魔法使いの少女
flathead
第一章 始まりの光
第1話 僕のいる場所
代わり映えのしない毎日。夕闇の中、一人で黄昏に思いを馳せていた。
街のすぐ近くにある高台から見える夕焼けを見つめる。この夕焼けは僕が知る中で最も美しい景色だ。
どんなことでも一生懸命にやってきた僕が唯一安らげる場所でもある。
ある時、ふと考えてしまった。ちょっと生き急いでいないか、と。だけど体に染み付いた使命感のようなものは簡単には矯正できない。だから仕事や勉強で頑張り過ぎたと思った時にはこの高台に登って一息つく。
一人で考えたいこともあったから、そういうときにはこの場所は最適だ。自分の部屋でも考え事はできるけど、僕はこの場所が好きなんだと思う。悩みなんて吹っ飛んでいくようだ。
人の声なんて聞こえない静寂のようにも思うけど、耳をすませば風が木々を揺らす音が聞こえる。その音は僕の心を更なる静寂に連れて行ってくれる。
まるで瞑想に浸るような気持ちで夕焼けを見ていると、それを妨げるように足音が聞こえてきた。
後ろを振り向かずとも誰なのかは分かっていた。
現れた少女ジュリアは景気の良いため息をついて
「ふぅ、やっぱりここにいた」
と呆れたかえったような声をかけてくる。安らぎの時間はそう長くは続かない。
「うん。もう時間かな?」
「だーから私が来たの。さ、行くよ」
顔を見なくてもむすっとした顔をしているのが分かる。
僕は立ち上がって声が聞こえた方向を向く。ジュリアは思い描いた通りの顔をしていた。
「ここ最近、毎日じゃない? たまになら良いんだけど……。ふぅ、流石に私も疲れてきたよ。なんていうんだっけ、時計?でも買ったら?」
聞きかじった知識なのだろうか。正しいかどうか不安そうに尋ねてくる。
「貴族じゃあるまいし買えないよ。それに…時間に縛られたくないからここにいるんだ」
「………プフッ」
なぜか彼女は吹き出した。顔にはいやらしい笑みを浮かべている。
ぼくは「なんだよ」と顔に滲ませる。
「いやっ、別に、お年頃かなって。ふふっ」
僕が訝しげに首を傾げていると、彼女は僕の手をつかんで
「ほらっ行くよ。約束の時間に遅れちゃう」
そう言って下り道に向けて駆け出した。
引っ張られた僕は体勢を崩しながら名残惜しむように夕焼けを一瞥した。
——————————
——少し時間を遡って話そう。
僕が住む街は変わり始めている。
もともと大きめの街だったが、ここ数ヶ月前から数え切れないほどの旅商人たちが訪れるのだ。それに伴って領主さんがこの村を商業都市として発展させようとしているらしい。
大きな目で見れば僕の父ボランもその旅商人たちの一人と言える。しかし、父さんは最近の旅商人たちに十年程も先んじてこの村に移住していた。これは父さんの運によるものなのだろうか。もし今の街の姿を予測してたならば、父さんの先見の明は計り知れない。
おかげで父さんはこの村一番の商人として名を馳せ、僕たちは裕福な暮らしをしていた。
とは言え一日中僕ものんびりしている訳じゃない。朝昼は父さんのもとで修行。夜は勉強、と既に作られている道を歩くように生活していた。
ある日の夜、父さんに呼び出された。
何の話だろうか?
