尾行者
翌朝暁里を防衛省まで送り、そのまま職場へと向かうと上司に呼ばれた。
「昨日報告があったヤツだ」
上司が俺に見せてくれた写真は、見た目は優男風の見たことがある人物で、その男がカメラを構えて病院の建物内を撮影している写真だった。この男は暁里を追っている組織の幹部の一人でもある。
この優男を撮影したのは、元々この人物を監視している同僚だ。
「わかりやすいと言うか、バカと言うか……」
「自らバラしてどうすんだよ……」
「まだバレてないと思ってるんじゃないか? もしくは彼女を確実に捕らえるために、身辺を探っているか」
俺と、幹部を探っているらしい高林の話に上司が可能性を示し、それに「なるほど」と頷く。
「身辺を探っているならば、近々依頼人か兄の存在が割れますね。あの様子だと、母親があの病院に入院していることを知っていそうですが」
「多分な。ただ、調べた限りではあの病院のセキュリティはかなりいいぞ? 昨夜篠原が報告した内部の状態だけじゃなく、夜間は入口や外部も完璧にガードが入っている」
「あー、あの辺り一帯は重光家のお膝元ですし、御大やそのご家族が病院に行く可能性がありますからね」
上司の
「重光家?」
「現在、防衛副大臣をやっている重光議員のお膝元なんですよ。重光家は昔から官僚を排出していますし、地元愛溢れる家なんで、地元の信頼も篤いですし。選挙の時は市や町、地元の商店街が一丸となって盛り上げます」
「やけに詳しいな、籐志朗」
「実家が代々お膝元にある商店街の豆腐屋なので」
そう告げた俺に、高林も上司も納得した顔をした。但し、重光やその秘書たちが同級生やら先輩後輩やらだとは言わないでおく。
「まあ、今はそれは関係ない。病院関係者としての潜入は無理だが、念のために警備として潜り込ませることにした」
「わかりました。まあ、組織の人間が入り込んでも大丈夫な気はしますが」
「ほう? 凄腕の看護師でもいたのか?」
「いえ、彼女の母親が例の痴漢撃退スプレーを渡して説明をしたあと、かなり喜んでいましてね……。嬉々としながら殺る気満々な発言をしていましたよ。娘や息子を何度も誘拐されかかっているせいか、かなり腹に据えかねているかと」
「「……」」
俺の言葉に、上司と高林は顔をひきつらせていた。まあ、気持ちはわかる。俺も内心ではそう思ったから。
その日の夕方。
暁里を迎えに行き、そのまま病院へお見舞いへと行く。どうやら暁里は毎日お見舞いに行っているようで、母親と他愛もないことを話していた、その帰り道。
「今日は珍しく、父さんも兄さんもいないのよね。夕御飯もいらないって言われてるし、どうしよう……」
「帰りは何時だと言ってた?」
「今日は十時くらいかしら」
うんうん唸る暁里を尻目に、そう言えば商店街にある居酒屋にはまだ行っていないと話していたことを思い出し、それを提案してみる。そろそろ混み始める時間帯ではあるが、先ほどから下手な尾行しているヤツをまくには丁度いい。
「なら、俺と飯食いに行くか?」
「は? 何でよ?」
「一人で食うよりはいいだろ? それに【とうてつ】に行ったことないって言ってなかったか?」
「確かに行ったことないけど……いいの?」
「構わん」
頷いた俺に、暁里はしばらく考えたあとで頷いた。
「じゃあ行く! あそこの女将さんは美人で優しそうだし、料理も美味しそうだから気になってたのよね~。父さんも兄さんも職業柄家にいないことが多いから一人で入るのも何となく気まずいし、帰って来ても『家族サービスだ! 家庭の味に飢えてる!』とばかりに、外出は母さんのお見舞いに行くくらいで外食はしないし」
「確かに籐子はお袋に似て美人だな。高校生の頃からあの店を手伝ってたし、徹也と嗣治が作る料理は天下一品だし」
「あら? 何か、知ってるような口振りなんだけれど」
「あれ? 言ってなかったか? 【とうてつ】の女将は俺の妹だ。で、あそこの二人いる板前のうちの一人が、妹の旦那で店主」
さらっとそう言うと、暁里はピタリと足を止め
「ええええええっ?!」
と叫んだのだった。
***
「いらっしゃいませ! あ、籐志朗さんこんばんは!」
「おう、
