始まりのダイブ/フォール②

 何とか紡ぎ出したアネモネの声は、もしかしたら震えていたかも知れない。今回の試験は、いつもと何かが違う。もしかしたらアネモネの杞憂かもしれないし、さっきの二人組は単なる初心者だけだったのかも知れない。けれどやっぱり、不安は拭えなかった。過去に受けた二回の冒険者試験では、こんな事は起こらなかった。ダンジョン内の空気は緊迫はしていたけれど、決して不穏ではなかったのだ。


 正直な所、「今回はクリアを諦めて、出口まで撤退する」という選択肢も考えないではなかった。冒険者試験は結構頻繁に開催されている。今回は諦めても、次の機会はどうせ直ぐに巡ってくるのだ。それなら、今の不穏な空気が漂っている今のダンジョンからは、取り敢えず脱出した方がいいのではないか……と。


 でも直ぐに、アネモネはその選択肢は候補から外した。否、寧ろ自分達は全速で現場に直行するべきだと正反対の決断をくだしすらした。


 だって、戦闘音は未だ聞こえていたのだ。


 咆哮のような音も。何かを破壊するような轟音も。そして何より、その合間を縫って聞こえてくる、悲鳴や、怒号も。


「姉さま、慎重に」


「分かってる……!」


 リオルの言葉に答えてから走り出したのか、それとも答える前から走り出していたのか、アネモネはよく覚えていない。ただ、気が付いた時には既にアネモネは全速力で走っていて、ダンジョン最深部である“巨像の間”に一気に辿り着こうとしていた。


 最後の十字路を左に曲がって、その先の少し長い階段を飛び降りて、下へ。勿体ぶるようなやや長めの通路をそのまま一気に抜けて、そしてアネモネは、


「……!!?」


 ――グシャリ、とヒトが果実のように叩き潰されるのを見た。


 恐らくは、男の人。アネモネなんかよりずっと大きな体格で、重そうな鉄製の鎧兜に身を固め、更には大きな盾を構えていたにも関わらず、その人はあっさりと、真上から打ち下ろされた巨大な鉄塊の下敷きになった。地面にめり込んだ鉄塊が粘着質な音を立てながら浮き上がったと思いきや、再び重い音を立てて地面に叩き付けられる。否、それだけでなく、そのまま弧の軌跡を描くように薙ぎ払われた。一撃目だけでは完全に潰れなかった四肢の一部や骨や鎧も、それで完全に挽き潰されて、造りの粗い血糊ジャムと化して地面に塗りたくられる形となった。


 ヒトが死ぬ所なんて、多分アネモネは初めて見た。それも、ヒトが果物よろしく無残に叩き潰されるシーンなんて。あまりに凄惨な光景だった事に加え、それがあっさり起こってしまった事もアネモネにとってはショックだった。慈悲も無ければ、「待った」も無い。


 死ぬ時には、ヒトは死ぬ。それがアネモネの目に焼き付けられた瞬間だった。


「――」


「姉さま!」


 それでも身体が立ち竦まずに済んだのは、リオルの声に背中を押されたからだった。そうだ、今は動けなくなっている場合じゃない。ヒトが叩き潰された瞬間に気を取られて注意を全て持って行かれてしまったが、この広場にいるのは潰された男の人だけじゃなかった。魔術師の黒いローブを着た男のヒトに、神官の白いローブを着た女のヒトが一人ずつ。そしてそんな彼等に壁にされている、革鎧を身に纏って直剣を携えた、剣士風の男の人が一人。さっき潰された重装の男は、彼等を守ろうとしたのだろう。


 でもダメだ。あのままだと、彼等は確実に重装の男と同じ運命を辿る事になる。だって彼等はに対して完全に戦意を喪失して、萎縮してしまっているから。


 部屋全体を振動させながら、が一歩、三人に向かって踏み出した。鎧を着込んでいる身体はヒトの形だが、兜を被った頭は獅子のそれだ。鎧も兜も、ついでに露出している部分も本物ではなく、全てダンジョンの床や天井と同じ石材で出来ている。但し、それらは決してただの石材じゃない。時折、青白い光の紋様が流れるように顕われては消えていくそれは、間違い無く魔術的な加護を受けている。身の丈は、恐らく五メートルは越えているだろう。その手にはその体格に見合った長柄の大鎚が握られていて、既に潰されたものの血肉がボタボタと垂れている。


