第12話 全力少女
千夏は今までにないくらい、必死で自転車をこいだ。
距離にしたら一キロもない病院までの道のりを、人にぶつかりそうになりながらも決して立ち止まることなく。
千夏が目指す病院は、界人の住む家の周辺では一番大きい病院だ。
界人の家からもその建物は見える。
――中村さんに、何かあったんだ……!!
そう思うと信号待ちすらも煩わしく思えた。
「はぁ……はぁ……!」
信号待ちの一分ほどを、千夏は肩で息をしながら待つ。
その形相はもはや鬼の様で道行く人が皆千夏を見てぎょっとしていた。
「……あっおおぉぉぉ!!」
信号が青になった瞬間、千夏はまたも全力で自転車をこいだ。
普段の運動不足がたたっているのか、足がガクガクする。
全身から噴き出る汗が尋常でない。
それでも千夏は止まらない。
そこに中村さんがいるんだ、という思いだけでペダルをこぎ続けた。
「ち、千夏ちゃん……?」
「はぁ……はぁ……な、なか、む、らさん……」
自転車から飛び降りて、その車体が倒れるのも構わず千夏は界人に走り寄った。
足がもつれて転びそうになったが、それだけは何とか避けることができた様だ。
「な、何ですかそのカッコ……どうしちゃったんですか、中村さん……ゼェ……」
「ち、千夏ちゃんこそ……とりあえず自転車避けよう?邪魔になっちゃうかもしれないから」
そう言った界人は、片手に松葉杖をついていた。
足にはギプスこそしていないが、湿布が貼られている。
軽く息を整えて、千夏は界人に言われた通り自転車を隅に避けて座り込む。
「だ、大丈夫か?」
「はぁ……はぁ……だい……じょうぶです……」
大分息が整ったところで、千夏は界人の方を向き直って、界人のついている松葉杖を指さす。
「な、何があったんですか、本当……何でそんなもの……」
「ああ、これな……とりあえず帰ろうか。色々難しい話になるから、ゆっくり話したいし」
そう言って界人がひょこひょこ歩きだそうとするのを、千夏は肩を掴んで止める。
「……な、何?」
「中村さん……見る限りそれ大けがですよね。後ろ、乗ってください」
千夏は既に自転車に跨ってスタンバイしている。
荷台を左手で叩いて界人に座る様促していた。
「お、おいおい……それはダメだろ……仮に法律でOKされてても、女子高生の後ろに乗るとか……」
「けが人が変な遠慮しないでください。私なら大丈夫です。それにこの辺警察とか滅多に通りませんから」
「だ、だけど……」
「ごちゃごちゃ言うなら、ここで乱暴された、って叫びます」
「…………」
女子高生の運転する自転車の後ろに三十過ぎの男が乗っているという、カオスな構図。
道行く人の誰もが目を見開いてその光景を見つめていた。
「な、なぁ……すごい視線が気になるんだけど」
「喋らないでください。舌噛みますよ!」
「お、おい……ていうかスピード出し過ぎ……」
「飛ばしますからね!ちゃんと掴まってください!!」
「うっわ!マジかよあぶあぶあぶあぶ!!」
何とか界人のマンションに到着して、界人は一息つく。
――生きた心地がしなかった……色んな意味で。この調子だと千夏ちゃんが車の免許とか取っても、この子の運転には期待できないだろ……。
しかし、そんな界人の思考に反して千夏は自然に手を引いたりと優しい一面を見せる。
「ほら、そこ段差ありますから……」
「あ、ああ……」
夕方四時過ぎ、二人は以前までの様に界人の部屋にいた。
喉渇いてますよね、と千夏が飲み物を持ってくる。
「それくらい、自分でやるけど」
「けが人が何言ってるんですか?その話もちゃんとしてもらいますからね」
「…………」
――困ったことになったな。でも千夏ちゃんの言う通り、けが人なことには違いないんだよな……。
「はい、中村さん」
「ああ……ありがとう」
「で?何処怪我したんです?湿布貼ってあるの見る限りだと膝みたいですけど」
「ああ、膝だね。ぶつけたとかじゃないんだけどさ。うちの今の仕事、米とか扱ってるんだけど」
「ええ」
「それを持ち上げたりして、結構力仕事なんだ」
「ふむ」
多分この子想像できてないんだろうな、と思いながらも界人は話を続ける。
「最初左膝が痛くて、会社終わってから検査とか行ってたんだ」
「え、ええ」
「んで今日結果が出て……」
「…………」
――そんなに悪かったのかな……。聞くのがちょっと怖いかもしれない。
千夏は意外と想像力が豊かで、割と最悪の事態まで考えていた。
このまま、おはようからおやすみまで面倒見ることになったら……そんな幸せなことはない、とかなんとか。
「疲労骨折だってさ」
「……骨折?」
