第一章 冒険者エーデル

五年後 かつての英雄の行方

「──で、あるからして。五年前の帝国と王国の国境に連なる山脈に位置する北方鎮台での戦いは我が国が勝利し、我が国の平穏を脅かす帝国の魔の手を退けた。その後、各国と協力し、帝国への経済制裁等で抑圧。休戦こそしていないものの、ここ数年の帝国は干渉してこなくなり、束の間の平穏を取り戻している」


 ──アリエス王国の首都、シーラの中央区に存在する、王立士官学校の一年生の教室。

 そこで、一人の背丈が高い武骨な男性教官が、黒板で過去に起きた戦いの模様を順に追って説明しながら、そこで使用された戦術を五十人の士官候補生の前で講義していた。


「さて……ではこの五年前に起きた北方鎮台防衛戦で使用された幾つかの戦術の中の一つを誰かに説明してもらおうか」


 一通り言い終えたのか、教卓に開いていた戦術を取り扱っている教科書を置き、教官はかけていた眼鏡を外し、レンズを拭いて再び皆に向き直ると、ここまでの講義を振り返るという名目でそんな提案をした。

 勿論、候補生達には有無を言わさずに、教官の提案で引き締まった表情へ変えた少年少女を見渡す。


「ふむ。では、そうだな」


 一通り見渡した後、教官は説明をさせる候補生の名前を挙げた。


「──では、リール・イスファール准尉。北方鎮台防衛戦での最終戦、増援部隊を含めた敵軍の五割を一度の攻撃で壊滅させ、撤退まで追い詰めた作戦の名と、その作戦で使用された戦術について述べよ」


「はい!」


 名前を呼ばれた候補生は、凛とした返事をして、スラリと教科書を手にとって立ち上がる。


 一つに結んだ栗色の髪と碧色の瞳をした、士官候補生とは到底思えない可憐な少女だが、天井へ伸びた姿勢や雰囲気から、中々様になっている。

 少し間を開けて、リールは教卓の教官に向かって、口火を切った。

 

「北方鎮台防衛戦の最終戦である、レチアド山の戦い。その戦いはかつてないほどの戦力差が浮き彫りとなった戦いでした。敵軍は増援部隊を含めた1000人単位の五個重装歩兵軍団。そして500単位の一個魔法師師団の計5500人。それに対し、我が軍は攻防戦で消耗が激しい北方鎮台防衛軍三個騎兵師団、二個重装歩兵中隊、五個軽装歩兵大隊、二個魔法師師団の計2600人という戦力差でした。特に帝国の重装歩兵は精強で、当戦闘に参加していた魔法師団も練度が高く、戦力差も考えれば到底勝つことは出来ない相手でした。しかし、そこで当時の北方鎮台を指揮していたエマ・エルレガーデン大将が『レチアド作戦』を発令しました。その作戦内容は、当時の戦術学からしてみれば奇想天外なものだったそうで、それは先ず、斥候を散開させて敵部隊の捜索に当たらせ、発見し次第上空へ目印となる魔法を打ち上げます。そして、常に軽装歩兵と行動している騎兵部隊は、目印が上がった場所へ急行し、突撃時に敵陣へ行く歩兵の道を切り開く役割を担う騎兵に別行動させ、持ち前の機動力で本隊に集結前の比較的少ない戦力の敵軍の増援部隊を叩き、撹乱させた敵部隊を同じく機動力に優れる軽装歩兵部隊と魔法師部隊で一気に撃滅させる、所謂『各個撃破戦法』取り入れた作戦でした」


