第5話 シェパード興産

今どき慶應生の薬物汚染なんて話題にならないよ、見開きは無理だよ。1Pでも多いくらいだよ。と編集長は言った。


まだ二年目の編集者である鎌田(男)は、見開きでも足りないくらい情報量があると思っていたので、少々不満であった。なぜなら、今回の容疑者である大河内は、彼の地元である浦和では名のしれた企業である"シェパード興産"の御曹司であったからであった。


シェパード興産は大正元年に創業された。当初は木材などを販売する零細企業であった。大正十二年の関東大震災で社屋が全焼したが、鳶職人を多く抱えていたこともあり、その震災の復興事業によって再建後は従来よりも急成長した。戦後にGHQによる建築統制が解除された事を受け、東京でビル建築ブームが起こったこともあり、戦後も更に成長。昭和中期より不動産事業も手がけるようになり、平成になる時には従業員1000人級のゼネコンへと変貌していた。バブル景気の時代には、「今は抑えておけ」という社の方針も有って大きな影響は受けず、むしろ崩壊後に割安な土地を積極的に接収した。インターネットの発展を見据えてオンラインの人材斡旋事業などもネット黎明期より手がけており、最近その事業をリクルートに売却して巨益を得ていた。


大河内はそんなシェパード興産の一人息子であった。成績は小学生のときから一貫して優秀で、地元進学校である浦和高校へ入学した。そこでは周りからお坊ちゃん扱いはされていたものの、特に性格に問題があるという様子ではなく、むしろややおとなしくてオタクっぽいキャラであると、当時の友人達は語った。


大河内は現役時に東京大学文科三類を受験したが受からず、滑り止めであった慶應大学の商学部に入学した。


「その時はとてもショックそうにしていて、一ヶ月ほど顔を見なかった。とても心配してたんです。だから、入学した後に彼のキャラクターが突然変わったのにはとても驚きました」とある友人は語った。


彼は髪を金髪に染め、学内でも荒れたサークルとされるシルキャンに入部し、毎晩のように飲み歩くようになった。彼は授業にも来なくなり、女を取っ替え引っ替えするようになった。


大学二年生の三田祭で、彼はミスター慶應に応募した。高校時代の時にはどこか垢抜けないところがあったが、もともと整った顔立ちをしていたので、髪型を変えたことで随分と印象が変わった。そして、サークルの組織票もあり、彼は晴れてミスター慶應となった。民放はこぞって、「エリート王子」という取り上げ方をした。


その矢先に、彼は例の事件を起こした。クラブのVIPルームで違法薬物を摂取して、帰り道で女子学生に暴行した。女子学生が逃げると、大河内は彼女を捕まえて執拗に顔面を蹴りつけた。女は、鼻骨、眼窩、下顎を骨折した。「顔面は完全には治らず、変形してしまうかもしれない」と告げられた時、彼女は何の反応もなくただ空を見つめていた、と医師は語った。


鎌田は三田にあるマンションの入り口のところまで来ていた。エントランスの設えから察するに、かなり高そうなマンションだった。鎌田は部屋番号を入力して、ボタンを押した。5秒ほど待つと、ガチャリという受話器を上げたような音が聞こえた。


「本日取材のお申込みをした週刊タイムズの鎌田です」と言った。


「あ、はいどうぞ」という若い女の声がスピーカーから流れ、自動ドアが開いた。鎌田は被害を受けた女子学生に直接取材をすれば、大河内について、もっとおぞましい事実が引き出せるのではないかと確信していた。

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