に三秒が経過した時、男は拳銃を持つ左手を直角にして固定し、銃口を天井に向けた。それは松川にとって隙でしかなく、躊躇わずに男の眉間に銃口を向けた。
だがその瞬間発砲したのは男が先だった。
オートマチックの拳銃は、発火の衝撃でチャンバーの動作が始まり、松川の定めた拳銃に途中で触れた。
銃口は松川が引き金を絞った瞬間には、男の右首と右肩の間にずれて、弾丸はその位置を通過した。
狙いを定め直そうとしたが、その動きは男に予測されていたのか、内側から絡ませるかのようにして直角にしていた腕を伸ばしてきた。
それは狙いを直す動きと合わさって、松川の腕を大きく外側に弾き、そして男の拳銃の位置は松川の眉間に定められた。
「ひっ」
回避不可能だと瞬間的に悟り、松川は全身の血の気が引いた。
そして、男の引き金を絞る動作によって、その感覚は永遠に消滅した。
am01:31
事務机上に倒れた松川は、襲撃者に悟られないように手にしていた拳銃を向けようとした。
撃たれる瞬間、反射的に首を折り曲げることで、かろうじて眉間に弾丸が命中することだけは避けた。
しかし頭部のすぐ近くで発砲されたため、衝撃波によって殴られたような衝撃を受けて倒れてしまい、右耳が弾丸によって弾かれて失われてしまった。
鼓膜にも異常をきたしたのか、轟音のような耳鳴りがしてほとんど音が聞こえない。
だが、左耳だけはまだ機能していた。
襲撃してきた男が無造作に接近してきたのを聞きとると、自分の体を遮蔽物にして、相手に見えないようにして銃口を向ける。
それは正しい判断だったのかもしれないが、だが彼は自身の精神状態まで冷静に判断することはできなかった。
松川は実は怯えていた。
肉体的な優劣に慣れていた松川は、自身が劣っている時の恐怖に慣れておらず、それが、男がいかなる目的で襲撃したのかを考察する余裕をなくし、短絡的行動へ移した。
安易な判断からの行動は、容易く男に察知され、男が無造作に、だが的確で素早く松川に銃を向けると、瞬間もなく引き金を絞る。
松川の人差し指と親指が弾け、手にしていた拳銃が、人差指と親指と一緒に空中を飛び、壁に当たり床に落ちる。
「あ、ああ、ああぁああ!」
痛みはなぜかないが、指が消失したことで松川は一時的に混乱をきたした。
男がすぐ目の前まで歩いて来るまで気付かないほど。
眼前に拳銃を突きつけられ、正気を戻した松川だったが、しかしそれで現状を挽回できる奇策や名案が思いつくわけでもなく、死刑実行秒読み段階であることを認識しただけだった。
だが男は撃たなかった。
代わりに携帯電話を松川に差し出した。
すでに通話中になっている。
男は無言だったが、電話の向こう側の人物と話をしろという意味は理解できた。
そして男の機嫌を一ミリグラムでも損ねるのは賢明には程遠い。
携帯電話を受け取った松川は、通話相手に話しかける。
「なんだ?」
即座に返事が帰ってきた。
『松川だな。銀行暗証番号を教えろ』
なんのことだ、と惚ける選択肢が一瞬脳裏に浮かんだが、銃口を突きつけられている現状を認識していたので、その選択肢は削除する。
松川は一秒もかけずに暗証番号を教えた。
会社の資金の半分以上が入っている銀行の裏口座の暗証番号。
十桁の額が入っているが、今は命が優先だ。
取り返すのは後で考えるしかない。
『少し待て』
携帯電話からの指示に従い、そのままの状態で動かなかった。
眼前の銃口が気になって仕方がなかったが、我慢した。
一分して携帯電話から声が届いた。
『正しい判断だった。携帯電話を目の前の男に返却しろ』
電話の相手がどういった状態なのか想像するしかないが、インターネットかなにかで裏口座の金を他へ移したのだろう。
専門家に調べてもらえば移した先が判明するかもしれない。
裏口座や、相手もプロであることから、多少時間はかかるかもしれないが、必ず取り返す。
そして俺にふざけた真似をしてくれた相手に相応の報いを受けてもらうのだ。
以前、自分を陥れた奴らのように。
松川は復讐を誓い、その証を立てるかのように携帯電話を目の前の男に返した。
男は無言で受け取り、そして不意に松川は気付いた。
暗証番号を教えたからには、自分はすでに用済みだ。
ならば復讐するかもしれない人間を生かしておくだろうか。
背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
だが男は、携帯電話からなにかの指示を受け取ると踵を返し、松川に目もくれずにその場を立ち去った。
男の姿が消えてから数分間、松川はその場を動かなかった。
やがて自分の身が完全に安全になったと確信すると、大きく息を吐いた。
「助かったぜ」
周囲の遺体を見渡し、忌々しげに呟く。
「くそ、役立たずどもが」
長年働いていた舎弟の遺体を、松川は苛立ちに任せて蹴りつけた。
am01:35
暗闇を照らすネオンサインの溢れる繁華街を男は歩く。
酒の効力で虎もどきに変身する中間管理職の狂態を、数人の部下が嗜めようとするが、あまり効果はなく、それは周囲に迷惑しか及ぼさない出来の悪い猿回しのように見える。
自動販売機の隣で客を待つ娼婦と娼夫。
誰かが隣にいるかのように独り言を呟き続ける男。
哄笑し続ける女。
同じ考えを確認しあうかのように、お互い同じ言葉を延々と繰り返す若者たち。
誰もが自分のことにしか関心がなく、それ故に孤独に溺れていく街。
だから誰も、その男に気付かない。
血と硝煙の香りを漂わせていても。
携帯電話を男は懐から取り出し、一つだけ登録してある番号にかけると、ワンコールで向こうが応答した。
『首尾は?』
彼は端的に答えた。
「
殺し屋。護衛者。便利屋。暗殺者。襲撃者。職業凶手。
死神と呼んだ者もいる。
手にかけた人間の魂が何処へ行くのか彼は知らないが。
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