第164話 15歳の乙女たち

ルナは走る。

ただアリスを目指して、まっすぐに、激しい風のように。


浅黒い肌としなやかな筋肉に覆われた体が、乾いた地面をはねる。


「アリス・・・!アリス・・・!」

ルナは彼女の名前を呪文のように唱えていた。




アリスが初めてコッペルトの神殿にやってきた時のことを、ルナは自分の時のことよりも覚えている。


当時ルナは5歳、神殿に預けられてから1年が過ぎていた。

巫女たちは赤ちゃんの頃から預けられることが多い中で、ルナは4歳からと遅く、それだけでも目立っていたが、ずば抜けて秀でた才能により周りから浮いて孤独にさせていた。


ルナはいわゆる妾の子だった。

愛のない結婚をした父親は、使用人だったルナの母親にそれを求めた。

本妻はルナの誕生に怒り狂い、結果的にルナの母を殺し、幼かったルナも殺そうとした。

そこで父親はルナをコッペルトに逃がすように託したのだった。


といってもコッペルトは誰でも入れるわけではなく、神殿の主が面接して、巫女としての素質があるかどうかを見極める。

当時から主であったクレアは、4歳のルナを一目でその才能を見抜いた。

その凛とした瞳にある種の宿命を感じた。


「ルナ、あなたはどうしてここに来たのか分かりますか?」

「ええ。お母さんが殺されて、私も殺されそうになったから逃げてきたの。でも私、ここに来るべきだったから来たのだと思うわ。」


ルナはそれが当たり前のように日々鍛錬し、勉強し、祈りをささげた。

誰かを恋しがって泣くことなどなかったが、ただ一つ、子供らしい望みがあった。

(友達が欲しい・・・)

すぐに一目を置かれたルナは尊敬こそされたが打ち解けられる友達がいなかった。

(友達になれる子がいたら・・・会えばわかる、見ればわかる気がする・・・)


毎日捧げる長時間の祈りの最後に、いつもこっそり願っていた。

(神様、1人でいいんです。友達を下さい。)



そして、アリスが来た。


金髪の美しい少女。


幼い顔つきの中に、恐ろしく聡明な何かを感じさせる青の瞳。


冬を超えて春が来て、咲き誇る原色の花々と鮮やかな緑の中、白いドレスをたなびかせてそこに立つ少女。


ああ、これこそが運命だ、


5歳のルナはアリスの中に確信した。



それから二人はともに伸び育つ若竹のように成長しあった。


ルナはアリスと寝食を共にし、己を鍛え上げる生活に満足していた。

それが世界の全てであるかのように。


しかしある日、その小さな世界は音を立てて崩壊する。


それは、ルナが15歳のある日、アリスが百目の巨人を呼び出す前。


その日はルナは特に難しいい古代文字の模写を終え、先生に提出しようと少し遅い時間にクレアの事務室の前に来ていた。

普段はそんなことはしないのだが、かねてより懇願していた外出の件を再度お願いするという目的があったのだ。

完璧な模写を誰よりも早く提出すれば、クレア先生に褒められて、アリスとの外出を許可してくれるかもしれない。それはどんなに楽しいだろう、そしていつも外に出たがっているアリスがどんなに喜ぶだろうと思い、ルナはワクワクしていた。


クレアの事務室の扉の前に立つと、中から話し声が聞こえてきた。

立ち聞きするつもりなどなかった。「アリスは・・・」という言葉が聞こえなければ。


クレアは、副官であるポラリスに向かって話していた。

「アリスは、もうすっかり立ち直っているようですね。あのような酷い経験をしていたので心配していましたが、元来強い子なのでしょう。」

「ええ、もしかしたらつらい記憶なので記憶から消し去り、忘れてしまったのかもしれません。

ええ、もちろんその方がいいのです、あのような残酷なことは忘れてしまった方が・・・。

しかし、残念ながら彼女は舞いの巫女にはなれません。あの優秀な彼女がなれないということを、一体どう説明すべきか悩んでおります・・・。」

「舞の巫女だけは、純潔の乙女しか資格がないですからね・・・。」


(え?)

ルナは立ち聞きしながら、クレアの言葉の意味を考えた。

(純潔の乙女・・・じゃないアリス?)


「あの子自身の責任ではないのですから、残酷なことです。まだ4歳にもならない小さな女の子を弄ぶ人間がいるとは信じがたい・・・。そしてそれを両親が・・・娘を男たちに売っていたというのですから、全く恐ろしい、鬼畜の所業です。あの子はそんな中よく耐えました。」


(え?)

ルナは座り込んでその場でガタガタ震え始めた。

(アリス・・・私のアリスは・・・男たちに・・・?うそ・・・うそだ・・・!!)

天使のようなアリス。愛くるしいアリス。


(私だけのアリス・・・・・・・!!)



ルナの中で、何かが崩れて、何かが生まれた。


自分はアリスに会うために生まれてきて、アリスを愛するために生きてきた、ということに気付いてしまったから。


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