母親とプレゼント

 その日の朝、出勤早々に上司から呼ばれた。何事かと思えば、昨日俺が頼んだGPS機能付きのアイテムの話だった。


「ブレスレットでいいか?」

「いいと思いますが、もしもの時ためにイヤリングかペンダントなど、アクセサリーのフェイクかダミーも用意したらどうです?」

「フェイクかダミーか……確かに必要だな……」

「あと、痴漢撃退スプレーですかね?」


 上司と話しながらアイテム制作部がある部屋へと向かい、そこでもそんな話をすれば、なぜか痴漢撃退スプレーのことで首を傾げられた。


「どういうことだ?」

「確か、護衛対象者の母親は入院してるはずです。依頼人の話を聞いた限りだしあくまでも俺の憶測になりますが、その母親も過去に狙われた可能性があります」

「ふむ……確かに、な。だが、こっそり護衛をすることは可能だが、さすがに看護師や医師として潜入させることは無理だぞ?」

「だからこその痴漢撃退スプレーですよ。あからさまな形だとバレる可能性がありますが、形を変えれば犯人の目を誤魔化せるのでは? スプレーを撒いたあとでなら、叫ぶなりナースコールボタンなりを押す時間稼ぎくらいにはなるかと。こっそり護衛をする者が近くにいるのであれば、母親か犯人が叫べば聞こえるはずですし」


 そう提案した俺に、上司も制作部のメンバーも頷く。

 GPS機能を付けたものはメインがブレスレット、サブ及びフェイクかダミーにペンダントやイヤリングを選び、母親用の痴漢撃退スプレーには、テーブルの上に置いていても誤魔化せる形の物を二種類用意することで合意した。夕方にはそれら全てが出来上がったと連絡をもらい、それを持って暁里を迎えに行くのだった。


 ……つか、出来上がんのが早ぇな、おい。どんだけ気合を入れたんだよ……。



 ***



 防衛省の入口付近に到着すると、到着したことを告げるメールを暁里に送る。警戒しつつもそこで待っていると、同僚らしい女性二人と一緒に建物から出て来た。俺に気付いた暁里は同僚たちに何かを言うと、そのまま俺のほうに寄って来た。


「ごめんなさい、待たせた?」

「いや、大丈夫だ。そろそろ行くか?」

「ええ」


 そんな会話をしながら歩き始めると、背後から「暁里、明日聞き出すからね!」という声が聞こえた。


「聞き出すと言っても、本当のことなんか言えるわけないじゃない……」


 溜息混じりに呟いた暁里に苦笑しながら「恋人設定にして正解だろ?」と言えば、暁里は憮然としながらも「そうね」と頷いた。

 朝と同じように他愛もないことをメールでやりとりしながら、何か変わったことや変だと思ったことはないかと問えば、今日のところは大丈夫だという返事が来る。このあとの予定を聞けば母親の見舞いに病院に行くと言うので、それについて行くことにした。

 駅に着き、商店街の中にある花屋で見舞いの花と、柚花庵で和菓子を買って病院直通のバスに乗り込んだ。


 病院に着くなり、慣れた様子で「こっちよ」と俺を促した暁里について行く。病院は二回目に暁里と遭遇した病院だったので、母親の見舞いに来ていたのだろうと推測した。

 ナースセンターで名前と時間、見舞い客であることを証明する札を首から下げた暁里のあとについて行きながら、それとなく周囲を見回す。

 大部屋の病室は扉が存在せず、オープンになっている。さすがに個室には扉があるがナースセンターの側にあり、潜めそうなリネン室などは鍵が付けられていた。問題があったか何かで、管理をきちんとしているのだろうというのが窺える。

 トイレやお風呂場、洗濯室などは入口近くにあり、常に人がいて扉が存在せず、カウンターがあるだけになっているナースセンターの前を通らなければならないので不審者が入り込むのは難しい造りだ。非常階段等も一番奥にあり、こちらはリハビリを兼ねた患者が複数歩いているので、夜はともかく昼間も不審者が入り込むのが難しくなっているようだった。

 問題は夜だが、このあたりは上司に相談することにして、暁里と一緒に病室に入る。母親の病室は個室だった。


「お母さん、来たわよ~」

「あら、暁里、いらっしゃい。もう、大変だから毎日来なくていいって言ってるのに」

「そういうわけには行かないわ、心配だもの。私や兄さんもだけど、特にお父さんが煩くて……」

「あの人は昔からそうなのよね。まあ、職業柄、仕方ない……って、あら?」


 暁里と話しているうちに俺の存在に気付いたのか、俺を見上げて首を傾げた。それに会釈をすると、今度は暁里に目を向けた。


「暁里、そちらの方は?」

「あ~、その……恋人……デス?」

「はい?」


 狼狽えながらそう言った暁里に、ますます首を傾げる母親を見て助け船を出す。


「最近暁里さんとお付き合いをさせていただくことになった、篠原と申します」

「篠原さん……? 見覚えがあるのだけど、どこかでお会いしたかしら?」

「俺は父にそっくりだと言われてますからね。実は、実家が商店街の豆腐屋をしていまして」


 そこまで言うと母親もわかったのか、「篠原豆腐店さんね!」とコロコロと笑う。


「篠原さんのお豆腐は主人が大好きなの。もちろんわたしもね。久しぶりに食べたいわ」

「そうなんですか? 嬉しいですね、父も兄も喜びます。なんでしたら今度持って来ましょうか?」


 茶目っ気たっぷりにそう言えば、「嬉しいわ」と顔を綻ばせる母親。その顔はどことなく暁里に似ていた。


「これ、お見舞いです」

「まあ、綺麗ね。それにお菓子まで……何だか申し訳ないわ」

「お気になさらず。食べきれないようであれば、ご家族と一緒にどうぞ」

「ありがとう。暁里、そこに花瓶があるの。お花をお願いしていいかしら?」


 ポカン、とした顔をしながら黙って俺たちの話を聞いていた暁里は、母親に言われて「わかったわ」と花瓶と花を持って出て行く。それを見送りながらパイプ椅子に座ると、母親が真剣な目を俺に向けた。先ほどとは違ってどこか空気が張り詰めるのがわかる。


