第141話 夫婦

「普段の生活には支障がないみたいなので、一時的な記憶喪失でしょう。落下するときに頭を強く打ってしまったみたいですからね。」


医師クロードは、リーフの診察を終えてジャックに言った。


リーフはなんとも心細そうな顔をしてベッドに座っている。ジャックは思わず「大丈夫だからな!」と言って抱きしめた。


「コイツの記憶は戻るのか?」

「何とも言えませんね。いずれは戻る可能性がありますが、1時間後なのか3日後なのか、10年後なのか私にはわかりません・・・。神のみぞしるといったところでしょうか。」

ジャックの問いにクロードは冷静に答えた。


「ところで、あなたとこのお嬢さんの関係は?」

「関係・・・?」ジャックの腕の中で、震えながら身を任せるリーフを見る。



「妻です」ジャックはそう答えていた。




「あんたたち夫婦だったの?!」

クロードから聞いたのか、宿屋の女将ミナが興奮した様子でやってきた。腕にはすやすや眠る赤ちゃんを抱いている。


「ああ・・・。そうだ。」

「やっだー早く言ってくれればいいのに!まあ、かなりあんたはこの子を大事そうにしてたからねぇ、そうかそうか~。にしてもえらくでっかいのとちっさいのがくっついたもんだねぇ。大丈夫なのかい?いろいろと・・・。」

一人でニヤニヤするミナ。ジャックの顔は思わず赤くなった。


「なんにしても、すっかり良くなるまでここにいていいよ。どうせ上には行けないんだし。」

「ありがとう、ミナさん。オレのケガが治ったらなにか手伝えることをさせてもらうよ。金も払えるんだが・・・何とか上の町に連絡する手段はないかな?仲間がいて心配していると思うんだ・・」

「それがね、普段郵便代わりに使っている伝書鳩が、いくら飛ばしても帰ってこないんだよ。こんなこと今までなかったんだけどね・・・。まあ、お代なんて気にしないでよ!」

ミナは人の良い笑顔で、起きてしまった赤ちゃんをあやしながら部屋を後にした。


「あの・・・・ジャック・・・さん?」リーフがジャックの服の裾を掴む。


「な、なんだリーフ」

「あのう・・・ボクたち・・・結婚してるんですか?」

「あ・・ああ・・・。」


ジャックはとっさに嘘をついてしまったが、知らない街で記憶喪失のリーフと一緒にいるなら、その方が何かと都合がいいに違いないと思っていた。


「・・・ごめんなさい、ボク何も覚えていなくて…。どうしよう・・・。」

泣きそうになるリーフを慌てて抱きしめる。

「いいんだ、リーフ。無事だっただけで本当に良かったんだよ。」


目を合わすと頼りなげな瞳。ジャックはそっとリーフにキスをした。

ジャックとリーフの初めてのキス。リーフは戸惑いながらも抵抗しなかった。


一度唇を合わすと、止められない何かをジャックは感じた。心と体の奥が熱い。


ジャックはアーサーに言われたことを思い出す。

(お前はリーフのことをどう思っているんだ?子供か?妹か?女か?)


「女だ、アーサー。」

「え・・・?ジャックさん、なに・・・」

「いや、なんでもない・・・。」そのままリーフをベッドに押し倒す。

腕に抱くとすっぽりと体に納まってしまうような小さな黒髪の女の子。


もう一度キスをするために体を重ねると、豊かな乳房が柔らかくジャックの胸元に当たる。

このまま抱いてしまいたかったが、まだ傷が残るリーフの身体と小刻みに震える様子を見て思いとどめた。



「・・・今は、リーフ、ゆっくり眠れ。オレはちょっと外に出てくるから・・・」

ジャックはリーフにふわりとシーツを掛けた。



ジャックは、昼でも霧の深い崖の下の町を歩く。

「ん?」骨折している腕に違和感を感じた。今朝まで動かすことも出来なかったのに今は痛みもなく、わずかに動く。いくら怪鳥といっても治るには早すぎた。

「リーフの力か・・・」さっきのキスを思い出す。


あの感触、匂い・・・。リーフのことを思うだけで、まるで心臓を鷲掴みされているように苦しい。


「バカだな、オレも。ガキみたいにさ・・・。」ジャックは目についた酒場に入った。



昼の酒場には、まばらにしか客がいない。

「いらっしゃい」

ジャックと同じ年ぐらいの、美しく妖艶な女が迎えてくれた。暗めの金髪が腰まであり、波のようにうねって体にまとわりついている。気の強そうなブルーの瞳がじっとジャックを見た。


「お客さん、ハンサムねぇ。丁度話し相手が欲しかったから、カウンターにいらっしゃいよ。」

テーブルに腰かけようとしていたジャックを呼び寄せた。

「いつもは、こんなに暇じゃないのよ、昼間でも。ほら、上の町からの道が今通れないでしょ。観光客相手の商売だからすっかりこの調子よ・・・。あ、あたしはエレーヌ。名前覚えてくれる?」

エレーヌは1杯目のお酒を作りながら言った。

「これはこの町の名物のお茶とお酒を混ぜたカクテルよ。飲んでみて。」


「オレはジャックだ。ちょっとケガして、妻とこの先の宿屋で世話になってる。」


「ふふ、知ってるわよ。この狭い町じゃ、噂話は朝に始まれば午前のお茶の時間にはみんな知ってるわ。

とくにナミさんはおしゃべりだからね。あ、いい人なのよ、悪気はないわ。」

「分かってる」

ジャックはお酒を飲み干した。

「あら、見かけ通り強いのね。次はワインでいいかしら・・・。やだ、もう中身が切れてる。樽は地下から取ってこないといけないし、私だけじゃ重くて無理だわ。ごめんなさい、他のでいい?」


「そこの樽と同じ大きさなら、オレがとってきてやろう。」

ジャックは立ち上がった。

「いいのよ、ジャック!あんた腕骨折してるんでしょう?無理無理、この樽かなり大きいもの。」


「大丈夫だ。もう腕は治りかけているし、ダメでも片手で持てる。」

エレーヌは「無理よ~」と言いながらもジャックを地下に連れて行った。

沢山の酒樽が並ぶ洞窟のような地価の倉庫。

「これか?」と言いつつジャックはワインの酒樽を片手でヒョイと持ち上げる。


エレーヌはそんなジャックをうっとりと眺めた。


「すてき・・・。すごいわ、ジャック。お礼をさせてほしいの・・・。」

エレーヌは階段を上るジャックにキスをした。

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