——もしかしたら、高台に行っていることが目についたかな…。
少しの不安を抱えながら父さんの部屋の前に立ち、意を決してノックをする。
「父さん、アランです」
数秒の間をおいて鍵が開いた音がした。
扉が開き、口髭を蓄えた背格好の良い男が出てくる。これが僕の父ボランだ。
「入れ」
父さんは短くそう言うと身を翻して部屋に戻っていく。
言われた通り、僕も部屋に入る。
父さんは椅子に座り、軽いため息をつく。
部屋は静寂に包まれた空間となる。
どんな話がされるのか僕は身を固くして待っていた。
そしてその静寂は父の言葉によって断ち切られた。
「お前も立派になったものだな」
……それは額面通り受け取って良いものなのだろうか。それともこれから始まる説教の皮肉めいた初句だろうか。
どう返すべきか分からず、口をまごまごしていると父は続けて
「アラン、お前に重要な仕事を申し付ける」
と言い放つ。
静寂が再び訪れた。狼狽している僕の様子を見て、父は不思議そうに言う。
「何だ。嬉しくないのか?」
そりゃ嬉しいさ。
実の父に、そして商人としても一流の人間に僕の能力が認められたってことなんだから。でもその時の僕は厳しい説教から免れ安堵した気持ちやら、緊張が消し飛んだ気持ちやら、仕事を任せられた嬉しい気持ちやら、あれ?何だかよく分からなくなってきた。
「え?」
とにかく父が何を言ったのかを理解できなくてこう聞き返すのでやっとだった。
察しの良い父は勝手に合点したようで少し違う言い方で言い直した。
「お前に頼みたい仕事がある」
ようやく意味を理解した。僕も一人前として認められたってことだ。これまで積み重ねてきた商人としての修行の成果を認められたと言うことだ。息子として、そして弟子として、これほど嬉しいことはない。
こういう時こそ冷静な姿勢が大事だと父も言っていたが、どうしても嬉しさに頬が緩んでしまう。
「はい。有難く承ります。どのような内容でしょうか?」
さぁ、どんな仕事だろうか。
新しい店を出すとか?もしくは遠くの国への遠征とかだろうか。危険はあるが新天地への旅とか……?
心に夢を描きながら父の言葉を待つ。
「案内役だ」
高ぶった心は沈黙し始める。
「……案内役……ですか?」
「そうだ。簡単な仕事だろう」
「何のですか?」
「この村の」
「……何のために?」
心はすでに冬の様に冷めきっていた。独り立ちをとうとう認められたかと思ったらこのザマだ。
隠したつもりの落胆は父さんには筒抜けだったようで、僕を注意するかのようにゴホンと咳をする。
「この先、大勢の人間がこの街を訪れるだろう。商人以外もな。その中にはギリア語を話せない者もいる。そういう時お前の出番だ。アルン語もセナ語も話せるだろう?」
アルンはともかくセナは大陸の端、かなり遠くの地域だ。
父さんはそんな辺境の人までこの村に来ると読んでいるのか、と畏敬の念を抱く。
「商人以外にも移民や国の重役がくるかもしれない。そういうときは領館に案内してくれ」
でも結局僕の新しい仕事は
僕は表面には落胆の意を見せないように努める。
「まぁ、父さんがそういうならやりますよ」
まだ独り立ちには早いのだと自分に言い聞かせる。
そうしていると父はバツの悪そうな顔をした。
「実はな、これはリシュリューさんからの依頼なんだ」
リシュリューさんというのはこの村の領主さんのことだ。
父とリシュリューさんはこの村に来る前からの仲だ。父からしたら上客であるとともに親友でもある。それもあるからか僕もリシュリューさんには実力をそれ以上に買ってもらっている。
「村を大きくするための政策の一つ、ってことですね」
「そう言うことだ。お前にとってもそう悪い話じゃない。異国の客はほぼ全てお前を通ると言うことにもなるからな。人脈作りの一環だと思ってくれ」
そう言われると相当重要な役目に思えてくる。 ……僕で大丈夫だろうか。
「はい。分かりました。仕事はいつ頃からですか?」
「明日、領館で食事会がある。そこで打ち合わせをするからいつもの仕事をこなしたら来てくれ。多少遅れても構わない。食事会は5時から始まる。以上だ」
口早に言うと、目線を机の上に移す。話はこれまでのようだ。
「では、失礼します」
といって部屋を出る。
扉が音を立ててしまったのを確認すると自然と深いため息が出た。やはり父の部屋に居ると緊張する。
