第四十一話「トラブル発生」
ドリンクスペースに近づくと、俺に気付いた給仕が素早く声を掛けてくれる。
「何にしますか?」
子供相手の俺に優しい口調で問う。
ドリンクスペースというべき場所にはピカピカに磨かれたグラスが並べられ、奥には様々な瓶が並べられていた。
ただし、並べられた飲み物の多くはワインのようだ。
チラリと同じように飲み物を取りに来た紳士の一人は別の給仕と、これはどこどこで造られたワインで、何年もののといったやり取りをしていた。
どこの世界でもワインは嗜好品としての確かな地位を確立しているようである。
(早く飲めるようになりたい……)
この世界では十五歳になれば成人と見なされるので後五年の辛抱だ。
呪いさえなければと、少し思わずにはいられないが。
結局、悩む素振りを見せながら机に並べられた飲み物を確認するが、オーダー出来そうなものは水と果実ジュースしかなさそうであった。
ラフィにはワインでいいかもしれないが、以前酒場で見たラフィの様子から、こういった公の場では、あまり飲まさない方がいいだろうと判断する。
「ジュースを。グラスを2個貰えますか?」
「はい、畏まりました」
注文したものが準備されている間、改めて会場を見渡す。
入った時は広い会場だと思っていたが、その会場も今や多くの人で賑わっており、中央に空けられたダンススペース以外の場所は、雑談に興じる人で溢れていた。
王国と森国の親交を深める場とはいっても、多くは森国の者であった。
それもそうであろう。
王国の転移陣は現在使えない為、この会場に来ている王国側の人間はわざわざ共和国まで陸路を移動し、そこから転移陣を使用しなければならなかったため、アニエスと共に外交の為、森国を訪れている人に限られるのだから。
パっと見ただけでは王国関係者を見つけることはできない。
例外はアニエスの周辺。
アニエスは多くの人に囲まれており、その周囲には王国の人間も談笑しているのが見えた。
(アニエス姉さん大変そうだ……)
本来であれば俺よりも年下であるアニエスであるが、あの年で多くの大人相手に、会話しながらにこやかな微笑みを浮かべる仕草はとても真似できない。
「お待たせしました」
そうこうしてると、給仕が注文したグラスが2個、橙色のジュースを注いだものを持って来てくれた。
「ありがとうございます」
礼を述べグラスを受け取る。
さて、ラフィのところに戻ろうとすると、ちょうどラフィは知り合いらしき集団に囲まれているのが見えた。
それも今度は女性ばかり。
旧友であろうか。
これは邪魔しちゃ悪いかなと思い、時間を置いてから戻ることを決める。
邪魔にならないよう、端により、グラスの片方を口に含む。
(あ、おいしい)
ミックスジュースのようだ。
何の果実を使っているかまではわからないが酸味と程よい甘味が口に広がる。
ペロリと飲み干してしまう。
今しがた離れたドリンクスペースに戻り、お代わりを貰おうかと真剣に悩むが、あまりガブガブ飲んでいる姿はこの場に相応しくないであろうと判断し自重する。
(もうちょっと時間を置いてからにしよう)
となると音楽に耳を傾けながらボケーっと会場を観察するくらいしかやることがなくなってしまう。
(うーん、あんまり俺みたいなのは見当たらないな)
何となく同じくらいの年齢を探してしまうが、皆成人している人ばかり。
ラフィの説明通り、森国の人は花を模った装飾を付けている。
そこに木の実付きの、つまり未成年である印を付けている者は見当たらなかった。
「おや、お嬢ちゃんは一人かい?」
会場を観察していたら、声を掛けられた。
声がした方へと目を向けると、初老の男性が立っていた。
「見ない顔だな」
男は片眼鏡を掛けており、それを右手で持ち上げながら俺のことをじろじろと観察する。
耳は尖っておらず、この会場では数少ない王国の者であることがわかった。
つまり外交の為に来た、王国の貴族である。
できれば関わりたくないなと内心思いながらも、話しかけられてしまったので無視することは出来ない。
ボケっとしていた表情を切り替え、笑みを浮かべて挨拶する。
「アリスと申します。風の導きに感謝を」
無難に挨拶を終えたつもりであったが。
「なんだそれは。なぜ人族の者が長耳族の挨拶の真似をする?」
男は露骨に顔をしかめ、不快感を表す。
(あ、あれ?)
