第2話 公爵家からの使者

 一ケ月後、公爵家から黒塗りの地味な馬車がやってきた。全く装飾のない四角い箱のような外見は、荷馬車のようにも見える。


「はじめまして。エフィム・シーロフです」

 背が高く立派な体格で、深い草色の髪に緑色の瞳の男性から挨拶を受けた。こげ茶色の詰襟の上着にズボン。腰には剣を佩いているから、護衛なのだろうか。年は三十前後に見えて、とても落ち着いている。


 ダヴィットが迎えに来たのではないことに、落胆する自分がいる。

「はじめまして。エミーリヤと申します。……あの……公爵は?」

 受け入れ準備をして、必ず迎えに来ると約束していた。公爵家の領地の屋敷まで馬車で四日。二人きりで一緒に過ごせるとダヴィットは言っていた。


「スヴェトラーナ様と旅行にお出かけになりました」

 シーロフの言葉で私は混乱した。王女と仲が悪いのではなかったのか。


 私の荷物は大きなトランクが一つと小さなトランクが一つ。シーロフが馬車の屋根に軽々と乗せる。御者は老齢で、力のいる仕事はすべてシーロフが担当しているらしい。


 御者とシーロフと私の三人の道行きでは話題もなく、馬車という狭い場所での沈黙が心に重い。

「あの……もし、よろしければ、公爵家の規則や、気を付けるべきことを教えて頂けませんか?」

 私の問い掛けにシーロフは目を瞬かせる。あまり表情に変化はなくても、これがこの人の驚きの表情なのかもしれない。


「申し訳ありません。そういった質問があるとは思いませんでした」

 シーロフは迎えに来ただけの役目なのだろうと私は理解した。

「それでは、ご令息のお名前と、どういった性格なのかだけでも教えて頂けませんか」

「それは、どういう意味ですか?」

 逆にシーロフが問いかけてきた。


「あの、私の仕事はご令息の教育係とお伺いしているのですが。字の読み書きができないので教えて欲しいと」

「……教育係はすでにおります」

 シーロフの言葉に私は驚く。

「それでは、私は何故呼ばれるのでしょうか」

「わかりません。……メレフ様は確かに字の読み書きがまだできていません」


 シーロフは私が教育係として来るとは知らされておらず、本当に迎えに来ただけだった。途方に暮れる私を見て、シーロフの態度が少し優しくなった。

 屋敷での細々とした規則を教えられ、何気ない雑談にも応じてくれるようになり、馬車の中でも飽きることはなかった。


 日中は馬車を走らせて夜は町の宿に泊まり、四日で屋敷にたどり着いた。屋敷に近づくにつれて町が寂れていくのが気になる。

 到着した公爵家の屋敷は華やかでありながらも、どこか暗い空気が漂っている。馬車は裏口で止まり、シーロフの手を借りて馬車を降りた。


 裏口からひっそりと屋敷に入り、家令と侍女長へ紹介された。シーロフが私を教育係と紹介すると明らかに動揺が見える。この人たちも私が教育係という名目で呼ばれていることを知らなかったらしい。


 用意されていた部屋は屋敷の端。日当たりは悪くても、家具は高価な客室。居間と寝室は別れており、ベッドは大人が三人は眠れそうな大きなものだった。


 シーロフに屋敷を案内されながら、すれ違う従僕や侍女が全員老齢であることに疑問を抱いた。

「あの……お若い方がいらっしゃらないようですが、力仕事はどうなさっているんですか?」

「主に私が呼ばれます。人手が足りない時には村から臨時で雇います。……ある程度の年齢以上でなければ、この屋敷では雇えません」

 それは王家から指示されているとシーロフは言う。理由はわからなくても決まりと言われれば雇用されている身としては、受け入れるしかない。


「……貴女を迎えに行くようにと指示されたのはスヴェトラーナ様です」

 その言葉に私は驚きを隠せなかった。ダヴィットが雇うのではなかったのか。

「そうですか」

 私は何も言う事ができなくなってしまった。


 夕方になり、屋敷の外が騒がしくなった。屋敷の主人が旅行から戻ってくるというので、皆で並んで出迎えを行うらしい。何の指示もなかったものの、私もその列の端に加わることにした。


 豪華な馬車が屋敷の玄関前に止まった。扉が従僕によって開けられ、最初に降りてきたのは立派な青い服を着たダヴィット。


 凛々しい姿に、私の胸はときめく。私がここにいることを早く気づいて欲しい。私はダヴィットに視線を向け続ける。


 ダヴィットの手を借りながら降りてきたのは、銀色の髪の美しい王女。豪華なドレスを着ていても、その体は華奢であることがわかる。その青い瞳は並んだ使用人を一瞥した後、私に向けられた。刺すような鋭い視線が怖い。


 助けを求めてダヴィットを見ても、彼は王女しか見ていない。王女の手を取り、王女に微笑むだけ。


「何か変わったことはない?」

 王女の問いに家令が教育係が到着したと報告を上げ、ダヴィットがようやく私の姿を見たのに一瞬で目を逸らしてしまった。


「そう。では明日から働いてもらうわね」

 王女の一言で、私は教育係として正式に雇われることになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る