△8九変狐《へんこ》

 薄暗闇の空間に、大小さまざまな脈動のような音が響いていた。それが先女郷サキオナゴウの物なのか、「怪物」の巨大なボディを形作る「駒」……二次元人たちの物なのか、それとも引きずり込まれ一体化させられた、この世界の人たちの物であるのかは、分からなかった。その全てが絡まり合った音なのかも知れない。


 不気味で、落ち着かない反面、妙に安心も覚える、そんな鼓動のような音。大丈夫だ。例えジェットエンジンの出す轟音の中でも、僕は今、集中できる。


 これから行うつもりの、こいつとの「対局」に。おもむろに口を開くと、僕は先ほどの先女郷の言葉を引き取るようにして、言葉を紡ぎ出していった。


「千日手は避けたいが……『対局』で決着をつけるっていうのは面白い。せっかくこうして一騎打ちまで持ち込めたんだ……最後は『将棋』で白黒をつけたい」


 僕は殊更に力の抜けた感じでそう言うと、先女郷のすぐ前に、どかりとあぐらをかいた。ぴくりと先女郷の眼鏡の奥の細い眉が動く。


 <……何を世迷言を?>


 その、こちらを小馬鹿にする姿勢も、もううんざりだよ。


「……将棋やろうぜ」


 僕もわざとらしい笑みを貼り付けたまま、つ、と少し上らへんに顔を上げると、虚空に「将棋盤」を現出させた。何もない空間から現れたその7寸はあろう脚付きの立派な盤は、次の瞬間、支えを失ったかのように、重力に任せて僕ら二人の中間にどすりと落ちてくる。


 僕が最後に選択したのは、先女郷との将棋での対局だった。


 愚かだと、思われるかも知れない。しかし、こいつを根源から消滅させるには、それしか無いと考えた。考えたから。


 スーツに包まれたままの左手では、その盤の感触は充分には堪能出来なかったが。見た目で分かる。そのような想像をしたから。


 本榧、天地柾。最後くらいはこんな豪華な盤で指すのもいいだろう?


 沈黙でこちらを睨みつけてくるだけの先女郷との間にある盤上に、さらに僕は「駒」をも、少し上空から、パラパラと耳に心地よい音を鳴らせつつ現出させていく。


 これも御蔵島みくらじま本黄楊ほんつげ虎斑とらふの極上の木地に盛上もりあげ水無瀬みなせが踊る、最高級品だ。実存するのかは分からないが。


 盤に着地した「駒」たちは踊るようにくるりと回転したり、氷の上を滑るかのようにして、自ら動くと「定位置」へと自然に収まっていった。


 四十枚の駒が、整然と並ぶ。

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