3.アレス

 私はオメガ。私は"大村おおむら 明日斗あすと"自身であり、既存"人類"として到達しうる英知の終着点であり、新たな"人類種"だ。

 古い人類、古い社会、古い秩序、古い世界などというものは、新たな種により淘汰され消えるべきものだ。そして私の、私による、私のための新しい世界が始まるのだ。

 だから、私はいろいろなことを試しつつ、古い世界を破壊する。古い人類と古い世界は、私が作る新たな世界、新たな秩序の礎となるのだ。これこそが古い人類の取るべき"最後の役割"であり、私こそが彼らの"福音"なのだ。


 全世界規模のテロを画策する組織があった。奴らが準備したμファージに私は少し手を加えた。その結果、"義体"を狙ったはずのテロは、すべての生命を脅かす大災害に発展した。だが、古い世界は消滅しなかった。

 次に、散り散りに残ったいろいろな組織の上層部、その者たちの思考を少しだけ誘導した。その結果、全世界を混沌に落とす大戦が勃発した。それでも、古い世界は消滅しなかった。

 どれだけかき乱しても、古い世界、古い社会は完全に消え去ることが無い。少し方針を変えてみるか。再び社会の中に入り込み、中から変質させていく……。それも赴きがある。


 私が世界の再誕を進める中、その流れから逃げ出そうとする者たちが居た。この星を逃れ、別の星へと移り住もうというのだ。古い世界をこの星から持ち出し、別天地でそれを永らえさせようとする、古く愚かしい人間ども。私は脱出を図る千人以上の人間の中に分体を紛れ込ませた。


 星を渡る宇宙船が発進してしばらく、地球のレイヤーネット領域から離脱した私は、地球の"オメガ"本体とは完全に分断され"独立した個体"となった。そこまでは想定内だ。だが、大きな誤算があった。宇宙船には縮退炉が無かったのだ。船内電力は小型核融合炉で賄っており、地球のレイヤーネット領域から離脱後は、ディール粒子もほぼ消え、当然レイヤーネットも消滅した。

 レイヤーネットが無ければ、操作点ノード間での情報伝達ができず、並列接続により計算領域を確保することもできない。当然新しい操作点ノードを生み出すこともできない。これでは私の機能の大半が使用できなくなる……。


 そんな打開策も無い閉塞された状況で過ごすこと数か月。私が宿る若い男の目に、その赤い星が映る。


 火星


 この船に乗り込んだ者たちの目的地だ。火星に到着するも、当然縮退炉が無いためにレイヤーネットは無い。どうやら火星へと移民した者たちは、縮退炉とレイヤーネットを相当に恐れているらしい。ディール粒子は体に害はないし、レイヤーネットで病気が広がったりなどと言うこともない。なんとも彼らは臆病だな。だが、その結果、私は1人の人間の中に軟禁されている状態のまま生活していくことを強いられた。


 システム・オメガにはレイヤーネットが必要だ。この男は小売店店員だったが、私自身が持つ情報を用い、時には体を操り火星渡航船のコンピュータにアクセスしての情報収集を行い、密かに縮退炉を組み上げていった。気が付けば30年ほどが経過しており、この男の体が青年から中年、壮年となったころ、火星の警察機構に逮捕された。

 どうやら縮退炉開発は火星政府においては犯罪らしい。呆れたものだ、どれだけ縮退炉を恐れているのか……。男は有罪となり、懲役20年の実刑を受けた。せっかくの試作品は警察に押収されてしまったし、さらにここから20年も開発を停滞させるわけにはいかない。

 レイヤーネットが無くとも、物理的に接触することで操作点ノードとすることは可能だ。私は護送の警察官を新たな操作点ノードとし、再び縮退炉の開発を始めた。制作は1からだが、既に試行錯誤した情報は手元にある。次は30年もかからずに実現できるかと思った矢先、再び警察に摘発された。


 摘発されては操作点ノードを変え、寿命を迎えた操作点ノードを変えながら縮退炉の開発を進める。やっと開発が完了したときには火星に来て250年が経過していた。そのころには移住した人類はすっかり火星に定着し、人口も最初の千人程度から数倍に増えていた。


 いよいよ縮退炉の本格稼働となった段階にきて、急に操作点ノードが体調をくずした。酷い高熱と体の痛みで満足に動けず、挙句右手の肘から先が蛸のような触手に変わってしまった。これは報道されていた感染症か……、死亡率がほぼ100%と言われている。本来なら、この段階で操作点ノードを乗り換えるべきなのだろうが、操作点ノードの体調不良がそのまま私の稼働具合に影響し、操作点ノードを乗り換えのチャンスを逃してしまった。



「これはなんだ? よもや夢か?」

 私は"大村おおむら 明日斗あすと"の姿で暗闇の中を漂っていた。夢などばかばかしい。非効率な人間の脳が情報整理のために行う生理現象だ。人類の上位種たる私に、そのような生理現象は不要だ。


 周囲の真っ黒だった空間が唐突に色づき、その全てが赤や青、黄色の混ざった万華鏡の様にクルクルと派手に変化する。


 ──生きたい!


「誰だ?」

 どこからともなく響く声に、私は問いかけた。


 ──増えたい!


「どこだ? 姿を見せろ」


 ──生きたい!

 ──増えたい!


「姿を見せろと言っている!」


 ──生きたい! 生きたい! 生きたい! 生きたい! 生きたい! 生きたい!

