第2話

アンズは、小学4年ぐらいまでは学校に来ていたが、その後、山の頂上

付近にある家から出てこなくなってしまった。


暖かい国に移住するという噂があったが、まだ家の建築が完成できず、

延期されたという。

しかしその噂もすでに数年前の話だった。

僕もその後、中学2年頃から学校に行かなくなった。




アンズは体温調節ができない障害を抱えていた。

だからいつも暖房がよく効いた室内で過ごしている。

日照時間が一日の中2時間ほどしかないため、アンズの家は一日ず

っと暖房をつけっぱなしにしている。

最初、僕にはそれが不思議だった。

アンズが学校に行かなくなった当初は、科目別に先生が訪問して教え

ていたが、今は積雪も高くなり氷も厚くなったので移動が難しく、先生

たちも訪問できなくなったらしい。


今はインターネット授業があるので、アンズも僕達と同じようにインター

ネット授業で勉強しているらしい。



僕がアンズの家に行くと、いつもアンズとアンズのお母さんは僕を喜ん

で迎えてくれる。





アンズはいつも春の訪れを夢見ていた。




「私、検索してみたんだけどね。

昔の人は妖精が魔法の粉を撒くと、死んで凍りついた生命がよみがえ

ると想像してたんだって。


いわゆる「復活」だね。


つまり、もし妖精の魔法の粉があれば、凍りついた地に生命がしばらく

眠っているだけだということ。

いつでも復活できるわけ。

妖精は、その魔法の粉で春を呼び寄せるの。


つまり、すべての死が終わりではないってことよね。」




Tシャツと短パンだけの薄着で、自分の家の中でだけ活発なアンズは、

まるで授業をする先生のようにウロウロ歩きながら、自分が読んだ本

や、インターネットで調べた情報について楽しく解説してくれる。



僕は、アンズの家ではいつも暑くてたまらない。

寒い外からやって来てすぐは、汗がダラダラ流れて止まらない。

いつも急いでコートとジャケットを脱ぐけど、しばらく汗は止まらない。

持ってきたハンドタオルで汗を拭き拭き、僕は尋ねた。



「アンズちゃん、もう15年も春は来てないんだよ?

太陽の温度が下がったって言われてるし。

この星の公転軌道が変わったって説もある。


たとえ妖精がいたとしても、太陽の力が足りないから、妖精たちにも

もう雪や氷を溶かすほどの力はないんじゃない?」




僕が気乗りしないふりをして否定的な話をすると、いつもアンズは顔を

赤くして、腹を立て反論してくる。


僕はアンズが怒ると知っていながらわざと挑発した。

僕はアンズが興奮して大きな声を上げ、ムキになって身振り手振りを

大きくして、僕に食ってかかる姿を見るのが可愛くて好きだった。




「君の想像力の無さは問題だよ!

太陽の温度が、ある日突然下がったのなら、また突然変化が起こるか

も知れないでしょう?