 そこで一旦区切り、一拍置いた後、また続けた。


「今では定石となったこの『各個撃破戦法』ですが、当時では革新的で、当然敵部隊はその作戦に対する対抗案を短期間で見出せずに、山の上から高速で駆けてくる騎兵部隊に不意を突かれて尽(ことごと)く壊滅させられました。壊滅させられた部隊からは伝う手立てがなく、当然敵軍の本隊は壊滅状態の増援部隊の事と、革新的な戦法を使ってくる王国の事も感知することが出来なかったようです。それに、王国側はこのレチアド山の立地には詳しく、夜でも休息中の敵部隊を探し当て、襲撃し、眠らさせないようにさせ、体力と士気の低下も促したとのことです。しかし、そこに魔法師団が立ちはだかりました。遠距離から騎兵部隊を一方的に攻撃し、為す術もなく魔法を食らい、十数回の襲撃時には騎兵部隊の被害は甚大になっていました。順調だった『レチアド作戦』でしたが、要となる騎兵の被害が大きくなったことにより、続行は不可能とされ、一番の悪手である籠城戦に踏み切ろうとした矢先、撤退中の騎兵が幸いにも敵軍本隊を発見しました。殆どの本隊へ合流するはずであった敵増援部隊を道中で壊滅させたので、本隊は未だに到着を待っている様子だったそうです。そこで、エマ・エルレガーデン大将は本隊への総攻撃を命令し、残る全戦力で本隊を叩きました。しかし、帝国の精強な重装歩兵を中心とした編成をした部隊との戦いの結果は痛み分けで終わり、次に撤退戦に移行しました。騎兵、軽装歩兵と魔法師は撤退を優先し、重装歩兵は殿を努めました。この撤退戦は負けることが出来ません。何故なら、全戦力を投入している今、ここで戦力を大方失うことになれば、国境はがら空きになり、更なる被害が国内に及んでしまうからです。そこで大活躍したのが、『救国の戦槍』という名で知られる英雄、エデル・バデレイク大尉でありました。彼が先頭に立ち、鬼神の如く、大勢の敵兵士を薙ぎ倒し、そのお陰で同じく殿を努めていた重装歩兵達にも被害が少なくも、前線を維持することが出来ました。その後、互いの戦力差が縮まった時に、大規模な反抗作戦を決行し、見事撃退。結果、作戦は成功し、北方鎮台、国境と共に、王国が救われました」


 長い説明を一言一句噛まずに言い終わり、リールは「以上です」と教官に区切りを付け、席に静かに着席する。


「よろしい。実に分かりやすい説明だった。皆、拍手」


 多くの拍手が巻き起こり、少し照れるように顔を背けるリール。


 教官は満足そうに頷き、拍手が鳴り止んだとき、再びリールにこう質問した。


「では優秀なリール・イスファール准尉に再度聞こう。この作戦での成功要因とは何か。自身の意見で述べてみてくれ」


「えっ……あ。は、はい! ……成功要因とは簡潔に言えば、先ず地理的に此方が熟知していたこと。二倍という戦力差が出たため敵が油断していたこと。そして、その油断を見抜き、当時では革新的な戦法を立案したエマ・エルレガーデン大将の存在。……何より、撤退戦で敵方に大きな被害を与え、且つ自らを犠牲にすることにより味方の被害を抑え、エデル・バデレイク大尉の存在でしょうか。それらの条件が重なったことにより、作戦成功に繋がったのだと思います」


「ふむ……まあ及第点だな」


「はい、ありがとうございました」


 そこでチャイムが鳴り響く。


「本日の講義を終了する」


 教官は教科書を持ち、教室を出ていくと、喧騒が広がり始めたのだった。





= = = = = =




「リールっ! さっきはお疲れ様!」


 教科書を纏めていると、後ろから陽気な調子で話しかけられた。


「あ、イーリス」


 振り返ると、黒い長髪に、藍色の瞳をした少女が後ろの机に手を掛けながら座っていた。


「あんな質問、よく答えられたよね。私だったらオドオドして答えられなかったよー」


「いえ、『レチアド山の戦い』は結構最近のものなので、図書館に行けば緻密に記録されている本が沢山あるので、読んでいればあれぐらいの説明は出来ますよ。……といってますけど、内心結構焦ってました」


 苦笑したリールに、イーリスは頬を緩めた。


「あはは! 確かに、最後の成功要因を述べよって言われた時、ちょっと素が出てたもんねっ」


 無邪気に笑う友人に、苦笑からひきつらせた笑みになったリールは素直に返答した。


「はい……あれは、なんといいますか、不可抗力と言いますか……」


「流石にあれだけで減点なんて無いとは思うけどねー。まあ、しょうがないよ! 説明が終わったと思ったらまた質問が来るんだもん。逆に素が出ないと可笑しいって!」


「ありがとうございます。イーリス」


 掘り返したり、励ましてきたりと騒がしいが、リールはイーリスなりの心配のかけ方を熟知しているので、そんな騒がしさも、実際は温かく感じている。


「──リール、イーリス」


 そんな会話をしていると、後ろから爽やかな男声が二人の名を呼んだ。

 同時に振り向くと、そこには他の男子も着ている筈の制服を、これでもかというほどに着こなす、金の短髪と紺の瞳をした、端麗な青年が微笑んで立っている。


「……ん? ハルトじゃん。どうしたの?」


「ハルトくん。何か用ですか?」


 二人して目の前の青年──ハルトに用件を聞くと、爽やかな微笑を崩さずに話始めた。


「いや、大したことじゃ無いんだけど、たださっきの授業でのリールの説明が凄く分かりやすいものだったから、何処であんな知識を集めたのか気になってね」


「ふ~ん。ハルトはそう聞いてるけど……どうすんの? 話してみる?」


「え、ええっ……で、ですがそれはっ……そのぉ」


 ハルトの疑問に、何か知っている風にイーリスはリールに促した。

 

