終演②
審査員の一人から、盾と賞状を受け取ったジュリエは、深く頭を下げた後、観客に向け、再び頭を深く下げた。
会場は、グランプリを取った者に送るような、盛大な拍手の音が響いている。
客席に座り、懸命に拍手を送る者の心に残る演奏をジュリエがした事は、盛大に送られている、その拍手が物語っているだろう。
しかし、ジュリエは準グランプリ。
グランプリを取る者は、このステージに立つ者の中に、他にいるのだ。
客席に向け下げていた頭を、ジュリエは上げた。
そしてその視線を、グランプリを取る者に向けながら、ステージの端へと移動した。
パチパチと拍手の余韻が残っていた会場が、静けさに包まれる。
ヤコップが、スタンドに立て掛けられたマイクに近付いた。
皆が固唾を飲んで、ヤコップの開かれていく口元を見詰める。
そして、皆が信じて疑わなかった者の名を、ヤコップが口にする。
「グランプリは、リアン.フィレンチさんです」
客席から、会場を揺るがす程の拍手が、ステージに向け送られる。
その拍手の中、ステージの上に立つ一人の少年は戸惑っていた。
誰とも競った事はない。
競おうと思った事もない。
純粋にピアノを弾く事が好きだった。
しかしそれは、夢へと変わった。
鳴り止まない拍手が、戸惑うリアンを変えたのかもしれない。
ピアニストになるという夢を掴む第一歩を踏み出すように、リアンはステージの上を、一歩一歩踏み締めて行く。
「おめでとう」
審査員からリアンに賞状が手渡される。
そして、青く透き通るガラスで出来た盾を渡す際に、リアンの耳元で審査員が囁いた。
「生涯聴いた中で、一番素晴らしい演奏だった」
その賛辞の言葉が嘘でない事は、言った者の目を見れば分かる事。
その真実を真摯に受け取ったリアンは、深く頭を下げる。
そして頭を上げたリアンは、いつまでも止まない拍手が鳴り響く客席へと体を向けた。
「ありがとうございます」
リアンが口から溢す、心の底から出た言葉は、割れんばかりの拍手の音でかき消されていても、客席に座る者一人一人に、ちゃんと伝わっているだろう。
リアンは自分が勝ち取った証である、賞状と盾を抱き締めながら、観客に座る者達に対し、頭を深く下げた。
鳴り止まなかった拍手の音が、ぴたりと止まった。
一瞬の静寂。
それがざわつきへと変わった。
リアンが頭を上げる。
その視線の先に、一人の男が立っていた。
「…パパ」
ステージの端に立つジュリエの口から、リアンの前に立つ男の呼び名が、悲しげに吐き出された。
「きゃあぁぁぁ!」
スタルスの一つの動作で、客席から悲鳴が上がった。
スタルスは右手に握り締めた拳銃の銃口を、目の前に立つリアンに向けている。
「いなければ…お前がいなければ」
憎しみを含んだ声で、スタルスはブツブツと呟いている。
「パパァ!」
自分を愛し、自分も愛している者の叫び声は、正気を失っている今のスタルスには届きはしない。
「バアァァァン!」
乾いた音が会場に響いた。
銃口の先からは、薄らとした白い煙が上がっている。
「リアァァァァン!」
悲鳴を上げ逃げ惑う者達を背に、ジュリエはリアンの元へと走り出した。
「バアァァァァン!」
二発目の銃弾も、リアンの腕を捉えた。
「パパ止めてぇぇ!」
スタルスの銃口は今も尚、両腕を撃たれ跪いたリアンに向けられている。
「パパお願い!止めてぇぇぇ!」
リアンまではあと僅か。
ジュリエは、叫びながらも走りを止めない。
「お前がいなければ、ジュリエが世界一なんだぁぁぁ!」
スタルスは叫びながら、引き金を引いた。
「リアァァァァン!」
何が起こったのか、リアンには分からなかった。
ただ分かる事は、ジュリエに抱き締められている事だけ。
しかし、直ぐにその違和感に気付いた。
「…ジュリエ?」
「…リアン、大丈夫?」
耳元で囁くジュリエの声が、やけに弱々しく感じる。
「…ジュリエ?大丈夫?」
自分から引き離し、ジュリエが今どんな顔をしているのか確かめたい。
リアンはまともに動かない両腕で、抱き付くジュリエを自分から引き離した。
目の合ったジュリエは、苦しそうに笑っている。
「…ジュリエ、どうしたの?」
わなわなと震える唇で、リアンは問い掛ける。
「…ごめんね…パパがごめんね」
ジュリエはその言葉を口にすると、崩れるように床に倒れ込んだ。
「ジュリエ?…ジュリエ!」
リアンは床に倒れたジュリエに向かい、傷付いた両腕を伸ばした。
「バアァァァン!」
最後の銃声が、悲鳴が上がる会場内に響き渡った。
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