もしかすると、次にくるのは春でなく、急に暑い夏が来てどこもかも砂

漠だらけになるかもよ?!」




僕は、アンズが春を夢見ているのが、そしてそのため感情的に怒るの

が好きだった。

何かを思いながら、想像に耽るアンズの表情が好き。

僕に何かをわからせようと必死な姿も、むくれた時の膨らませたほっ

ぺたも固くすぼめた唇も可愛かった。



「春が来れば、私も思いっ切り外を歩いて、一日中太陽の光を浴びた

いわ。

雨が降ったら両手を広げて浴びてみたい。

雪が溶けて流れる水を飲んでみたい。」




実は、僕もいつもアンズと外で遊ぶことを想像していた。

夜通し釣りをした池、一人でウサギを追いかけた森、一人でソリに乗っ

て遊んだ斜面、それらの場所にアンズを連れていきたい。


もしそんな日が訪れるとしたら、その日はやっぱり春が来ていて暖かい

日だろう。

外の風景も今とは変わっているだろう。

僕は、薄暗い午後3時ではなく、暖かい太陽が降り注ぐ光景を頭の中

に描いた。

アンズの空想につられるようにして、僕も初めて春を夢見ることができ

た。





「私、来月海外に移住するの。

そこは一年中暑くも寒くもないところだって。

でも、この山荘を下りて空港まで行く間に、凍死したらどうしよう?!」



アンズはそう言って悲しい笑顔を浮かべた。

僕はアンズの悲しい笑顔が、僕と会えなくなるからだと信じたかった。


冗談のつもりで言っているのかもしれないけど、体温調節ができないア

ンズは、本当にこの家を出たらすぐに死んでしまうかもしれない。

でも、冗談ぽく言ったアンズに合わせて、僕も軽い調子で言った。



「僕が君を布団でグルグル巻きにして、おんぶして山を降りて行くよ。

心配しないで。」




僕はアンズと別れる時、気楽に見送ることができないはずなのにそ

う約束した。





僕達は、アンズが移住する国の名前で検索してみた。

昔は砂漠地域だったが、アンズが言うように今は寒くも暑くもなくて、暮

らしやすいところになったようだ。

検索結果は、昔の砂漠とサファリのイメージばかりだった。

今はどうなっているか確認できない。

なぜか今の映像は写真も動画も見つからなかった。

砂漠にはオアシスがあると書いてあった。

オアシスの映像はとても緑が豊かで過ごしやすそうだったので、僕はア

ンズの引っ越し先にオアシスがあることを祈った。


僕達はくちばしの大きな鳥の写真を見ながら、本当にこんな鳥がいたのか、

今もいるのかと楽しくはしゃいでお話をした。


やがて、帰る時間になり、立ち上がると、アンズがそっと何かを差し出した。


それは、小指の先ほどの小さな瓶で、小さな小さなコルクで栓がしてある。

中に、小さなしなびた白い紙のような物が入っていた。




「これ、なに?」


「絶対に内緒にしてね。

それは花だよ。

しおれちゃってるけど、父さんが偶然見つけたんだ。」



「花って・・・・・なんの花?」


「それは知らない。

あははは。

でも、春の花だって聞いたよ。」


「へえええ。」


僕はしげしげとその瓶を見つめた。


「父さんがそれ一つだけ持って帰ったんだけど、それだけじゃ種もとれ

ないしどうしようもないんだよね。」



「どこで見つけたんだろう?」


「このうちの近くだって。

この山の頂上、南側にすごく日当たりのいい場所があって、雪や氷が

無い場所があるんだって。

でも、いい?

絶対に内緒にして誰にも教えないで。

内緒にしててね。

約束して。」


「わかった。

約束する。」



じゃあ、と僕はアンズの家を出た。

アンズは笑顔で泣いているような顔をしていた。

僕はポケットに入れた小瓶にそっと触れてみた。



「ここに、本物の春がある・・・・・。」



パソコンやスマホの映像じゃなく、印刷された写真でもない。

本物の春の証拠がここにあると思うと、とても不思議だった。

気のせいか、小瓶がほんのり温かい気までした。



僕はアンズの家を出ると、山頂を目指した。

一度、山頂に出ると、木々が途切れて見晴らしの良い場所があり、そ

こからしばらく景色を眺めた。

どこもかも真っ白だ。

針葉樹に雪が降り積もってモコモコとしている。


南側に向かい、山を斜めに下りながら、アンズのお父さんがこの花を

見つけたという場所を探した。

雪が少しへこんでいる筋状の道らしきものを発見した。

きっと、アンズのお父さんが歩いたあとに薄く雪が降り積もったんだ。

やがて、開けた場所に出た。

驚いたことに、そこには雪が無かった。

大きな岩がゴロゴロと転がっていたが、地面が見えた。


「土なんて見るの、何年ぶりだろう。」


僕は一つ一つ岩の周囲を回ってみた。

期待せず、ゆっくり見て回った。

春の花なんて無くて当たり前だ。


辺りはだんだん暗くなってきて見通しが悪くなってきた。

気温も下がってきたようだ。


日当たりが良いとはいえ、もともとの太陽の光が弱いから、こんな所に

長くいたら、やはり凍死してしまうだろう。



岩の周りをくるりと回ることが目的になり、花を探していることを忘れか

けてきた。


何か白い小さな物を見つけた。

しゃがんでよく見てみた。

本当だった。


冬の花じゃない。


これは春の花だ。


ここに、あるべき物ではない物がある。

あるはずのない生命。

僕はスマホで写真を撮った。

寒さと興奮で手が震えた。



何枚も何枚も撮った。


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