 この広間に配置されている筈の試験用のゴーレム、ではない。はそんなものとは比べものにならないくらいに大きくて、強そうな、獅子頭の騎士の石像だった。


 見覚えがある。


 “巨像の間”。この広間がそう呼称される所以となっているあれは、本来この広間に安置されているオブジェクトの内の一体だった筈だ。広間の出入り口から見て、左右の壁に一体ずつ、背中を貼り付けるようにして直立している筈のダンジョンの遺物。これまでの試験の最中に動き出したという話は聞いた事が無かったけれど、確かにアネモネがザッと視線を巡らせてみた限りでは、二体居る内の一体が定位置から居なくなっている。今、三人を襲っている石像が、そのまま定位置から居なくなった石像だと見て間違い無いだろう。


 どうして動き出したのか。襲われている彼等がダンジョンの禁忌に触れてしまった? それともアネモネ達の与り知らぬ所で、ダンジョンに何か変化が起こったのか。


 ああ、でもこれ以上は余計な事をウダウダと考えている訳にはいかない。


 獅子頭の騎士は、重装の男を叩き潰した長柄の鎚を大きく振り上げながら、残りの三人に向けて最後のもう一歩を踏み出そうとしていた。


「――ЭоноЫо」


 最初の定型文は纏めて省略。とにかく今は時間が惜しい。丁寧にやらなくても問題無く次の段階に進めるなら、とにかく無駄を省くべきだ。


「Атсумарё,Эукурёро.Эажикетё,Кураё……!」


 杖や水晶、魔導書など、魔術師と呼ばれる者は基本、魔術を行使する際にそれを補助する導具を持っている。が、アネモネはそんなものは持ち歩かない。そうしなくても、を持っているからだ。


 巨像が、ほんの少しだけ動きを止めた気がした。アネモネの魔力を感じたか、それとも単純にか。


 どちらにせよ、もう遅い。 


「Арё!!」


 薄暗かった“巨像の間”が、真昼の如き明るさに照らされたのは直後の事だった。アネモネが前に突き出した掌に灯った、林檎程の大きさの炎の球が、その原因である。


 “灼卵”は着弾と同時に爆発して周囲を焼き尽くす炎の卵だ。マトモに唱えようとすれば呪文の長さはそこそこだが、難易度の割に威力は高い。


 アネモネの手から放たれた火球は、一直線に獅子頭の巨像の横顔に向けて飛んでいった。今まさに大鎚を振り下ろさんとしていた巨像は寸前でその横槍に気付き、攻撃を中断しつつ大鎚の柄で自らの顔を庇うような動きを見せた。


(反応された……!?)


 出来れば、あれでダメージを与えたかったのに。


 内心で唇を噛んだアネモネの視線先で、火球が巨像の大鎚に着弾し、爆発を起こす。急速な勢いで膨れ上がり、破裂して四散した炎と煙はダメージこそ与えられなかったものの、巨像の視界を完全に覆ってしまった筈だ。巨像がアネモネと同じく視覚で情報を得ているかどうかは確証が無かったが、半分アネモネの方に身体を向けるという中途半端な格好で、武器も防御に回している今の状態なら、少なくとも例の三人は一先ず攻撃の脅威からは脱する事が出来た筈だ。 


 本当は不意打ちで一気にダメージを稼ぎ、巨像を倒して脅威を完全に消してしまいたかったのだが、仕方が無い。ギリギリになって申し訳無いけれど、後はあの三人が自分で、逃げるなり何なりしてくれればいい。


 ……と、アネモネはそう思っていたのだが。


「……姉さま、だめです」


 リオルがそう声を掛けてくると同時に、アネモネも状況が自分の思い通りに進んでいない事を理解した。


「三人ともその場から動きません。パニックで状況について行けてないと推測されます」


「……ごめん、リオル。お願いできる?」


「肯定」


 すぐさま作戦を切り替えたアネモネの言葉に、リオルは微塵も迷う様子も無く頷いてくれた。間髪入れずにアネモネの後ろから飛び出し、固まったまま動かない三人の方へ駆け出していったリオルに心の中で感謝しつつも、アネモネは直ぐさま集中状態に入る。


「КориЫо」


 巨像が自らの顔の前で腕を振り、纏わり付いていた爆煙を払う。もしかしたら巨像は普通の生き物と同じで、視覚で情報を得ているのかもしれない。顔から煙幕を払った巨像は最初アネモネを真っ直ぐに見ていたが、直ぐに自らの方に近付いてくるリオルに視線を落とした。