実の親とはいえ仕事のことになると誰よりも厳しい父だ。
僕がこの部屋に入るのは大抵仕事関係のことでだ。まだ幼い子供の時ですら、この部屋に忍び込んだ時には怒られたことを覚えている。だからこの部屋には苦手意識があるのだ。
でもよくよく考えると、この部屋で怒られたことは数える程もない。高台に行っていることを咎められるなんて取り越し苦労もいい所だ、と部屋を出てから気づいた。
「案内役かぁ」
気持ちの整理はつかないまま、夜は更けていった。
——————————
——そうして今に至る。
「ほら早く!」
僕の走りの遅さにしびれを切らした彼女はとうに僕の手を離して、道の先へと一人で駆け出していた。
どうにも運動は苦手だ。僕がやっているのは商人としての修行であって、戦士としてではない。むしろほとんど家屋の中で人と話したり、本を読んで勉強したりしているだけなのでそこらの人より体力は少ないだろう。
「ふぅ……はぁ……もうちょっとゆっくり行こうよ。 少し遅れてもいいって言われているんだからさ」
先ほどまで休んでいたはずなのに僕の肺はこれ以上ないくらい酸素を求めている。
「商人なのに言葉の裏も読めないの? 時間通り来いって意味よ!」
遠くの僕にも聞こえるように大声で叫んでいる。
彼女は高台を登ってすぐに降りているというのになんという体力だ。
「ジュリア、お願いだから少し休ませてくれ。 はぁ……走りっぱなしは、はぁ……流石にきつい」
僕の息は絶え絶え。話すのも億劫だ。
「じゃあ歩きながら休みましょう。でもここまではダッシュ!」
ジュリアは自分の足元に線が作るようにジェスチャーをして、僕を呼ぶ。
くそ、悪魔のようなやつだ。
仕方ないからヘタレた心に鞭を打って、なんとか彼女の前までたどり着いた。
「はい。よくできましたー」
これが訓練所のアイドルと呼ばれているのが不思議で堪らない。
砂漠に一輪の花が咲いていると、それがどんな色をしていても何故か綺麗に見える。そんな感じだろうか。
「ほら、お家が見えてきたよ」
ああやっと終わる。いや始まるのか。結局仕事の詳細は分からず仕舞いだった。
こんな息絶え絶えの姿を父やリシュリューさんに見られたら、どう思われるだろうか。仕事を頑張って終わらせて、急いでやってきた真面目な人に見えるだろうか。いや、コイツが告げ口をする可能性はある。そう考えると、息を整えて時間通りに行くのが最善策だろう。よし、多分歩きでも時間には間に合うはず。ここはゆっくり歩いて呼吸を正常に戻しながら行こう。
「うん。 もう走らないでも良さそうだね」
彼女にそれとなく提案する。
「何いってるの? 少し歩いたらダッシュだよ」
馬鹿なんじゃないか?
先ほどの僕の考え抜いた結論を長々と説明してやりたいところだけれどそこまでの時間はない。
「アランもトレーニングしたほうがいいよ。 日常的なとこからね」
その結果脳みそまで筋肉になっちゃ意味がないと思うけどね。
「使わないからいいんだよ」
力仕事は得意なものに任せればいい。
これぞ商人の考え方だ。
「そんなんだと、いつか歩くこともできなくなるよ」
そこまで衰えた頃には隠居しているだろう。
「それは極論すぎないかな」
「そうだとしても出来ることはできたほうが良いでしょう? ま、いいわ。行きましょう」
そういって歩き出した。
夕闇を背景に歩くお転婆娘は絵に描いたような笑顔を浮かべていた。
ーーーーーーーーーー
「ただいま帰りましたー!!」
彼女は領館の扉を開けて大声を出す。
すでに待機していたのか男の使用人が近くまで寄ってきた。
「ジュリエットお嬢様、おかえりなさいませ。アラン様もお待ちしておりました。こちらへどうぞ」
一礼して部屋まで案内してくれる。
豪奢な部屋に入ると、すでに父さんとリシュリューさんが居て、世間話に花を咲かせていた。
「あぁアラン君。よく来たね。さぁ座ってくれ。ジュリアも」
二人は僕たちに気づくと先ほどまでの笑顔を嘘のように強張らせた。
「さて、さっそく本題を話して良いかね」
父さんが無言で頷く。僕もそれに合わせる。
「大体の話はお父さんから聞いてるね。 この村の案内役になってほしいという話だ」
大体というか………大まかにしか知らない。