 話すように促されたのだが、顔を赤面させて、何処か恥ずかしさを募らせた雰囲気で渋るリールに、ハルトは困惑する。


「? どうしたんだい? 何だかいつものリールらしくないな」


「あ、やっぱハルトも分かっちゃう? このリールらしくない何か」


「それはね。小さい頃から一緒に育ってきた幼馴染だから。いつものリールは一見気弱に見えるけど、とことんまで自分を追い詰めて能力を高めていくことが出来るから、強くて真面目な印象

を受けてたんだけど……」


 そんな印象を話したハルトに、イーリスはサムズアップをした。


「流石ね。で、いきなりなんだけど、このリールらしくない何かの原因、何だと思う? 是非幼馴染の意見を聞きたいなってね~」


「うーん……」


 ぐいっと近くに寄って、先程から上気していたリールの赤面顔を見つめ、見極めようとするハルトに、またリールは余計の恥ずかしさで一段と頬を紅潮させた。


「は、ハルト! 近いですから」


「あ、ごめん。うーん……そうだね。ひょっとして恋煩いじゃないかな?」


「……!!」


 ハルトの言葉に図星なのか、リールは満更でもないように頬を一気に赤くした。


「正解っ! いやあ、やっぱ幼馴染みは違うねぇ! あっさりと見破られちゃったよ。ねっ? リール?」


 顔を俯かせるリールを、からかうように笑顔になりながら、イーリスはハルトを褒める。


「ははっ。まあね。で? 誰なのかな? リールの想い人ととやらは」


「うーん。どうする? 教えちゃう? ねえねえ! リールってば~」


「もうっ!! 煩い! 煩いです! イーリスは本っ当に自重してください!」


 からかってくるイーリスに我慢の限界である。


 リールはそう声を張り上げながら、席から勢いよく立ち上がると、教室からズカズカと出ていってしまった。

 当然、残された二人はリールの張り上げた声で注目を浴びることになるが、当の本人たちはその事を気にせずに、幼き頃からの付き合いである、今では一年生の中では一番の有望株に成長した彼女に様々な思いを馳せた。


「リールが他人に興味を持つなんて、珍しいよね……」


「……うん。あのリールが、夢中になるほどの人物といえば、そうは居ないだろうけど、一体どんな大きな器の持ち主なんだろうか」


「ふふ。……ハルトは本当にリールが好きなんだね。だからこそ、リールが夢中になっている相手がどれ程大きな器の持ち主だってことに気付いたのかな……ハルトの予想通り、リールが恋をしてるのは、この国にとって、あの勇者にも劣らないほどの器の持ち主だよ」


「勇者にも劣らないほどの器の持ち主……まさか」


 イーリスの言葉に、ハルトは目を見張ると同時に、確信めいた顔付きをする。

 しかし、その大きすぎる器の持ち主だと確信したからこそ、ハルトは表情を曇らせた。


「……でも、無理があるんじゃないのかい? あれほどの英傑に恋い焦がれていても、その想いが届く可能性は……」


「うん。確かにそうだよね。でも、あの子が今のような有望株になれたのも、その高過ぎる目標に辿り着くためと必死に努力してきた成果なんだ。だから、決して届くことは無くても、私はあの子を応援するよ」


 先程までの雰囲気とは打って変わって、真っ直ぐに意志を伝えるイーリスの言葉に、ゆっくりと頷いた。


「……そっか。リールが本気で、あの英傑に振り向いて貰うために努力してるのであれば、僕も負けてられない。リールに振り向いて貰うために努力しないとだね?」







「……うん。頑張って。流石に『救国の戦槍』相手じゃ、分が悪いと思うけど、勿論ハルトの恋だって応援するからね」



 屈託なく笑うハルトに対し、微笑を浮かべるイーリス。


 二人は再び、リールが出ていった教室の扉に、目線を向けた。

 












