第二章 王都迷宮

第一話「求婚」


 王都に魔物が出現した事件から一週間が経過した。

 王立学校の敷地内の復旧も急ピッチで行われ、今日から学校も再開される。

 初日から中間試験というのが俺を暗澹たる気持ちにさせるが、それよりも深刻な問題があった。


 アニエスに避けられている気がする。


 今朝もおかしかった。

 目覚めると、目の前にアニエスの顔があった。

 俺と目が合うと慌てて目を逸らし、そそくさとベッドから出ていかれてしまう。


「アニエス姉さん、おはようございます」

「お、おはよう」


 挨拶をしても、どこかぎこちない挨拶が返ってくる。

 もちろんその間も俺の方を見てくれない。

 近づくと微妙に距離をとられる。

 その状況に俺はショックを受けていた。





 学校では俺が竜を倒したという噂が広がっていた。

 当然だ。

 あの日、朝早い時間だったとはいえ、少数の生徒は学校の敷地内にいた。

 ルシャールや教師陣が避難誘導を行い人的被害はでていないが、俺と竜が対峙しているのを目撃した生徒はいた。

 更にこの一週間、竜は多くの生徒に見られている。

 竜は身動きせず、広場で日向ぼっこをしているだけの、ただのでかい像と何ら変わりない。

 先代石像ししまるの代わりに、広場の中央に竜が鎮座したわけだ。

 多くの生徒が興味を持ち、ちょっとした自慢話にもなるため、近づきぺたぺたと触られていた。

 俺も竜が他の生徒に迷惑を掛けていないか心配で何度か顔を出しており、その時だけ竜は体を動かし俺に平伏している姿が見られている。

 結果だけをみると、竜は平伏し、俺に付き従っている。

 実際の戦闘を目撃していないくとも、俺が竜を倒したという帰結に至るわけだ。

 俺は学校に初めて登校した時よりも多くの注目を浴びていた。


(うう、居づらい)

 

 嘆息する。

 いつもは手を繋いでくれるアニエスとも今日は少し離れて歩いていた。

 校舎の入口に着いた時、俺は声を掛けられた。

 いや、変な男に絡まれた。


「今日は爽やかな朝だね、おはようアリス君」


 ふふふと変な笑いを浮かべながら男は俺の手を突然握ってきた。

 体中に悪寒が走る。

 長身の天然毛、金髪の男だ。

 王立学校の制服を身に着けており、俺は襟袖の模様から五学年の先輩だろうという情報は推測できた。


「え、誰?」

「おっとこれは失礼した。

 僕は有名人だから皆が知っているものと思っていたよ!」


(なんだこのナルシスト野郎は?)

 

 俺は訝し気に男を見る。

 とりあえず握られた手はすぐさま引っ込めた。

 恥ずかしがってるのかな、と小声で男が呟き、俺の悪寒がさらに強まる。

 ブルっと。

 咄嗟に手は繋いでなかったが、近くのアニエスの背に隠れる。

 アニエスも男をジト目で見ていた。


「僕の名前はフランツ・シュレーカー。

 軍務伯であるイグナツ・シュレーカーの長男だ」


 にこやかな笑みを浮かべる。

 目の前の男――フランツは前世の知識から言えば間違いなくイケメンだ。

 だが、今の俺には変質者でしかない。

 

「そ、そのシュレーカー先輩は私に何の用事でしょうか?」


 アニエスの背から少しだけ顔を覗かせ俺は問いかける。


「ふふ。

 噂とは違いお淑やかで照れ屋さんなんだね!

 そんな姿も愛おしい。

 アリス君、僕と結婚してくれ?」

「はい?」


 唐突である。


(え、こいつロリコン?)


「君のことを広場でみかけたときに一目ぼれだった!

 黒い髪をなびかせ、あの伝説の竜と会話する姿はまさに絵画。

 僕は震えたよ。

 こんな美しい女性がこの世にいるなんて……」


 シュレーカーの愛の囁きは続く。

 目の前の男は俺に本気で求婚しているわけだ。

 背筋に鳥肌が立つ。


(冗談じゃない!)


「お断りします!」


 きっぱりと断る。


(俺は男なんだ)


 と、シュレーカーがいつの間にか俺の正面で跪いていた。

 淀みない動作で俺の手を掴み、手の甲へ口付けをする。


 ぞぞぞぞぞぞツ!


 俺の脳内はこれまで経験したことのない混乱に陥る。

 逃げる。

 アニエスに抱き着く。


「わ、私はアニエス様が好きなんです!

 ごめんなさい、無理です!」


 涙目になりながら俺は訴えた。

 シュレーカーはその様子を見て、「まだ恋は早かったかな?」ふふふとか気持ち悪いことを呟く。


「今日はこれで。

 また近いうちに」


 シュレーカーは優雅に一礼し、五学年の教室がある階へとあがっていた。

 暫くして、アニエスに抱き着いたままだったことに気づき、体を離す。


(咄嗟に抱き着いちゃったけど、今、絶賛避けられてるんだった!

 謝らなきゃ……)


「あ、アニエス姉さん……」


 俺はアニエスの手を握り、おそるおそる顔を見上げていく。

 アニエスの顔は真っ赤だった。

 目があった瞬間、アニエスは手を避け、教室の方へと走り去る。


(な、なんか怒らせた……!)


 俺は呆然とアニエスの背中を見送った。



 ◇



 アニエスにあそこまで露骨に嫌われているとは思っていなかった。

 変な男に絡まれたことよりも、そのことがショックであった。

 あの後、午前最初の授業が始まる間際まで玄関で俺は立ち尽くしていた。

 今は急いで教室に入る。

 アニエスは窓に顔を向けており、その表情はわからない。

 隣の席に座ると、教師がちょうど入ってくる。


(この試験が終わったらとりあえず謝ろう……)


 項垂れながらも、今は中間試験に集中しなければと俺は切り替える。

 と、教室に校長のルシャールも入ってきた。


(何で校長が?)


 ルシャールが少し教室を見回し、俺と目が合うと口を開いた。


「アリスさん、申し訳ないけど今から少し付き合ってください」


 どうやら中間試験から意図せずして逃げられそうだ。

 俺は内心で少しガッツポーズをした。

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