祭り前編 その一
そして日本中で梅雨が明ける七月下旬の週末、坂道商店街では一年で最も盛り上がりを見せる盆踊り大会が幕を開けた。この日『オクトゴーヌ』は出店レシピコンテストの兼ね合いでカフェ営業を取り止めており、コンテストに出場する川瀬は準備に余念が無い。
「気負わせたらごめんやけど、頑張ってな義君」
「うん。優勝を狙いにいくから」
気合十分で支度を済ませ、サポート役の小野坂と共にペンションを出た。残った四人で宿泊に向けた準備を始め、チェックイン時刻の十四時には全ての準備を整える。
「吾、代役頼むで」
「はい、精一杯努めさせて頂きます」
この日の夕食業務は悌が代役を努めることで話がまとまっており、普段宿泊の調理担当をしている川瀬には思う存分コンテストで腕を振るってほしいという堀江なりの配慮であった。
所変わり、『アウローラ』の移動パン屋はパレード会場となる商店街のメインストリート沿いの私設駐車場を借りて営業を始めていた。パレード開始時刻ではないが既に多くの人で賑わっており、移動パン屋の前も長い行列が出来上がっている。
「たこ焼きパンくださーい」
浜島の加入によって販売を始めた“たこ焼きパン”は元々大阪の大手ホテルの新作レシピコンテストで受賞したものであった。約十年ホテイチのベーカリーで販売されていたのだが、メニュー一新に伴い著作権が彼の手元に戻ってきた。
それが理由で本人のいる『アウローラ』で試験的に販売を始めると、またたく間に話題となって今回の出張販売の目玉商品となっている。
「凄いべ、“たこ焼きパン”なまら売れてるべ」
日高は接客をこなしながらも新入り先輩の才能に舌を巻いている。
「この調子でガンガン売ってくで。ハマ、休めんのは覚悟しとけよ」
「はいよ、こんなもんべっちょないです」
嶺山の鼓舞を受け取った浜島は、大忙しの中活き活きとした表情でせっせとパンを焼いていた。
『今年も始まりました出店レシピコンテストですが、開催十回目を記念して今回から店舗対抗戦となりました。大会史上最多となる二十五店舗が参加し、シェフ自慢の一品で皆様のお腹を満たして頂きましょう!』
ほぼ毎年のように司会を努めているコミュニティFMのパーソナリティによる進行の元、実行委員の期待通り特設会場には多くの人が集まって出場店舗の設営テント前で行列を作っていた。
『先程も申し上げました通り、今回は記念すべき十回目ということでこの場に相応しい超VIPなゲストをお招きしております。北海道から全国へと羽ばたいた人気演劇ユニット【チープダックス】のリーダー、
『こんにちはーっ!』
地元では知らぬ者無しと謳われる人気演劇ユニット【チープダックス】メンバーの登壇に会場内は例年に無い盛り上がりを見せている。彼森田藤洋真はローカル放送で長らく農業バラエティー番組を担当し、現在は北海道農業協会の特別大使として北海道の食をPRする役割も担っている。
『森田藤さんはこの祭りのことをご存知でしょうか?』
『もちろんですよぉ! 私実は一昨年家族で伺ってるんですよぉ!』
彼は顔と声のデカさを売りにしているだけあって、評判通りの声のデカさを惜しげなく披露している。
『そうなんですか?』
『はいぃっ! 以来『DAIGO』さんにはちょくちょく通わせて頂いてるんですーっ!』
『皆さん聞きましたか? 坂道レストラン『DAIGO』さんに行けば森田藤洋真さんに会えますよー!』
『仮に見かけても声は掛けないでねーっ! でも『DAIGO』さんには是非行って頂きたいですので、東京のお仕事で北海道のオススメを訊ねられたら必ず名前は挙げさせてもらっちゃってるんですーっ! あっ、一応許可はちゃんと得てますよー!』
森田藤が『DAIGO』の名を出したことで『DAIGO』の行列が更に長くなっていく。実際彼の発言によって『DAIGO』の知名度は格段に上がっており、地域密着をモットーにしながらも観光客人気も高い。
『森田藤さんオススメの『DAIGO』さんは昨年も優勝して今回三連覇がかかっているんですよ。今年は野上さんという三十歳の若手シェフが三連覇に挑まれます』
『三十歳ですかぁ! お若いですねぇっ!』
『資料を拝見した限り今回エントリーされている中では二番目にお若いシェフだそうです。いやぁ選手……で良いのか表現に困りますが、層の厚さがレベルの高さに繋がっているんでしょうか?』
『かも知れませんっ! 彼は昼のチーフシェフでいらっしゃいますからねぇっ!』
『これは期待できますねぇ。因みになんですが、最年少シェフは『オクトゴーヌ』の川瀬さんですね。野上さんよりも一つ歳下の二十九歳だそうですよ、昨年は初参加ながら五位と大健闘していらっしゃいますのでこちらも期待が持てますね』
思わぬ形で名前が出た『オクトゴーヌ』にも客足が増える。まだスタート前だが、現時点の集客を見る限り上位を狙うには有利な状況と言える。
『『オクトゴーヌ』ぅ? 確か半世紀ほど前からあるペンションじゃないんですかぁ?』
『さすがよくご存知ですねぇ、昨年代替えによるリニューアルでカフェ営業を始められているんですよ』
『そうなんですねーっ! 子供の頃お世話になったんですが、あっこの“ヅケカツ定食”ってのがなまら美味かったんを思い出しますねーっ!』
ここにも“ヅケカツ定食”のファンがいたことに『オクトゴーヌ』の歴史の長さが垣間見える。人気タレントの思い出の味の一つに数えられているということは、現在の北海道のトレンドを考えればかなり箔のつく宣伝になると言えた。
『今回それではないそうですが、最近復活されたとかでお店では召し上がれるそうですよ』
『いやぁ残念っ! でも機会があればまくらいたいべさぁ!』
森田藤は本気で残念そうにしていた。
『それでは間もなく開始時刻となりますよ。森田藤さん、その美声で開始の音頭を取って頂けますか?』
『私で宜しければ喜んでえっ! 行きますよお! 五! 四! 三! 二! 一! スタートぉーっ!』
戦いの火蓋が切って落とされた。
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