「貴方は何者?」

「俺ですか? こういう者です」


 声のトーンを落として聞いた母親に身分証を見せると、母親は目を見開いて驚いた顔をしたあと、張り詰めていた空気を緩めた。


「詳しいことは省きますが、俺は彼女の護衛をしています」


 それだけで何かあったと察したのか、母親は「そう」と言って溜息をついた。それを見ながら持っていた鞄からふたつのものを取り出すと、ベッドのそばにあるサイドテーブルにそれを乗せる。


「単刀直入に言います。暁里さんが狙われている以上、低いとは思いますが貴女も狙われる可能性があります」

「……」

「ナースセンターが近いとはいえ、何があるかわかりません。あくまでも叫ぶなりナースコールボタンを押すなりの、時間稼ぎのためのアイテム――道具だと思ってください。もちろん、陰ながら護衛させていただきます」


 やはり身に覚えがあるのか、母親は真剣な顔で頷いた。


「それで、これは何かしら?」

「ふたつとも、所謂痴漢撃退スプレーです」

「あら! わたしには万年筆と香水スプレーにしか見えないけれど」

「そう見えるように作ってもらいましたから」


 香水型と万年筆型の痴漢撃退スプレーの使い方を説明すると、母親は真剣に聞いている。ただ、目をキラキラさせていることから、よほど恨みがあるか単純に珍しいと思っているかのどちらかだろう。


「顔面に向けてたくさん噴射したら、犯……ではなくはどうなるかしらね?」


 楽しそうにそう言った母親に、前者か……と内心溜息をつく。


「……成分は唐辛子や塩と聞いていますので、目や鼻に入ればのたうち回るのではないでしょうか」

「まあ、唐辛子とお塩? 目を狙えばそうなるわよね。息子や娘……特に娘の暁里は何度も狙われたもの。それくらいの復讐をしてもいいわよね?」

「やめてください。過剰防衛は駄目です」

「あら残念だわ。でも、心の中でそう思うのは自由よね?」


 にっこり笑ってそう告げた母親に、過激だな、おい! と内心で突っ込む。

 見た目も雰囲気も話した限りではたおやかな良妻賢母という感じなのに、よほど怒りが溜まっているのか、独り言のように物騒なことを一通り呟くといきなり俺に向かって頭を下げた。


「お母さん?!」

「暁里のこと、よろしくお願いします」

「もちろんです。総力を上げて、娘さんも貴女も護衛します」

「ありがとう」


 頭を上げて、ホッとしたようにそう言った母親にしっかりと頷いた。

 戻って来た暁里としばらく雑談してから病室をあとにすると、病院から出て行こうとする暁里を呼び止めて入口付近にあった椅子に座るように促す。


「何?」

「渡す物がある」


 鞄から四角い大きな箱と小さな箱の二種類を取り出して暁里に手渡した。


「これは?」

「しばらく不便な思いをさせるから、謂わばお詫びの品、ってとこかな」

「開けていい?」

「どうぞ」


 蓋を開けて中身を見た途端、暁里の顔がパッと綻んだ。その嬉しそうな顔を見る限り、暁里が持っていないものか、ほしい形のものばかりなのだろう。

 実際、ブレスレットはともかく、ペンダントとイヤリングのセットは何種類かある。そのシンプルながらもどんな服装にも合うように作られたペンダントやイヤリングは、色や形がさまざまだったがその全てにGPS機能が付いていることを暁里に言うつもりはない。


「うわあ、可愛い! それに素敵! 本当にもらっていいの?!」

「どうぞ。ペンダントとイヤリングは、どれか一組を身に着けてくれると嬉しい。特にブレスレットは毎日しておいてくれると嬉しいな」

「うん、いいわよ。シンプルだから、どんなコーデをしても合いそうだもの。……へえ……。あ、こうやって着けるのね。しの……と、籐志朗さん……どうかしら?」


 銀色のチェーンに少し幅広になっているプレートがついたブレスレットを身に着け、俺の名前をどもりながら見せる暁里に、「似合うよ」と言いながらも頬が緩むのがわかる。

 それと同時に、どこからか鋭い視線が飛んで来るのを感じる。暁里もそれを感じたのか、僅かに顔を曇らせた。


「どうした?」

「近くでシャッターを切ってる人がいるわ」


 それだけで恭一に会った時に聞いた話を思い出す。


「以前にもあったか?」

「ううん、今回が初めて」


 何かを聞き取るように少し首を傾げながら、顔を動かそうとした暁里の頭を固定して俺のほうに向かせる。


「ちょ……っ!」

「シッ。多分犯人だと思う。俺と暁里の写真でも撮ってるんだろう。俺にキスされてるふりをしながらシャッター音の方向を探れ。……できるか?」

「ちょっと待って。……籐志朗さんの後ろの窓のあた……、……んっ」


 暁里が方向を言い、それを見ようとしたのかまたもや顔を動かそうとしたので仕方なく唇を塞ぐと、それに驚いたのか暁里は目を見開いて俺を見ていた。


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