「カウンターでよければ」
「いいぞ。それで頼む」
「じゃあ、こちらへどうぞ! 女将さーん、二名様カウンターにご案内でーす!」
「はい。ってあら。兄さんらっしゃい。女性連れなんて珍しいわね」
妹の店で働いている顔馴染みでバイトの大空に案内された。レジに座っていた妹の籐子がクスクスと笑いながら立つと、ゆっくりと歩きながら俺たちの後ろからついて来る。そのお腹は、今にも産まれそうにはち切れんばかりだ。
籐子からはおしぼりを手渡され、大空はお通しを置くとレジのほうに飛んで行った。相変わらずちょこまかと動くヤツだと感心する。
チラリと暁里を見れば、俺と籐子の顔を行ったり来たりしながらびっくりした顔をしているが。
「商店街の中ではよくお見かけするけれど、店では初めまして、かしら?」
「あ、はい。白崎です。駅の向こうに住んでいます」
「あら、ご丁寧に。白崎さんの隣にいる、ゴツイ男の妹の籐子です。目の前にいるのが夫の徹也さんで、焼鳥を焼いているのが嗣治さん。嗣治さんの奥様も妊娠しているのよ」
「そうなんですか~」
「おい、籐子、実の兄貴に向かって『ゴツイ』はひでえんじゃねえか?」
そんなことを言いながら「とりあえず生ふたつ」と注文すると、少し前に入ったバイトの一人が返事をしていた。「好きなものを頼め」と言った俺に、暁里は嬉々としながらメニューを物色している。
「籐子、予定日はいつだ?」
「あと一ヶ月くらいかしら」
「あのなあ……。おい徹也、いい加減籐子を店に出すのをやめさせろ」
「そう言ってるんだが聞かなくて。ただ、親父たちが『旅行に飽きた』と言って昨日帰って来たから、入れ替わりでお袋がホールに、親父が厨房を手伝ってくれるとさ」
「初孫見たさとその世話をしたいってか?」
「ぶっちゃけそんなとこだろうな。まあ、最近はバイトが手伝ってくれてるとはいえ年末で忙しいから、親父が厨房に入ってくれるのは助かる」
それはぶちまけ過ぎだろうとは思うものの、徹也の両親からすれば待望の孫だ。甘やかしつつも厳しく育てるだろう。それほどに、人為的な二度の流産は腹に据えかねていたのだ……それこそ、神頼みする程に。
「なんにせよ何かあったら俺にも知らせろよ? もちろん嗣治もだ。千堂家が頼りないなら、ご隠居連中なり徹也や籐子を頼れ。それくらい、嫁さんが大事にされてるってことを覚えとけ」
「……ありがとうございます」
嫁さんの前以外ではいつも仏頂面とも言える相好を崩し、嗣治は照れながらも嬉しそうに笑う。そんな嗣治を変えたのは、ある意味同業者でもある嗣治の嫁だ。
「籐子はそろそろレジに座っとけ。それと、店に出るのもいい加減止めろ。親父と兄貴が心配してたぞ? おーい大空、注文頼む」
「そうね、心配させたくはないわね。経験者の言う通りにしておくわ」
「はーい!」
苦笑しながらも素直に頷いた籐子はレジにある椅子へと戻り、大空は下げて来た食器を片付けながら飛んで来る。今日は牡蠣と各地の鍋料理がオススメらしく、俺は牡蠣フライと石狩鍋と唐揚げ、暁里は牡丹鍋とひじきやきんぴらなどの惣菜を頼んでいた。
運ばれて来た生ビールを持ち上げ、「お疲れ」とジョッキをあわせると口に含んだ。
「失礼だとは思うんだけれど……女将さんと似てませんね」
「よく言われる。アイツはお袋似だし」
「それに、経験者って……」
「ああ、俺はバツイチなんだよ。フランスに行く前に離婚して、娘――子供は元嫁が引き取った」
「ごめんなさい」
「気にすんな。もう十年近く前の話だし、元嫁は再婚してる」
しょんぼりした様子の暁里に、笑って答える。娘となかなか会えないことは寂しいが、もう終わったことだ。それに、俺自身もフランスにいたころはそれなりに女を抱いたし、一時期は恋人もいた。
同業者だったせいか恋人期間はそんなに長くは続かず、お互いに煩わしい誘いを寄せ付けないためと欲望のためにセフレと化していた。尤もそれも、相手が別の国へ移動になったから三年前に終わっている。
「籐子はいろいろあってな……。籐子にしろ徹也にしろその周辺にしろ、待望の子供なんだ。苦しんだ分、今度は幸せになってほしいし、あんな思いは二度とさせたくはないっていう兄心だな」
