本性 その二

 そんな夢子の思惑とは裏腹に、凪咲はしばしの共同生活をそれなりに楽しみにしていた。一人でいるのがさほど好きではないのもあるが、小野坂がどんな生活をしているのかにも興味があった。

「三日ほどしかいないけどアタシのことこき使ってくれていいよ、何でも言い付けちゃって」

 結婚式以外の面識は無いが、兄嫁に対しての気遣いは見せていた。

「お腹だいぶ大きいんだね、必要なら美乃母さん呼ぶ?」

 そんな義妹の気遣いなどかえって邪魔だとばかり笑顔で申し出を断る。

「いえ大丈夫ですわ、どうぞお気遣いなさらないで」

「義妹相手にそんな馬鹿丁寧にする必要無いと思うけど」

 凪咲も取り敢えず兄に気を揉ませぬようにと必要以上の深入りはせず、当たらず障らすでやり過ごす。

 義妹を迎えるにあたって小野坂はこの三日間カフェに合わせたシフトに入っており、朝はほぼ同じ時間に研修が始まる凪咲と一緒に家を出て行った。

 一方の夢子は二人が出て行ってからようやく動き出し、勤務時刻の朝十時に合わせて出勤する。煩い義妹と顔を合わせずに済むのはいいが、愛する夫との時間が取りづらいのが少しばかり不満であった。

 そんな二人の間に挟まれる状態の小野坂だが、合わないものは仕方が無いと間を取り持とうとしなかった。凪咲は短期間のことだからと完全に割り切っており、夢子も自分で躱す工夫をしているので喧嘩にさえならなければいいと考えていた。

「智君は夢子さんを蔑ろにし過ぎだよ」

 ところが家族以上に家庭事情を干渉する川瀬によって重荷が更に増え、そろそろ短気を起こしそうな精神状態になっていく。かと言って業務中に喧嘩を勃発させる気も無いので特に言い返さず適当にあしらった。それを傍で見ていた日高は嫌そうな表情で様子を見つめ、浜島は焼き立てのパンを陳列しに出る際わざと二人の脇で足を止める。

