第184話 乾杯
「へえ、小次郎が何でも言うことを聞いてくれるなんて、一生に一度のチャンスでしょうねぇ。」
美紀はコロコロと笑った。
「美紀、瞬くんは大くんに何をするか分からない。早く助けたいんだ。」
電話の向こうの美紀の顔は、小次郎には見えなかったが恐ろしいほど真顔になっていた。
「私と結婚して、小次郎。もし断れば、あの子は一生日の当たる場所に出られないことになるでしょうね。」
それは脅しではない、ということが小次郎にはわかっている。
「わかった。それが望みならそうしよう。まずは大くんを開放してくれ。」
「ダメ。サインが先よ。これからすぐにお父様に報告して、婚姻届けを出すわ。その後であの子を開放しましょう。」
小次郎は従うしかなかった。
小次郎の持つ権力を使えば、どうにかできることかもしれないが、二つの大きな勢力がぶつかることによってあちこちに飛び火するのは必至。
とにかく大ちゃんを人質に取られてしまった今の状況で戦うことは不利だった。
”山本 大”と言う少年がとある倉庫の火災に巻き込まれて死亡したというニュースが出たのは、小次郎が美紀との婚姻届けを出した直後だった。
船の上、明け方。
朝日は夕日よりもはやい速度で海から顔を出してきた。
昨夜は、瞬は大ちゃんの部屋にやってこなかった。
また酷いことをされるのではないかと戦々恐々としていた大ちゃんは心底ほっとする。
とはいえゆっくり眠れるわけもなく・・・ふらふらのままベッドから立ち上がる。
甲板に出るとさわやかな海の風が体を通り抜けた。
(こんな状況じゃなかったら、憧れてたのになぁ・・・。豪華クルーザーの旅・・・。)
「リーフ」
背伸びをする大ちゃんの後ろから瞬の声が。
「おはよう、リーフ。昨日はゆっくり眠れた?」
「・・・」少し瞬を睨む大ちゃん。
「いい知らせがあるんだ。ま、ここに座ってよ。」
瞬は赤いパソコンを丸テーブルの上に広げて、大ちゃんに椅子をすすめる。
大ちゃんは警戒しながらもゆっくり座った。
「まずは乾杯しようか。」
瞬が目で合図すると、船の乗務員がドリンクを持ってきた。
「乾杯・・・ってなんですか・・・?」
「姉の結婚が決まったんだ。」
「姉・・・美紀さんの?」
瞬はパソコンをクルリと向けて画面を大ちゃんに見せた。
「あ・・・!」
そこには美紀と小次郎の結婚を伝えるニュースが出ていた。
経済ニュースの一角に、スーツ姿の小次郎と、微笑む美紀の写真がある。
「そしてここ。」
瞬は他の画面にとんだ。
ニュースの一つをクリックすると、どこかの倉庫が炎上している画像があった。
「これは・・・?」
「記事を読んでみて」
ざっと目を通す大ちゃん。
「原因不明の火災・・・死亡1人・・・遺体の損傷が激しく歯形により身元確認・・・山本 大・・・」
ハッとして瞬の顔を見る。
瞬はニッコリと微笑んだ。
「これでキミは完全にボクの物になったんだよ。キミにはもう帰る家どころか戸籍すらないんだからね」
「ボクを・・・誰を殺したの・・・?!この遺体の人は誰?」
「キミと背格好が似てて、死んじゃう子なんて山ほどいるんだよ。顔は整形してから燃やしちゃうから分からないし、歯形のカルテなんていくらでも偽造できるからね。ま、そもそも医者と警察に手を回してるからこんなことすらしなくていいんだけど。小次郎さんに調べられると厄介だからね。」
「そこまでして・・・どうして・・・」
「リーフが欲しい。そしてボクは手段を択ばない。」
瞬はもう一つの画面を出して見せる。
それはどこかの部屋をリアルタイムで写しているらしき動画で、一人の男の人が動いていた。
男はこちらの画面を見る。
「あ・・・!」
その男の顔は、
瞬だった。
男はカメラに向かって手を振り、部屋を出ていった。
「日本にはボクのそっくりさんを置いてきたから、小次郎さんがいくら探ってきても大丈夫なんだ。しばらくはね・・・
ほとぼりが冷めるまで二人でゆっくりしようね、リーフ。」
「・・・ほとぼりが冷めるって・・・」
「姉さんが妊娠するまでかな?それともキミが?」
瞬は大ちゃんの顎を持ちあげてそっとキスをした。
小次郎は、ある県の山奥にいる。
けもの道のような荒れ果てた車道をジープで走る。
樹齢の高い木々が辺りを覆い始めると車道は途切れ、小次郎は登山姿で車を降りて歩き始めた。
小次郎が荒れ果てた小屋のようなところに着いたのは夕方。
険しい山道を登り続けてきたが息は上がっていない。
とても人が住んでいるとは思えないような扉をノックする。返事がない事は知っていた。
小次郎が跪いてドアの前の地面に落ちている葉っぱを払うと、ぼろい板のようなものが出てきた。
それをめくりあげると、風景にそぐわない近代的なキーパッドが現れる。
小次郎は12ケタの暗証番号を入力した
キーンゴゴゴ・・・
静かな森に響く機械音。
小屋の横の巨木の下に地下道が出現した。
小次郎はゆっくりと階段を下りていった。
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