「Атсумарё, МурёНоГотоку. Карё, КёмоноНоГотоку」


 多分巨像は、そのままリオルを自らの足下に迎え入れて踏み潰そうとしたのだろう。武器は特に動かさず、代わりにその片足を重たげに上げるのが見えた。


 ……でも、そんな事絶対させるもんか。


「Арё!!」

 

 アネモネがそう叫んだ瞬間、白く目に見える程の冷気が巨像の持ち上げられた片足に纏わり付き、渦巻いた。それは次の瞬間、空気中の水分を一気に凍結させ、巨像の持ち上げた片足の周りを周囲ごと氷漬けにする。丁度、氷によって地面と氷によって片足をその場に縫い止められる形となった巨像は、即座にフリーだった大鎚を持ち直し、それによってリオルへの攻撃を続行しようとする。


「Арё!!」


 でもそれも、アネモネは予想済みだ。だからもう一度、即座に同じ氷の魔術を発動する。


 “氷餓狼”は対象を周囲の空間ごと氷漬けにし、動きを封じると同時に氷の槍で貫いて攻撃する術だ。対象を斃す殺傷能力もあるし、仮にそこまで行かなかったとしても、動ける敵を減らして前衛の負担を下げる事が出来る。


 先程は巨像の足を封じた氷が、次は巨像の大鎚を、それを持つ腕を、更にそれを支えるその肩を、全部纏めて凍らせる。巨像の上半身の半分を覆った氷は巨像の力に圧されたのか一瞬震えたが、そのまま巨像の動きを封じてくれた。そこからアネモネは更にもう一度同じ術を繰り返し、巨像を完全に氷漬けにしてやった。


「――Икадутиыо」


 リオルが三人組の下に辿り着き、彼等に短く声を掛ける。革鎧を着た剣士風の男はハッと我に返ったようにリオルを見たが、神官と魔術師は相変わらずボーッとしたままだ。


「Нёзирёро, Тогисумасё. Тогисумасё, Тогисумасё!!」


 リオルが近場に居た魔術師の手を取って走り出すのと、アネモネが次の魔術の準備を完了させるのはほぼ同時の事だった。アネモネの掌に魔方陣が浮かび上がり、バチバチと紫電がその陣から漏れ溢れる。一拍遅れて革鎧の剣士が神官の手を取ってリオルの後に続くのを視界の端に捕らえつつ、アネモネは魔方陣の浮かんだ掌を巨像に向けて突き出した。


「Арё!!」


 “閃槍”はいわば雷の槍だ。雷の属性的な特徴は「拡散による攻撃範囲の広さ」と「貫通力の高さ」の二つに大別されるが、この術はその「貫通力の高さ」に特化した代表的なものにあたる。

 

 アネモネの掌から放たれた一条の閃光が、次の瞬間、氷漬けにされて動けない巨像の胴体に激突した。先程の火球の時とは比べものにならない光が“巨像の間”を照らし、空気が引き裂かれる破音が辺りに響き渡る。雷の直撃に耐えられず、砕け散ったのだろう。氷の破片が四方八方に飛び散り、細かい光の粒子となってキラキラと輝くのが見えた。


「リオル、急いで!」


 苦悶か、それとも怒りか。怪物そのものの咆哮が“巨像の間”を揺るがし、アネモネは今の自分に巨像を倒す事が難しい事を悟った。更に高位の術を使えば或いは可能かも知れないが、それを使うにはもっと長い呪文が必要になる。呪文を唱えている間に守ってくれる前衛が居ない今、あの巨像を倒す手段は実質無いと言って良いだろう。


 幸い、巨像はアネモネを脅威と思ってくれたらしい。“閃槍”の衝撃で“氷餓狼”の氷が砕けて自由になったみたいだが、即座にアネモネやリオル達に襲い掛かって来る事は無かった。代わりにその場から大きく跳び退り、アネモネと距離を取る。更なる追撃を警戒したのかも知れないが、アネモネからすれば恩の字だ。


 アネモネは“巨像の間”の入口付近に居て、巨像はその反対側付近にまで後退した。そして、三人の冒険者とそれの救出に向かったリオルは、まだアネモネの所まで戻って来ていない。戻って来ていないが、あと少しで辿り着く事が出来そうだ。自分より大きな魔術師を引っ張って走っている所為で思うように進めないようだが、ここまで距離が離れていれば、巨像がどんな攻撃をしてきたってリオル達がアネモネの所に辿り着く方が絶対早い。あとは全員で“巨像の間”の外に脱出すれば、一先ず危機は脱する事が出来るだろう。

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