「ああ……普通に折れたのとはちょっと違うんだけど……何て言うのかな、骨に圧力かかり過ぎてたみたいで」
「…………」
千夏からしたら、テレビでスポーツ選手がなったって聞いたりしたのを覚えている、くらいのものだった。
周りで疲労骨折した、みたいな話を聞いたことはない。
「全治三か月だそうだ」
「ええ!?じゃ、じゃあ会社は……」
「ああ……さっき電話したら、残念だけど仕方ない、って」
「そ、そうなんですか……」
「一応市役所にもまた連絡は入れたけどね。打ち切る準備してたみたいだけど、また再開してくれるみたいだから生活の心配はないんだけどさ」
「…………」
――そんな……せっかく仕事が見つかったって喜んでたのに……。
「なぁ、千夏ちゃん」
「な、何ですか?」
「僕なんかにいつまでも構ってない方がいいよ。どう考えてもめんどくさいでしょ、僕」
「え……」
「だって、仕事したらこんなことになるし、骨密度が人より三割くらい少ないとか言われて力仕事は治ってからもNGなんて言われてるし」
「な、中村さん……?」
「このまままともな仕事につけない、なんてことだって考えられる。それに引き換え君はこれからの子なんだ。人生を無駄にすることはないだろ」
言ってしまって、界人はこのままじゃ千夏を傷つけることになると考える。
――だけど、限りある人生なんだしこの先僕なんかよりももっといい男に出会えると思うし……。
「何で、そんなこと言うんですか?」
「へ?」
「私、迷惑ですか?」
「い、いや……」
俯きながらも千夏の言い知れぬ迫力が見え隠れして、界人は冷や汗が背中を伝うのを感じた。
傷つけるというか、怒らせたらしい。
「今働けないからって、何ですか!!なら私が働きますよ!中村さんのこと、私が養います!!」
「はぁ!?話が飛躍しすぎだ!別に一生働けないかも、なんて話は……」
「だったらいいじゃないですか!!骨が弱いから何なんですか!?私はそんなの気にしません!大体怪我してるんだから、今仕事できないのなんか仕方ないじゃないですか!!」
「そ、それはそうだけど……」
「私が!!中村さんのこと好きでこうしてるんです!!文句あるんですか!?」
「…………」
あまりにも堂々と言われて、界人としては反応に困る。
千夏がいい加減な気持ちで言っているわけではないことくらい、界人でも理解は出来ている。
だからこそ危うい、と界人は考える。
千夏は思い込みの激しい子なのだろう。
だからこそ今ここまで盲目的に界人に尽くしている。
一方の千夏はそんなこと微塵も考えてはいないが、このままずるずると婚期を逃したりしてしまうのではないか、というのが界人の見解だった。
そうなってしまうと、もう責任重大なんてレベルではなくなる。
若い子の有望な将来を奪ってしまう。
「一緒にいたいから、一緒にいるんです。迷惑じゃないなら、一緒にいさせてください!お願いします!!」
そう言って千夏は、何と界人に向かって土下座をした。
びしっと決まった、綺麗な土下座に界人は一瞬目を奪われる。
「ちょ、ち、千夏ちゃん!?」
「中村さんが認めてくれるまで、私頭上げませんから!!」
「ええ……」
「あーあ、見ちゃった」
「!?」
玄関から声が聞こえて、界人の心臓は更に跳ね上がる。
――この声……何で……今日用事あるとか言ってなかったっけ……。
「まどか……彩……」
「お、おいおい……」
「あ、ちなみにばっちり写メっといたんで。今って便利なアプリ多いですよね。シャッター音消したりとか」
「…………」
――何だ、何なんだ、この子ら……。本当悪魔みたいな子だ……。最近大人しかったのに……それどころか友好的でいい子だなぁ、なんて評価を改めたばっかりだったのに……。
「すみません、私が呼んだんです」
「い、いつの間に……」
千夏が頭を上げないままで言うのを、界人は青い顔をして聞いていた。
――まぁ、ゆかりがここにいないだけまだマシだけど……。
「中村さん、千夏のことが心配なのはわかりますけど……千夏の気持ちは考えてあげないんですか?」
「そ、それは……」
「あれ、界人?お客さん?何か靴がいっぱい……」
「パパって一人暮らしじゃなかったっけ」
「!!」
再度ドアが開けられて、入ってくる人影が二つ。
「ゆ、ゆかり……由衣……」
「あ……」
きょとんとしているゆかりと、娘の由衣。
そして青くなる一同。
一人は界人の目の前で土下座をしているという。
予期せぬ修羅場に界人はただただ慌てふためくのみだった。
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