 王立士官学校から南に数キロ離れた平民区の、こじんまりとした宿のとある一室。


 その部屋は、特にこれといった家具は殆ど置いていない、ベッドと机、椅子が一つずつあるだけの無機質なものだった。


 机の上には、エールを少し飲み残しているジョッキと、無造作に置かれた蓋を開けたままの三本の内一本の酒瓶には半分以上のエールが残っている。

 それを見る限り、まだ真新しいので、つまりはそこのベッドで寝ている無精髭を伸ばした若者が昨夜にそれらを飲み、途中で酔って寝てしまったことが予想できる。


 ベッドで体を大の字にして寝ている、再び言うが無精髭を生やし、次いでに目下に隈が出来ている、如何にも浮浪者のような、辛うじて若者だと判別できる青年は今、一回二回と大きく寝返りを打った後、何故か鍛え上げられた体を起こそうとした。


 しかし、起こそうとした体は二日酔いをしてしまったせいなのだろうか。

 敢えなく、また着床してしまった。


「……ぁあ」


 アンデッドが出す呻き声のようはものを上げる。


「……糞。ぁた、まが……ジンジン……する」


 独り言にしては大きい声量だが、それでも常人には何を言っているのか聞き取れない言葉を発した後、頭を片手で抑えて、またゆっくりと再起した。


 今度は再び着床せずに、無事座ることが出来た青年は、数秒間呆けて、ベッドから降りる。


 覚束ない足取りで向かうのは洗面台だ。

 昨晩に汲んできた井戸の冷えた水が入ったバケツに、そのまま顔を突っ込み、両手で眠気を覚ますようにごしごしと顔を洗うと、タオルを手に取り、そのまま顔を拭きながら、また覚束ない足取りで扉に向かい、側に立て掛けてあった安物で使い古された長槍を手に取り、外へ出た。


 二日酔いの常人なら、いきなり長槍を持って外出する青年の気が知れないだろうが、この青年にとってはこれが生活の一部となっているため、青年にとっては、これが普通のことなのだ。



 二日酔いの症状で来る酷い頭痛も、体の気だるさ等の体の異状をも無視をして、青年は宿の敷地である庭で尚も覚束ない足を止めた。


「……昨日は飲みすぎたな。今度からは気を付けよう」

 

 そこで初めて、青年ははっきりとした口調で独りぼやいた。


 ここまでは、二日酔いをして、唯朝一番に宿の外で独り言を呟く変人しか見えないだろう。


 しかし、そこからの青年は、まるで違って見えることになる。




 


 アリエス王国には、英雄達が居る。

 その中でも、際立った活躍を見せたのが、『救国の戦槍』の称号を持つ、エデル・バデレイクという一人の騎士であった。


 エデル・バデレイクは斧槍(ハルバード)を得意としており、その扱いは剣よりも速く、鋭く、そして長かったと言われている。


 踊るように舞い、その度に切り伏せられていく兵士たちの様は、その槍の舞が美しくあるがゆえに、実に滑稽に思えてしまうのだという。




 ──そして、この青年。


 あの勇者とも比較されるほどの英雄であるエデル・バデレイクを連想させるような、速く、鋭く、長く、そして美しい舞いを、こじんまりとした宿の庭で披露しているのだ。

 

 全身の力を、一挙に穂先に集中された突きや薙ぎ払いは、凄まじい風切り音とともに、毎度のように周囲に風を起こさせ、埃を巻き散らかしていた。


 時折、体術をも混ぜる、独特のその流派は、あの高名な槍術士の家系であるバデレイク流と呼ばれ、バデレイクに生まれた者のみが習得できる、特別且つ希少なものだ。


 ならば、今、宿の庭で非常に完成されたバデレイク流槍術を披露するこの青年は一体何者なのだろうか。


 如何にも若者の浮浪者にしか見えない青年がバデレイク家の出身だと言うのだろうか。


 いや、そう悩む必要もないだろう。


 何故ならば──





「……」


 最後の一振りを終え、無言で自然体へ流れる動作で移行するこの青年自体が








「──エーデルさん。朝御飯ですよ」



「ああ、直ぐ行く」


 伝えに来た看板娘に、微笑んで答える青年こそが──













 朝を知らせる小鳥達が囀ずる、心地よい温かな空気の季節。


 この春、新たな物語が紡ぎ出されようとしていた。



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