「……うちの兄に籐志朗さんの爪の垢を飲ませたいわね」
「ああ、璃人な……。まあ、職業柄
「まあね。だからこそ、二人が帰って来ると安心するし、私が我慢できる範囲で好きなようにさせているの」
私の迷惑を考えない困った人たちよね、と言いながらも、柔らかい笑顔は全然困っていない。
母親は入院し、男手は滅多に帰って来ないうえに海の上だ。物騒な話題のせいで何があるかわからない分、心配なんだろう。それに耳のこともあるだろうから、一人はかなり寂しいんじゃなかろうか――。
そんなことを思いつつもそれを口に出すことはなく、運ばれて来た料理を摘まみつつ、板前二人や妹、バイトたちと話しながら時間が過ぎて行く。帰る前に「トイレに行って来る」と言った暁里を見送り、大空に会計を頼むと徹也に目を向ける。
「最近、変な連中が嗅ぎ回ってないか?」
「先生関連でたまにマスコミが来るが、あからさまに怪しいのはいないかな。……何かあったのか?」
「まあな。仕事関連だ、とだけ言っとく」
それだけで何となく察したのか、徹也と嗣治の眉間に皺が寄った。
「なら、帰りは裏から出るか?」
「そうさせてもらえると助かる」
レシートを持って来た大空に支払いを済ませているうちに、徹也が籐子を呼んだ。
「籐子、こっちはもう大丈夫だから、他は大空たちに任せてアニキを連れて帰れ」
「あらあら、仕方ないわね。大空くん、あとはお願いね」
「了解です! ありがとうございましたー!」
ちょうど会計を終えたらしい団体客が店から出て行く。その先に見えたのは、寒さに震えながらたむろしている、黒服を着た二人の男がいた。そのうちの一人は、今日写真で見た男だった。
(ご苦労なことで。つうか、組織の人間のくせに尾行が下手過ぎとはな……)
その残念ぶりに内心溜息をつく。
扉が閉まると同時に帰って来た暁里を促して「またな」と席を立つ。出入口とは違う方向へ行く俺を不思議そうな顔をして見た暁里に、「帰り道に説明してやる」とそのまま籐子のあとを追う。
配達口となっている出入口で籐子と別れ、そのまま裏通りを歩いて駅へと向かう。
「籐志朗さん……? どうして裏から……」
「簡単に言えば、尾行している奴らがいたから撒いた」
「え……気づかなかった……!」
「まあ、いつものようにボーッとしてたし、いくら暁里の耳がよくても雑踏の中にいながら尾行に気づけってのは、そういう訓練をした奴とか実践経験者じゃない限り、無理だ」
「あ~、確かに」
苦笑した暁里に、「それが俺の仕事」と言って安心させる。
「閉店まであと二時間は粘れるし、裏から出れることを知っているのは、この商店街の連中でもごく僅かだ。だからバレることはないし、派手に動くと黙っちゃいない連中が動くから何の心配もない」
「……どんな
「ん? 政治家やら、政治家の秘書官やら、官僚やら、元軍人やら、自衛官やら、敵に回しちゃいけない
「……怖い……怖すぎる……」
「だからこそ、暁里にとってこの商店街は安心で安全なんだよ……巨大な分、いろんな目があるから」
思い当たる節があるのか、どこか遠い目をしながらも納得していた。そのまま暁里の家まで送ると、とんぼ返りで商店街の奥にある自宅マンションへと向かう。
途中で地元民しか知らない細い裏道へと入り、奴らがいた辺りに近い場所からそっと顔を出すと、奴らは缶コーヒーを両手に持ちながら、籐子の店の出入口を見ていた。
いいタイミングで新しく入ったバイトの男が店の暖簾とオススメの看板をしまっている。
(……本当にご苦労なことで)
それを見た男たちは、くしゃみをしながらも「くそっ!」「見逃した!」と言ってその場を離れ、駅のほうへと歩いて行く。完全に視界から消えたのを確認した俺もその場を離れる。
「風邪引いてしばらく寝込め」
そう小さく呟き、再び裏道へと戻って自宅マンションへと帰り、メールで報告をしてから眠った。
翌日、俺の報告を聞いていた上司から「アイツら風邪を引いて寝込んだらしいぞ?」と、笑いながら俺に告げた。……軟弱者め。
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