「はい。大枠は聞きましたが……もうちょっと詳しく仕事内容を聞かせてもらっても良いですか?」
「ふむ。そうか」
リシュリューさんが目を細めてちらっと父さんの方を見た。そしてすぐに僕に目線を合わせる。
「基本的には村の入り口に居てくれるだけで良い。そのための家がもうすぐ完成するはずだ。君の新しい住まいとして使ってくれ。護衛もつける。新顔がいたら身分を確認して、案内してくれ」
それは至れり尽くせりだ。雨の時も安心だし、護衛もいる。しかもそこに居るだけで良いなんて。暇なときには本を読むこともできるだろうし、僕にとって中々に好条件だ。
疑問があるとすれば…
「現状は大丈夫ですけど………村が大きくなったら、僕一人では回せなくなるかもしれませんね」
今はまだ僕一人でも捌けるくらいの商人がやって来ているが、街がリシュリューさんの計算通りに拡大すればそうなるだろう。
リシュリューさんは頷き、
「その時は他にも人を雇おう。 大事なのは君がこの村に来た人を見ることだ」
その一言で僕の頭に過去の記憶がよぎる。
僕が子供の頃の話だ。
領館に遊びに来た時、リシュリューさんが知らない人と話をしていた。僕はその時、なんの根拠もなかったんだけどその人が悪い人だって分かったんだ。それを話したらリシュリューさんはその人の身元を調査するよう使用人に命じた。すると本当に悪い人だって判明したって話だ。
どんな悪事をしていたかは教えてくれなかったけど、その人は牢屋に入ったとだけ聞いた。
僕の数少ない武勇伝の一つであり、リシュリューさんが僕を買ってくれている理由でもある。
「それだけしてくれれば他に何をしてくれていても構わない。簡単な仕事だ。頼めるね?」
「はい。 もちろんです」
僕は深く頷く。
リシュリューさんが手を差し出し、それに応じて握手をする。
僕の初めての仕事。商いではないけれど、間違いなく記憶に残るものになるだろう。
「よし。では家の建設地を視察して来てくれ。ジュリア、アランくんの案内を頼む」
「はい。 お父様」
彼女は立ち上がり、僕に目で「来て」と語りかける。
僕も立ち上がり、ジュリアについていく。
父さんは立ち上がらずに僕たちを見送っている。二人だけで話すべきことがあるのだろう。
僕はこれから待ち受ける初の仕事場に大きな期待を持って向かった。
ーーーーーーーーーーー
数日後
「………………………暇だなぁ」
そう、退屈なのだ。
案内役となってこの家で暮らすようになってからもう3日。村に来るのは顔見知りの商人たちばかり。つまり、今のところ僕はまったく仕事をしていないも同じだ。
持ってきた本も全て読み終えてしまって、やることがない。
誰もいない村の入り口を頬杖をつきながらぼぉっと見ていた。
この家の居心地は悪くない。材木も良いものだし、家具も一式ついている。まだ新品の匂いがするのが気になるが、それは仕方がない。
立地も村の入り口のすぐそばで、道に沿うようにしてカウンターが設けられている。
僕はカウンターの前に座って本を読むか、目の前の道を見ることぐらいしかやることがなかった。
「リシュリューさんの言うことも当てにならないものだなぁ」
僕はついつい独り言をこぼしてしまう。
まだたった3日しか経っていないが、この状況はリシュリューさんにとっても、父さんにとっても、芳しいものではないだろう。
まぁ、そんな易々と交易相手が見つかるのであれば苦労はしない。
しかしながらこの仕事をしている意味を僕は疑問に感じ始めていた。あまりにも退屈であくびが出る。
少しくらい寝てしまっても誰も咎めないだろう。そう思ってカウンターに突っ伏した時
『あの』
突然の声に驚き、体ごと起き上がる。
「っっはい!?」
足を椅子に引っ掛けてしまい、そのまま後ろに倒れこんでしまう。
ガタッ どすん
なんて無様な姿だろう。
「っつぅ〜……」
「大丈夫ですか?」
透明感のある声。
子守唄を歌うような声色で問いかけて来る声に意識は奪われ、眼前に現れた少女に目を奪われてしまった。
美しい銀色の髪。
少し焼けている肌。
髪と同じ色の眼。
艶やかな唇。
その美しさに僕は正気を取り戻すどころか言葉まで失ってしまった。
そう、彼女こそ僕の世界を変えた少女だ。
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