予想外の反応に戸惑う。
「アリスとやら。お前はどこの家の者だ?」
「い、家ですか?」
あんまりの男の態度に内心カチンとくるが、ここは平常心。
せっかくの会場で徒に騒ぎを起こすわけにはいかない。
本音を言えば、この失礼な男に、
「サザーランド家ですが。おたくこそどちらの家の者か聞いても?」
と切り返したいところである。
ただ、喧嘩腰に応じては余計に面倒なことになるのが容易に想像できた。
「失礼しました。私はラフィ様にお世話になっている身でして、名乗る程の家名は……」
この男の素性は不明であるが、取り敢えず事実としてラフィの庇護下にある髪留めをつけているので、ラフィの名を出しつつ、サザーランドという家名は伏せる。
その言葉を聞いた男は、何故だかさらに眉をひそめた。
「ラフィ……? ああ、災厄で勇者に引っ付いてるだけで名を挙げたとかいう小娘か」
流石に男の言葉に、俺は苛立ちを憶える。
表面上はニコリと微笑んだままだが。
(というか小娘って……。あんたの方が実際は年下かもしれないぞ)
グラスに入ったワインを気分よく飲みながら目の前の男は、なおも語る。
「どうせ巷で語られる誇張された、あの小娘の英雄伝に憧れて弟子入りでもしたか?
やめておけ。森国の魔術のレベルなど、たかが知れておる。
自国に帰って、しっかり基礎から魔術を学んだ方が将来のためになるぞ」
「はぁ」
明らかに森国の人を見下した態度に俺は更に不快感を覚えるが、目の前の男はそれに気づく様子はない。
滔々と男は自分の主張を続ける。
(なんでこんなのが、この会場にいるんだ?)
この男がいては、とてもじゃないが森国と友好な関係が築けるとは思えない。
同時に、さすがの俺も目の前の人物が何者であるか察しがついた。
(こいつが噂のリットン卿か)
ついでとばかりに、話の所々でラフィを悪くいう発言が聞こえ、流石に限界を超え、つい思ったことを口に出してしまう。
にっこりと笑みを浮かべながら。
「災厄の時に何もされなかったリットン卿よりもラフィ様の方がはるかに素晴らしいと思いますがね」
「なんだと!?」
その一言で、先程まで気分よく語っていたリットン卿は激怒した。
同時に持っていたグラスから赤い液体を浴びせられた。
避けることもできたが、冷めた目でそれを受ける。
「私が誰とわかって言ってるのか!?」
「ええ、もちろんです。リットン卿」
会話を続けながらも、このリットン卿とやらに俺はもう興味を抱かなかった。
考えていたことはせっかくの服が汚れてしまい、あとで魔術を使って綺麗にしなきゃなと言うことと、怒声により、会場内が突如しーんと静まり返り、その原因をつくったことを、あとでラフィに謝らないとなということ。
「何事だ!?」
とか考えていたらもっとややこしい事態を招いてしまった。
駆けつけて来てくれたのは、よりにもよってレイであった。
よくよく考えてみれば、この催しの責任者はこの場で最も偉いであろうと思われるレイだ。
その会場で起きた揉め事に仲裁として駆け付けるのは当たり前であった。
どうしたものかと考えるより、リットン卿にこれ以上喋らせない方がいいと判断した俺は、リットン卿が何か口を開く前に、行動に移す。
「失礼しました。私の不作法でリットン卿の気分を損ねてしまいました」
リットン卿ではなく、レイとこの会場にいる人たちに向けて謝罪の言葉を口にする。
徐々に静寂からヒソヒソとした会話が周囲で聞こえ始めたが、事の成り行きを盗み聞きしていることがわかる。
「すみません。服を汚してしまったので、どこか部屋を貸して頂けないでしょうか?」
「ああ、それは構わないが……」
レイは当事者である俺と、場を乱したもう一人、リットン卿に目をやる。
先程まで顔を真っ赤にしていたはずのリットン卿であったが。
「も、申し訳ない。どうしてこのようなことを……」
憑き物が落ちたような態度。
おろおろと気弱そうな表情を浮かながら、ポケットからハンカチを取り出し、俺の顔に付いたままの赤い液体を拭う。
(どういうことだ?)
突然の豹変ぶりに、怪訝な表情を浮かべずにはいられなかった。
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