第44話カワイイ俺のカワイイ調査⑥

 別にいいんじゃないか。どうせ、見えてもいいようにと下に履いてるし。

 諦め半分、吹っ切れ半分で思案していると、不意に立ち止まったカイさんが「ちょっとゴメンね」とカーディガンを脱いだ。


 暑い、のだろうか。

 同じく風に煽られただろうに、見るも無残な俺とは違いカイさんはまるで不調を感じさせない。確かにいつもより髪のセットが少々崩れているといったらそうだが、それはそれでカジュアル感があり近所の優しいお兄さんといった風である。


(イケメンはズルいな……いや女性だけど)


 複雑な心地で見守る中、カイさんは手にしたカーディガンの上部を折り曲げると、「ちょっとじっとしててね」と言いながら俺へ一歩を詰めた。


「へ?」


 俺の身体を閉じ込めるように、ふわりと回された両腕。爽やかなシトラスの香りが微かに鼻を過る。

 硬直。腰へと柔らかい布が巻きつけられる感覚がするが、それよりも、伏せられた瞼を縁取る睫毛の近さに、身体中の神経という神経が騒ぎ立つ。


「っ!?」

「ハイ、出来た。これで少しは守れるかな?」


 半歩下がり、仕上がりを確認して「うん。それなら捲れないね」と満足そうに微笑むカイさんとは対照的に、動揺の許容範囲を軽く飛び越えた俺の口からは「あ」とか「う」といった意味を成さない音しか出てこない。


 上手く紡げないまま、ハクハクと唇だけを開閉する俺にカイさんは小さく吹き出すと、口元に片手を添えてクスクスと楽しそうに笑った。


「行こうか」


 再び踏み出すその人に、俺は必死に意識を手繰り寄せ、


「あっ……そんな、大丈夫です……っ!」


 駆け寄りながら腰元で結われたカーディガンの両腕を解こうとする。と、すかさず肩越しに振り返ったカイさんが「駄目だよ」と静止をかけ、


「オレがイイって言うまで、外しちゃ駄目」

「でも、腕とか、伸びちゃいますし……っ!」


 必死で言い募るも、


「ユウちゃんの脚が晒されるより、全然マシ。それに、ユウちゃん細いから。そんな心配しなくて平気だよ」

「っ、そーゆー問題じゃ」

「ともかく」


 少し強めの声。


「お願いだから、そのままでいてよ。じゃないと色々、落ち着かなくて」


 ね? と首を傾げるお得意の一撃を加えられては、もう反撃のしようがない。

 渋々頷き、結び目から手を放すと、カイさんは安堵したように柔らかく目元を緩め、歩き出す。


 どうしてこんなにも、良くしてくれるのだろう。

 ついうっかり、"特別"なんじゃないかと錯覚してしまうくらい、カイさんの優しさは"徹底"されている。


 わかっている。そういう"仕事"だ。俺の知らない他の"客"にも、同じことをしているのだろう。

 そう納得しようとした途端、胸中に灰色の暗雲が立ち込める。


 『優しさは時に毒となる』とは、こういうことか。

 続く灰色のアスファルトが、まるで、俺の歩む恋路を映しているようだ。


「はい、ユウちゃんどうぞ」


 カランと高く響いた音に、はっと顔を上げた。

 ぼんやりしている間に、店に着いていたらしい。


「あ、ありがとうございます」


 いつもと変わらず笑顔で扉を開け放ってくれているカイさんの前を会釈して通り、店内へと踏み入れる。

 今日は平日だからか、座る客の人数も疎らで、穏やかだ。ほっと零れた息は、無意識だった。


「あーユウちゃんっ! 待ってたのよー!」

「吉野さ、んん!?」


 駆け寄ってきた吉野さんがガバリと俺を抱きしめる。

 突然異性に抱きつかれれば、そりゃ声だって上ずるだろう。慌てふためきつつもされるがままでいると、吉野さんの身体がグッと引き剥がされた。カイさんだ。


「ちょっと、里織……」

「あら、友好のハグは欧米では挨拶よ。さ、こっちこっち!」


 今日の吉野さんはいつになくハツラツとしている。

 俺の左手をグイグイと引き、もはや定位置となっている店内右手側のホール、一番奥の壁側席まで連れてくると、「今お冷持ってくるからー」と上機嫌で去って行く。

 相変わらず元気な人だ。なんだか、心が軽くなった感覚がする。

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