百年人形物語 第一部後半
後日、警察からうちに報告が返ってきました。
「我々のところに百年雪子という名の捜索願は出されておりませんでした。念のために隣の市にも情報を伝えましたが、そちらも捜索願は出されていないそうです。
誘拐も視野に入れて捜査しますので、わかったことがあり次第おって連絡します」とのことだった。
蔵の中に監禁されていたとなれば彼女の親が心配し、捜索願の届け出が当然あると思っていましたので、予想を裏切られました。
しかし彼女に親の事を訊いても覚えていないとしか答えなかったでの、自分を含め両親、祖父は名前も顔も知らない彼女の保護者に憤りました。
そうして彼女は自分の家族と寝食をともにすることになったのです。自分は同年代の女と一つ屋根の下というのは現実感が湧かず、最初のうちは夢の中にいるような気分でした。
それでも数日彼女と一緒に生活をしていると、次第に現実感が湧いてゆき、彼女の存在が特別に感じなくなっていきました。
彼女を蔵内に閉じ込めた誘拐犯の捜査が行き詰ったらしい警察からの報告がまばらになると、自分は家族の協力と了解のもと、彼女が記憶を取り戻す助けになればと町中の方々へ連れて回りました。
商店街や大通り、周辺小中高学校の通学路に公園など、記憶に喚起しそうな場所は思い付くだけ当たってみました。
それでも彼女の記憶を呼び起こすものは見つかりませんでした。
自分が移住してきたばかりの新参者だったので、それ以上打つ手を考え浮かびませんでした。
以来、進展のないまま夏休みも後半に差し掛かりました。
自分と彼女の仲は、友情とも恋情とも違う微妙な近しい関係で成り立っていました。自分は何度も彼女に異性的愛情を抱きましたが、毎度胸の内で押しとどめていました。
盆休みに町内で毎年恒例の夏祭りが催されました。その日は神社に屋台が並び、町内外から人が集まりました。
自分は彼女と連れ添って、祭りに出掛けました。
神社では様々な年齢層の人が張り渡された幾つもの淡い提灯の燈火の下で、屈託を忘れたかのように楽しく歩いていました。
彼女にりんご飴を買ってあげると、不意に彼女は目を見開きました。
「どうしたんだ?」
自分が表情の変わり様が気になって尋ねると、見開いた目をりんご飴からこちらに向けました。
「綺麗ですね、これ」
りんご飴が彼女の記憶を呼び起こしたのかと期待したがそういうわけではなく、りんご飴を見て心打たれたらしいのです。
「綺麗か。お前が綺麗だと思うんなら、綺麗なんだろうな」
自分はりんご飴の何がどう綺麗なのかわからず、適当に言葉を返しました。
人混みの中で自分は彼女がはぐれないよう、手を握ってやりたい衝動に何度も駆られました。
「これは食べる物なのですか?」
彼女が物のわからぬ子供の目で訊いてくる。
「飴だからな、舐めるんだよ」
「舐めるのね。こうやって?」
慎重な動きで彼女の舌がりんご飴の赤い球体の上を這う。なんとも艶やかな瞬間だろう。
自分は彼女の舌の動きに邪な感情を覚えて、無意識に彼女を凝視していました。
「君も食べる?」
自分の視線を食い気と勘違いしたのか、彼女は舐めるのをやめてりんご飴を差し出してきました。
彼女の無垢な心遣りに邪な感情が濯がれ、自然と笑みが漏れました。
「俺はいらないよ。一人で食べちゃっていいよ」
「わかったわ。一人で美味しく戴く」
そう言って小ぶりな口でりんご飴を包みました。美味しそうに目尻が垂れ下がりました。
自分は彼女と屋台を巡って祭りの時間を楽しんでいると、じきに人があちこちに散り始めました。夏祭りのラストを締める打ち上げ花火の観賞場所に向かっているのです。
「何か始まるの?」
「花火」
簡単に答えると、へえと弾む声に変わりました。
「私、広い所で観てみたいな」
彼女がほのめかして切願するので、自分は花火観賞に最適なある場所に連れて行くことにしました。
神社の裏手の雑木林を少し上ったところに町を一望できる高台があり、自分はそこで彼女と花火を観賞することにしました。夜風が下草を揺らし夏の夜空が映え渡っていました。先程の雑踏と比べて涼しく拓けた花火観賞にはうってつけのロケーションでした。
そこまで連れて行く間、何故か彼女は落ち着かない様子で辺りに目を巡らしていました。
「なんだ、そわそわして?」
自分が尋ねると、彼女は突然真面目な顔になって言いました。
「この場所、私覚えてるわ」
自分は面食らいました。今まで記憶回復の兆候さえ現れなかった彼女が、はっきり「覚えている」と零したのです。
「ここを覚えてるのか。なら、その時誰か他の人と一緒だったか?」
勢い込んで訊きましたが、困惑を露に自分から身を引きました。
「そんな、全部思い出したわけじゃありませんわ」
「悪い、無理強いはよくないな」
躍起になっている自分を戒めたい気持ちになりました。
彼女は俯いて、精一杯記憶を呼び起こそうとしています。
「きさぶろう」
彼女の口からぽつりとその名前が発されました。
「きさぶろう?」
鸚鵡返しに問い返すと、彼女は顔を上げて思案顔になりました。
「喜三郎は私の父です」
「父か。前に喜三郎という父親とここにいたことがあるのか?」
「ええ、思い出した通りだとそのようですわ」
ようやく彼女の身元を知る重要な手がかりを得られました。しかし同時に自分は彼女が自分の知らない彼女に戻るのを、拒絶する気持ちがあることに気が付きました。
「喜三郎か。父さん母さんとじいちゃんにその名前を伝えとくよ」
嘘を吐き自分は卑怯な手段で、彼女の記憶回復を妨げました。この瞬間から自分の目的は逆転しました。
彼女を愛するあまり非道な自分を見出したのです」
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