「あんさんは自分とこの心配しはったら宜しいねん」

 外部の横槍に川瀬はあからさまに嫌な表情をする。

「余計な口出ししないで頂けます?」

「なっ、腹立つやろ?」

 浜島は相手の表情を面白そうに見ながら言った。

「あんさんとこの嫁さんも身重やんか、他所の家庭にケチ付けとる場合ちゃうやん」

 その言葉に川瀬の表情が変わる。

「僕は独身です、変な言い掛かりはよしてください」

「ほなこないだ連れとった妊婦誰?」

「「妊婦?」」

 その場にいた嶺山と日高が反射的に聞き返し、小野坂も川瀬を見る。

「えぇ、土曜の晩僕飲みもん買いに一回抜けたでしょ? そん時パレード会場で妊婦連れとったんですわ」

 浜島の暴露に川瀬は立場を失い何も言えなくなった。

「土曜の夜ってコンテストの真っ只中じゃねぇか」

「何しとったんや? 妊婦が誰とかはどうでもええけど」

「したって独身男性と妊婦が連れ立つってあんまし無いシチュエーションだべ」

 三人の視線は川瀬に集中した。特に小野坂はそのせいで尻拭いをさせられた形となっているので、当時の気持ちが蘇って更に腹が立ってくる。

「智さん、レジお願いします」

「分かった」

 接客で店に出ていた悌が厨房に入ってきた。小野坂は手を洗ってから川瀬の脇をすり抜けて厨房を出て行き、悌は新たに入ったオーダーの調理を始める。

「これ並べてきます」

 浜島は空気を乱すだけ乱してさっさと厨房を出る。

「おう。日高、ラストスパートや」

「へい、旦那」

 『アウローラ』組の二人も何事も無かったかのように作業に戻っていた。

「何があったんや……?」

 厨房内のギスギスした空気が気になった悌の呟きには誰も答えなかったが、特に引き摺ること無く気持ちを切り替えて作業に集中した。


 その後小野坂はシフト通り十八時に仕事を終えて『離れ』で妹を待つ。凪咲の研修もほぼ同時刻に終わる予定で、待ち合わせてから大手スーパーへ買い物へ行く約束をしていた。

「おはようございますよりもお疲れ様、ですね」

 この後夜勤に入る根田が上機嫌で『離れ』に入ってくる。午前中に自動車学校の卒業試験を受け、無事合格していよいよ本試験を残すのみとなった。

「おはよう、その感じだと通ったか」

「ハイ。本試験は少し勉強し直してから臨むつもりです、何度も通いたくありませんから」

 根田は頭の良さを活かして学科試験を難なくクリアしていた。技能の方も鵜飼や角松を伴い、仮免プレートを付けて練習していくうちに上達してきている。

「なら近いうちに送迎の戦力になるな」

「ハイ、頑張ります」

 根田は一刻も早く免許を取って里見の送迎ができるようになりたかった。カフェ営業が忙しくなっている昨今、悌が送迎要員に回れないため彼の免許取得が待たれる状態である。

「お兄ちゃん、終わったよ」

 凪咲は従業員でもないのにインターフォンも鳴らさずずかずかと上がり込んできた。

「お前せめてインターフォンくらい鳴らせよ」

「ん? 堀江さんには『鳴らさなくていい』って言われたんだけど」

 彼女は許可をもらっているとしれっとした態度を取る。

「いらっしゃい凪咲さん、研修どないでした?」

 この日は早出で仕事を終えている堀江が凪咲を労った。

「たとえ何年掛かってもあそこの一員になりたいって余計にヤル気出ちゃった」

「合いそうで良かったやないですか」

「うん、明日も楽しみだよ」

 凪咲は充実感に溢れた表情をしていた。

「お前元気だな」

「お兄ちゃん萎れすぎ、アタシが運転するからナビしてよ」

 それから少し休んだ二人は、凪咲の運転で大手スーパーに向かった。ところが買い物の途中で夢子からメールが入り、早く仕事が終わったから迎えに来てほしいと言ってきた。

「どうしたの?」

「【仕事終わったから迎えに来て】ってさ」

「あれ? 深夜になるって言ってなかった?」

「あぁ、あそこ二十三時閉店だからな。頼まれてのシフトだっつってたから上がらせてもらえたんじゃねぇの?」

 二人は急ピッチで買い物を済ませて『DAIGO』に向かうと、夢子は従業員口の階段に座ってケータイをいじっていた。聞き慣れた自家用車の音に気付いて笑顔を見せたものの、助手席に義妹が乗っていることで表情が曇る。

「遅れてごめん、さっきまで買い物してたんだ」

「そう」

「アタシが使ったから早く減ったものもあるじゃない、その補充」

 凪咲も義姉の表情の変化に気付いていたので、言いたいことだけ言って後部座席に移動した。

「泊めてもらってるお礼に今日はアタシがご飯作るよ」

「いえ結構ですわ、私あまり食欲がありませんの」

 夢子は徹底して義妹の親切を拒絶する。

「あっそう、お兄ちゃんは?」

「俺は腹減ってる、多少のもんなら美味しく頂ける自信はあるよ」

「何それ? 一桁年齢から台所に立ってる腕前舐めないでよね」

「へぇ、首洗って待ってるよ」

 小野坂は茶化すようにそう言うと、凪咲は冗談混じりに機嫌を損ねた振りをする。

「どうしてそんな早くから台所に立っていらしたの?」

 夢子は自身の気持ちを悟られぬよう、一応は友好的な態度を見せる。

「ウチ実母が亡くなったの早かったんだよね。お父さん料理得意じゃないし、だから」

「まぁ、お可哀想に」

 夢子は哀れむ風な視線を凪咲に送る。過去に散々浴びせられた同情という名の見下す視線にうんざりした凪咲は、夢子の顔を見なかった。

「お兄ちゃん、好き嫌いってあるの?」

「そんなに無いけど和食の気分だな」

「分かった、お母さん直伝のお味噌汁作るね」

「お袋直伝ってことは……」

「そう、アレだよ」

 小野坂はキャベツの千切りと玉子とじの味噌汁が好物で、夢子も実家がお隣であったためそのことは知っていた。しかし彼女自身がそれを好まず、小野坂も気遣って同棲して以降はあまり作らなくなっている。

「別にいいよね? 夢子さん食べないんだから」

「えぇ、まぁ……」

「作り置きさえしなきゃ問題無いでしょ?」

「そうだな、最近アレ食ってないんだよ」

「じゃ決まりだね」

 小野坂のひと言が決定打となり、先手で拒否した以上夢子の発言権は失われる形となった。帰宅後予告通りキャベツの千切りと玉子とじの味噌汁が小野坂家の食卓に並び、凪咲が作った夕食は夢子が作るものよりはるかに見栄えが良かった。

 夢子はそれを見届けること無く風呂に入った後部屋に閉じこもった。夫がそれを美味しそうに食べているのが、見えていなくても空気だけで伝わってくる。その雰囲気も気に入らなければ、ここ最近に無い機嫌の良さにも腹が立って結局はふて寝した。

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