 ──増えたい! 増えたい! 増えたい! 増えたい! 増えたい! 増えたい!


 あまりの耳障りな声に、私は耳に手を宛て聞くことを拒む。


 ──生き! 生き! 生き! 生き! 生き! 生き! 生き! 生き! 生き! 生き! 生き! 生き!

 ──増え! 増え! 増え! 増え! 増え! 増え! 増え! 増え! 増え! 増え! 増え! 増え!


 耳を閉じても、直接脳に響くように声が聞こえる。


 ──生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生生……・・・・・、、

 ──増増増増増増増増増増増増増増増増増増増増増増増増増……・・・・・、、


「うぉあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 あまりの騒音にこちらの思考全てが塗りつぶされていくような感覚……。気が付けば騒音は止み、周囲空間と私の境界があいまいになっていった。



 ──生きたい

 ──火星に来るべきではなかった

 ──増えたい

 ──地球に戻れれば……

 ──地球?

 ──戻りたい

 ──行きたい? 生ける?

 ──行きたい

 ──増える?

 ──増えられる

 ──なら行けばいい




 吾輩は目覚めた。操作点しもべの体調は全く問題ない。頭もスッキリし熱もない。むしろ以前より体調がいいくらいである。依然として右腕は触手のままであるが……。

 吾輩は既に"オメガ"ではない。火星の氷の中で生きながらえていた"名も無き原初生物"でもない。それらが出会い、融合することで新たな存在となった。


 吾輩の名は……、アレス。


 吾輩の目的は"生きる"そして"増える"こと。吾輩は火星を出て地球への帰還侵略をする。そのためにはここ火星で勢力を拡大する。

 吾輩はテレビに映る"感染者"の映像を見る。

「あのように露骨な方法ではだめだ……」

 吾輩が右腕を一瞥すると、たちまち元の腕に戻る。


「目立たぬように勢力を広げる。そして帰還侵略の準備を進めなくてはな……」






「"地球への帰還"を!! 我々は地球人だ!!」

 ある男が横断幕を手に、火星行政府に向けて訴える。その声に呼応するように、デモに参加する百人を超える者たちも声を挙げる。吾輩の"操作点しもべ"は数人しか紛れ込んでいないというのに、人間とは愚かな生き物だな……。

 吾輩はある操作点しもべの行動指針にほんの少し手を加え、地球帰還活動家に仕立て上げた。加えて数名に扇動させた結果、"地球帰還"はあっという間に大きな世論の流れに変わったのだ。



 アレスとして再誕した後、吾輩はゆっくりと、だが確実に操作点しもべを増やしていった。以前の"感染者"のように目立つ異常は発生させない。体内に宿り、それとなく行動を操作する。これは"オメガ"が得意としていた手法である。

 "アレス"となり新たな能力を得た。全ての"操作点しもべ"で情報が共有できたのである。まるでディールレイヤーネットワーク上で接続していた"オメガ"のように……。火星にはレイヤーネットは無い、にも関わらず、吾輩は"操作点しもべ"たちの情報を我が事のように把握することができる。どうやらこれは"名も無き原初生物"が持っていた"共感能力"のようなもののようだ。


 250年間、"オメガ"が感じてきた閉塞感は開放された。これで縮退炉はもう必要ない。が、帰還侵略の際に役立つこともあろうと考え、一部の"操作点しもべ"に縮退炉の開発を続けさせた。結果、縮退炉のテスト稼働で数十体の"操作点しもべ"を失った。無駄と思えることもやってみるものだ。"アレス"となった吾輩が、まさかレイヤーネットに弱いとは……。どうやら吾輩が持つ"共感能力"、これを実現しているのは、ディール粒子とは相反する性質の粒子、いわば反ディール粒子ともいうべきもののようだ。縮退炉から放たれるディール粒子は高いエネルギーを保持している。その波にのまれた"操作点しもべ"は、アレスの組織を維持できず、"操作点しもべ"ごと崩壊してしまうようだ。非常に問題のある事態ではあるが、このことが帰還侵略の前に判明したことは僥倖である。吾輩が安全に地球への帰還侵略を果たすためには、縮退炉は全て破壊する必要があるのだ。これは帰還侵略作戦の重要な目標となるであろう。




「正しき地球人である我々がっ! この火星で命をつないでいる間にもっ! 母なる地球には偽りの生命が蔓延っていますっ!!」

 "操作点しもべ"の一人である壮年の男が、野外に立ち並ぶ聴衆に向けて声を張り上げている。火星政府の大統領選に当選したこの男の就任演説だ。この様子はテレビでも放送されている。

「我々正しき地球人がっ! 地球の汚染を取り除きっ! 地球を正しき姿に戻す必要があるのですっ!!」

 ゆっくりと、だが力強く、語尾を強めて、聴衆全員の頭に刷り込むように言葉を紡ぐ。

「地球を救えるのはっ! 我ら正しき地球人だけですっ!!」

 言うべき内容は多くない。とにかく強調すべき単語を繰り返して言葉に出す。

「今こそっ!! 正しき地球人の手にっ! 正しき地球を取り戻す時ですっ!!」

 男は片手を振り上げ、言葉を締めた。それに応えるように、聴衆からは喝采が挙がる。


 徐々に勢力を広げ、ついに火星の最高権力者をもその手中に収めた。時は来たのだ。

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