10
「私がそんな、無茶で無謀なことを続けていると、やがて当然のことながら、鬼魔界にもお触れのようなものが伝えられたのね」祖母はしずかに話を続けた。
「――鬼魔王から?」ユエホワは訊いた。
「おそらくね」祖母は目を閉じてうなずいた。「そしておそらくその内容は、こうだったのだろうと思われるわ――力に自信のないものは、人間界に出るべからず。力に自信のあるものは、人間界へ行き、ガーベラというキャビッチ投げを倒すべし、と」
「でもどうしてそれがわかったの?」私が訊いた。
「強い鬼魔だけが人間界に現れるようになったからよ」祖母はいたずらっぽく笑って肩をすくめた。「私を狙って」
「えっ」私は驚き、
「まさかそれが」ユエホワは声をかすらせた。「クドゥールグ……様?」
「最終的にはね」祖母は遠くを見つめるような目で庭を眺めた。「彼の前にも、オルネット類だとかニイ類だとか、手ごわいのがいろいろ来たわ」
「……ムートゥー類……も?」ユエホワはますます声をかすらせながら訊いた。
「いたわよ」祖母はきらり、と瞳を輝かせてユエホワに向かい笑いかけた。「ユエホワのご先祖さま、かしらね」
「――強、かった?」ユエホワは、そっと質問した。
「それはもう」祖母は大きく頷いた。「負ける気はしていなかったけれど、何度も私のキャビッチスローを巧みによけられて、苦労したわ。本当に頭のいい鬼魔だと思った」
「へえ」ユエホワは少しうれしそうだった。
「でも結局はおばあちゃんが勝ったんだよね」私は口をとがらせて言った。
「――」祖母はじっと私を見て、ゆっくりと口を開いた。「ポピー。どうしてあなたはそう、ユエホワに対して意地悪を言ったりするの?」
「う」私は言葉につまった。「い、意地悪なんてしてないよ」
「あなたとユエホワとは」
「友達じゃ、ないよ」私ははっきりと祖母に告げた。「天敵だよ」
「天敵だというのならば」祖母も真面目な顔で私に告げた。「相手を尊重する気持ちを持たなければいけないわ」
「そん、ちょう?」私はくり返した。
「そう。敵ならば、その者の尊厳や権利をないがしろにしていいなどということは決してないのよ」祖母は静かだけれども真面目に、私に言い聞かせつづけた。「正しい道をはずれてまでその相手を傷つけたりおとしめたりすることは、絶対にしてはならないわ」
「――はい」私はそう返事したけれど、“わかりました”とは言わなかった。
だって、わかってなんかいなかったから。
祖母は知っているはずだ、この緑髪鬼魔がかつて私に何をしようとしたのかを。
そして祖母は知らないんだ、この緑髪鬼魔が今現在、私に何をしているかを。
私の心の中は、すごくもやもやしていた。
「大丈夫です」そう言ったのは、なんとユエホワだった。「俺とポピーはずっと、最初っからこんな感じできてるんで、もう慣れてます」
「まあ」祖母は目をぱちくりさせた。「そんなことを言って、いいの?」
「はい」ユエホワはこくりとうなずいた。「いまさらこいつに尊重とかされたら、かえって恐いです。後が」
「あら、まあ」祖母は口を手でおさえた。「――あ、まあとにかく、お茶が冷めてしまうわ。召し上がって」
「あ、はい」ユエホワはティーカップを持ち上げて、ぐいぐいとお茶を飲み干した。「それで、クドゥールグ様と戦ったときは……どんなだったんですか?」
「そうね」祖母はテーブルの上でゆるやかに両手を組み、昔を思い出しながら話した。「その時にはもうすっかり、町中――いいえ、国中が大騒動になっていたから、人間たちは総力をあげてクドゥールグに立ち向かおうとしていた。けれど誰も、彼を倒すことができずにいたの」
「うわ」私はすぐにまた、胸をどきどきさせて話に聞き入った。
確かに、最後に祖母が勝つというのは知っている――世界中のみんなが知っている――けれど、最後まできちんと話をまじめに聞かなきゃいけない。
そう思った。
祖母も、私とユエホワが泡粒界のことを話すとき最後まできちんと聞いてくれた。
つまりそれが、そういうのが「相手を尊重する」ということなんじゃないかと、思う。
こんどからは、ユエホワにも――同じように――きちんと話を――最後まで、聞いて――
できるわけないじゃん!
