ハルカナデ~臆病なふたりの恋模様~

秋月志音

プロローグ

 日差しが透き通った空気を暖め、春の陽気となる。過ごしやすい気温だけが春の好きなところだった。


 人見知りで臆病者の僕、九十九つくも優希ゆうきにとって、春は憂鬱な季節だった。知り合いが誰もおらず、新しく人間関係を築かなければならない高校一年生の春。一人きりで二年の廊下に放置された日には、身の置き所をなくしてしまう。初めて外国にでも来たような気分だ。


 落ち着かない気持ちで目のやり場を求め、窓の外をぼーっと眺める。通り過ぎる生徒は、誰も僕になんて目も留めない。


 この瞬間、僕は春の穏やかな風になれる。そう思うと少しは心が安らいだ。


 あるいは、存在感の薄さのあまり、本当に誰からも見えなくなっていたりして。そんなバカなことを考えながら、現実の外国へと気持ちを戻す。窓に背を向けて、左に伸びる長い廊下を見渡した。待ち人はまだ来ないようだ。


 ふと、視線を感じる。この瞬間、僕はもう空気ではなくなっていたらしい。


 初めて見たその人は、とても悲しそうな顔をしていた。


 天使みたいに神秘的な存在感、肩までふわっと落ちる黒い髪。大人っぽさとかわいらしさを兼ね備えている彼女には、一目で僕を引き付ける力があった。


 目が合うと、僕の胸は瞬時に大きく高鳴り始める。


 時間が止まったような感覚。目を逸らしたいはずなのに、僕にはできなかった。それは、彼女の瞳の奥に何かがあって、身構えなければならなかったからだ。


 そして僕の予想通り、彼女の目から一筋の雫がこぼれ落ちた。


 彼女の友人らしき人が両隣にやってきて、驚いたように声をかけている。その様子を無力に眺めている僕の耳には、全ての音が遠くに感じられた。


 僕は直視していた。ある種の拷問のように目が離せなかった。


 混乱して呼吸が乱れる。ただ立っているだけなのに、変な汗まで流れてきた。


 ――もう限界だった。


「……ごめんなさい!」


 僕は廊下を走り出す。敵前逃亡。彼女の友人の声は、本当に遠くのものとなっていった。僕は頭の整理ができないまま、彼女たちから見えなくなるまで走っていった。


 これが、我田わがた春奏はるかさんとの出会いだった。


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