第3話 契約1



 バレスティ国には“十六家”と呼ばれる特権階級が存在する。その筆頭が王家であり、シルヴィオは十六家の一つ、スカリオーネ家の一人息子だ。そして、ルーチェも八歳の頃まではカゼッラ家という十六家の令嬢として育った。


 ルーチェが八歳の頃、カゼッラ家は王家から謀反を疑われ、抵抗したために内戦状態となった。ルーチェには四つ上の兄がいたが戦いの混乱で行方不明となり、両親は反逆罪により斬首となった。


 バレスティ国の法では八歳の子供を裁けない。そして強い魔法使いの直系を、市井に野放しにすることなどできるはずもなく、幼いルーチェはシルヴィオの家に預けられることになった。


 現在でもカゼッラ家は存続しているが、分家のなかで謀反に加わらず、積極的に王家に協力した者が格上げ、というかたちで存続を許された。


 ルーチェが、血縁の新カゼッラ家ではなく、関係のないスカリオーネ家に預けられているのにも、複雑な事情がある。現在のカゼッラ家は、積極的に王家側に協力したのだから、ルーチェにとって親のかたきとも言える関係だ。

 それに比べスカリオーネ家は、武力以外の分野での魔法の使用を得意としていて、代々、魔法研究者としての役割を担っている。

 当時八歳で、どうして親が罰せられたのか一応理解していたルーチェを、新カゼッラ家の養子にすることは、はばかられた。そこで選ばれたのが直接命のやり取りをしていないスカリオーネ家だった、というわけだ。


 もう一つ、研究ばかりで戦わないスカリオーネ家に厄介者を押しつけた、という側面もある。

 実際、スカリオーネ家は扱いづらい人間を管理し、監視するには適任なのだろう。


 たとえばルーチェの左耳にはシルヴィオにしか外せない黒い石のピアスがつけられている。これは彼女の逃走を防ぐ、監視用として作られたものだ。

 シルヴィオが探そうと思えば、いつでもルーチェの居場所がわかる仕組みになっている。


 そういうわけで、八歳からスカリオーネ家に預けられているルーチェなのだが、最初の頃はよくわがままを言ってシルヴィオや屋敷の人々を困らせた。


「なんで、訓練しなきゃいけないの?」


「掃除なんて、私の仕事じゃないわ」


「家に帰りたい」


 それまで特権階級の令嬢として、甘やかされて育てられたのだ。身分を剥奪されたことはわかっていても、新しい生活をすぐには受け入れられはしなかった。

 養子でもなければ、使用人ともまた違う。身分の定まらない中途半端な子供。

 そんなルーチェに対し、シルヴィオはいつも面倒くさそうに、けれど突き放すこともなく兄か師のように接してくれた。


 ある日、ルーチェが訓練を嫌がって泣いていると、シルヴィオが迎えに来た。庭にある低木の裏に隠れても、ピアスのせいで居場所がわかってしまうのだ。


「ほら、これやるから機嫌直せ」


 ルーチェの前にしゃがみ込んだシルヴィオの手には、紙に包まれたあめ玉がのせられている。一瞬そちらを見てから、そんなものでは釣られないと主張するように、ルーチェはそっぽを向く。

 シルヴィオはあきれてため息をついてから、包み紙をはずして、彼女の口の中に無理やり放りこんだ。


「……味が違うの。アルドおにいさまがくれたのと違う」


 あめをもらったことで、家族のことを思い出し、余計に悲しくなった。ルーチェが好んでよく食べていたあめ玉は、金色でとても甘かった。シルヴィオがくれたのは桃色でりんごの味がしたのだ。


「面倒くさいな、おまえ。どこで買ったあめなんだ?」


「知らない。酸っぱくなくて、金色で、甘いだけのあめ」


「それじゃわからない。甘いだけなら角砂糖でもなめるか?」


 シルヴィオはわりと合理的な考えをする人間だった。けれどその提案はいじけて泣いている子供には、なんのなぐさめにもならなかった。


「おにいさま……、おかあさま……うぅっ、帰りたいよぅ」


「……おまえにあめ玉をやると、とんでもなく面倒だとわかった。二度とやらない」


 シルヴィオはそう言って、立ち去る。


 もうわがままの許されない立場なのだとルーチェは知っていた。わかっていてもやっぱりできなくて、いじけた。

 いじけてもひどく怒られることはなく、自分がどうでもいい存在になったようで不安だった。

 だから、唯一かまってくれるシルヴィオを困らせた。そして、彼が怒ってどこかに行ってしまったことで、ひどく傷つく。そんな幼稚なことばかりしていた。


 泣き止むタイミングを逃して、うずくまったままめそめそとしていると、ルーチェの耳に再び草を踏みつける音が聞こえた。シルヴィオが戻ってきたのだ。


「おい」


 すぐ近くで、声がするのでルーチェはおもわず顔を上げる。すると口の中にまたなにかを突っ込まれた。


「……?」


「いい加減、泣きやめ」


 口の中に広がったのは、甘くて、いい香りのする――――チョコレートだった。シルヴィオはわざわざあめ以外のお菓子を探しに行き、そして戻ってきたのだ。


 シルヴィオの行動に驚いて、ルーチェが泣くのをやめると、彼はぽんぽんと頭をなでた。


 ルーチェが不器用で優しいシルヴィオを慕うようになるのに、さほど時間はかからなかった。それから少しずつ、彼女は新しい身分を受け入れ、馴染んでいったのだ。


 ルーチェの立場を正確に表すなら、使用人という立場ではない。けれど、かわいらしいお仕着せを支給してもらって、進んで仕事を手伝った。

 なにもしなくても誰もが注目しかまってくれるのが当たりまえ、という世界がなくなったことを、彼女はきちんと理解した。


 だからこそ、シルヴィオのそばにいていいのだというあかしを求めた。役に立つ存在になりたいと考えるようになった。


 スカリオーネ家は彼女を保護してくれている家。シルヴィオの父は厳しい人間だが、ルーチェの将来を考えてくれていた。

 身分は一般市民と同等で、魔法使いとしての才能だけはある。国王に命じられれば、将来危険な役割を与えられ、利用される可能性が高い。

 大人たちは、彼女がスカリオーネ家の保護下から離れたときのことを考えて、女子だからといって甘やかすことなく、魔法の訓練をさせている。


 時間をかけて、ルーチェはそのことを自覚していった。


 そして彼女が十三歳のとき、ある事件が起こった。


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