私の中で誰かが金切り声をあげた。
「人びとはもう、ほぼあきらめかけていた――私はそれでもまだキャビッチを手に取りはしていたけれど、正直、自分が負けて倒れるところを頭に思い描いたりしていたわ」
「一人で、戦ったんですか? クドゥールグ様と」ユエホワは質問した。
「途中からはね」祖母は答えた。「他の人は皆、疲れはてて深く傷ついて、絶望の底に沈んでしまっていた」
「それでも、逃げなかったのは、なぜだったんですか」ユエホワはまた質問した。
こんなに、人の話を真剣に聞いているこのムートゥー類を見るのははじめてだった。
「そうね」祖母はふたたび庭を見た。「キャビッチが、問いかけてきていたからかな」
「え?」私は目を丸くし、
「キャビッチが?」ユエホワは眉をひそめた。「問いかけるって、何を?」
「なんといえばいいのかしら」祖母は少しうつむいた。「そう……次は、何を試す? って」
「え」私はさらに目を丸くし、
「試す?」ユエホワは首をかしげた。「何を?」
「技よ」祖母はにこりと微笑んだ。「お前の持てる力を、次はどんな形で試すのか? スピードか? 変化球か? 消すのか、分散させるのか? それとも」ウインクする。「特殊効果を発現させるのか? とね」
「あなたは、疲れたりしていなかったんですか」ユエホワが訊く。
「疲れていたわ」祖母はふう、とため息をついた。「大怪我もしていたし、足はふらふらだし、頭はがんがん鳴るし、体は重いし、もうきっと死んじゃうんだろうなって、本当に思ってた」
「でも、じゃあ」私が言いかけて、
「どうして戦いつづけたんですか」ユエホワが後をつづけた。
「投げたかったからよ」祖母は眉をひょいと上げて答えた。「キャビッチが容赦もなく次々に問いかけてくるその課題を、とにかくかたっぱしから試したかったの」
私とユエホワは、なにも言えなくなった。
「けっきょく私は」祖母はもういちど、庭を見た。「キャビッチ投げが、ばかみたいに好きなのね」
わかる!
私は無意識のうちに、顔中で笑っていた。
ああ、私はやっぱりこの人の血を引く、孫娘なんだ。
敵を倒すというよりも、キャビッチを投げてやるということに、幸せを感じる人間なんだ。
誰が、なんといおうと。
「クドゥールグ様に」ユエホワが、言った。「最後に、投げた技は?」
「――」祖母は突然、人形のようにかたまって動かなくなった。
え?
私とユエホワは信じられないものを見るように、しばらく動かない祖母を見守るしかなかった。
「――なんだったかしら」祖母はやがて、呟くようにユエホワを見て言った。
「――シルキワス、とか?」ユエホワが訊く。
「うーん」祖母は頬に指を当てて目を閉じた。「どうだったかなあ……でもなんだか、特殊な技ではなくてまったく普通の、ストレートだったような気が、するのよね」
私とユエホワはまた何も言えなくなった。
「そうだ、よければ図書館で何か歴史の本を読んでみてちょうだいな」祖母は思いついたように言って、またにっこりと笑った。「びっくりするくらい詳しく、私が当時戦った内容が書かれてあるのよ。私でも覚えてないような、夢物語みたいなことがね」
「え、それって実話なの?」私は思わず祖母に向かって失礼なことを訊いた。
「うーん、ちゃんと目撃してた人の話だっていわれてはいるけれどね」祖母はとくに怒ったりもしなかった――自分のことでは怒らないんだよね。でもユエホワのことになると――
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