新顔の男(1)

 天気予報士が梅雨入り宣言をしたその日、濡れた傘を店の入り口でビニール袋に詰める作業以外はいつもと同じ朝のはずだった。


 同じオーダーを手に持った同じメンバーがそれぞれの定位置に腰を下ろす。


 でもその日は違った。


 スマホいじりの眼鏡男の定位置に先客がいたのだ。


 一瞬男はたじろぎ辺りを見回すと、トイレに近い隅の席に腰を下ろした。


 先に自分の定位置についていたいつものメンバー達はその姿を視界の端に置きながら、ほんの少しだけトイレの近くに同情する。




 眼鏡男の定位置をぶんどったのはスーツに身を包んだ男だった。


次に、勉強にいそしむ会社員の男は広げたテキストから顔をあげ、わずかに眉間に短い皺をつくる。


 細めた目の先にはパソコンをテーブルに広げた新顔の男。


 そのキーを叩く音が店内に響き渡る。


 優しく滑らかにキーを叩くのではなく、親の敵のように激しくキーを叩きつける。


 その力強い音は店内にそっとかかるジャズの音色を掻き消した。


 継続的に鳴り響くキーの音を皆が無言であきらめかけた時、年老いた夫に連れ添う妻はちぎったクロワッサンを口に運ぼうとしてその手を止めた。


 男が電話で話し始めたのだ。


 ハンズフリーのイヤホンマイクをし、指先は激しくキーを叩きつけることを止めない。


 その声の大きさはキーを叩く音どころではなかった。



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