火種 その五
リビングから三階に移動した四人は何故か堀江の指示した二人一組ではなくなっていた。小野坂と川瀬、根田と
「いよいよ来るんかあの人」
昨年は応援メンバーとして参戦していた嶺山は、ベッドの部品を運び入れている小野坂に声を掛ける。
「えぇ、今年も多分アレやりますんで」
「あぁアレな」
彼はパンの搬入時“アレ”に遭遇しており、当時を思い出したのか軽く失笑している。
「“アレ”って何ですか?」
火傷の治療状況を報告しに来ていた日高も話に入る。彼の右手は包帯が巻かれており、まだ腫れと赤みが引いていなかった。
「ちょっとした目覚ましです。それよりも手の方大丈夫なんですか?」
「なんもなんも、痕は残らさらんって。けどさ、一週間ほど仕事はできないべ」
「そうなんですね、お大事になさってください」
「ん、ありがとう」
小野坂は一頻り会話を終えるとカーテンをめくって客室に上がっていく。その後川瀬が続けて裏口から入ってきた。
「おはよう義、昨日は済まんかったな」
嶺山がまず声を掛けると日高も挨拶をし、上司の意図を汲み取って頭を下げた。
「昨日は差し出がましいことをして申し訳ありませんでした」
川瀬は日高の謝罪を軽く見流してから嶺山の方に視線を向けた。
「今後このようなことが無いようお願いしますね」
「分かった」
嶺山は特に表情を崩すことなく、カーテンをくぐる川瀬の背中を見送る。彼の背中が見えなくなってから、今なお頭を下げたままの部下の背中を軽く叩いた。
「日高、さっき言うとった“アレ”やけど期間中の朝六時頃シフト入れたろか? そこ北村さん休みやから」
「したらお願いします。後半二日であれば包帯取れてると思います」
「長引くようなら無理すなや。それともう一つ、挨拶以外義とは距離置け。関わったら碌なこと無さそうや」
「分かりました、気を付けます」
『アウローラ』組の二人は徐々に取っ付きにくくなる川瀬に警戒線を引き、そっと厨房へ引っ込んだ。
そして翌朝午前九時過ぎ、晴れて従業員となった義藤は宿泊先のホテルから張り切って出社した。住み込み予定となっている三階の一室には昨日既に荷物を入れており、その後一晩親子水入らずのひと時を満喫したようだ。
「おはよーございまーす!」
「おはよう、藤川さんはいつまでいらっしゃるん?」
「明後日まで。掃除でもするか?」
義藤は支給されたばかりの黄緑のエプロンを嬉しそうに着けている。
「それは明日からでええわ、当番制やし」
「そうなのか?」
「昨日も言ったけど仕事中は敬語な、丁寧語で十分やから」
「おうっ!」
「ホンマに大丈夫なんか?」
そんな会話をしながらペンションで通常業務に勤しむ従業員たちを待つこと約一時間、まずは夜勤のため事務所で仮眠を取っていた根田が『離れ』に入ってきた。
「おはようございます。義藤さん、今日から宜しくお願いします」
「うん、宜しく悌っち」
「今仕事中やで」
「うっ……宜しく悌さん」
オーナーの指摘に義藤は首をすくめて言い直す。根田はその手のことを気にする性分ではないので、気にしなくていいですよと笑っていた。
「悌君は掃除終わったら上がりな」
「ハイ」
夜勤という言葉に反応した義藤は根田を羨ましげに見上げている。
「オレも夜勤やりたいなぁ」
「法律上無理、あと半年我慢して」
「はぁい。あっ、おはよーございまーす!」
チェックアウト業務まで終了させた川瀬、小野坂、悌の姿を見つけて元気良く挨拶をする。
「おはようは良いけど煩ぇよ」
小野坂はハイテンションな義藤に呆れた表情を見せる。
「え〜っ」
少々不満げにしながらも、最初の挨拶が肝心とばかり真っ先に川瀬の前に立った。
「義藤荘です、今日からお世話になりますっ」
「宜しくね」
川瀬は口調こそ柔らかくしていたが、頭を下げている新入社員を嫌そうに見下ろしていた。幸か不幸か誰もそれに気付かず、頭を上げた義藤は小野坂の前に立つ。
「宜しくお願いします智っ……さん」
「今『智っち』って言おうとしたろ?」
「ふっ踏み留まったから許してくだせぇ」
義藤はゴメンと手を合わせ、小野坂はしょうがねぇなぁと頭に手をやる。最後に悌の前に立ち、オレも続いたぞ! と嬉しそうに言った。
「宜しくお願いします、同期ですね」
「一緒に頑張ろうなっ! オレに敬語なんか要らないぞ」
「そうですか、なら外すわ」
「宜しくなボス!」
「ボス言うんやめろ」
「はい……」
年齢差も身長差もある二人は一見師弟関係のように見え、そのやり取りを見ていた根田がくすっと笑う。
「何だか親分と子分みたいですね」
「そうですかね? 僕はこんな子分要らないですけど」
「え〜っ」
ひと通り挨拶を済ませて空気が和んだと見た堀江はパン! と手を打って仕事モードにシフトチェンジさせた。
「はいっ、私語はここまで! 今日も二階三部屋を四人部屋仕様にします。義君と悌君はバス、トイレ掃除、智君と吾はベッド増設分の布団干し、荘君と俺は三階でベッドの部品を拭いてペンションに入れる。それが済んでから一部屋ずつベッドの設置という流れで進めていきます」
「「「「はい」」」」
「今日も『アウローラ』さんは通常営業ですので、引き続きカーテンの閉め忘れには注意してください。では作業開始してください」
オーナーの掛け声で真っ先に川瀬が『離れ』を出て根田もそれに付いて行く。小野坂は悌を連れて一階階段裏手に向かい、堀江は洗面所でバケツに水を入れてから義藤と共に三階に上がった。
義藤と組んで作業をしていた堀江は、ベッド拭きの終わりが見えてきたので一組分だけ抱えてペンションの様子を見に行くことにする。二階部分は鵜飼と合流しているお陰でほとんど掃除を終わらせており、二人とも【チューリップ】ルームの清掃に勤しんでいる。
「おはよう信。二階はあとここだけ?」
「ん。終わったら三階行くべ」
「分かった。ほな【サルビア】からベッド入れていくわ」
「ハイ。設置はボクが代わります。荘さんですと身長差があるでしょ?」
堀江の身長は百七十八センチ、根田が百七十六センチなので、身長百六十四センチの義藤よりも交代した方がいいかも知れない。しかし相性の悪さを考慮すると川瀬には任せられず、どうしたものかと一瞬悩んでしまう。
「仁さん、義さんには仕込みに入って頂いたらどうでしょうか? 早く始める分には問題無いと思いますよ」
「せやな、そうするわ。信、義藤君が来たら掃除教えたってくれる?」
「りょーかい、結婚式ん時に会った子だべさね?」
堀江は代替案を採用し、それを伝えようと三階に上がる。こちらは一人での作業のせいか客室は手付かず状態のようだ。
「義君」
姿の見えない従業員の名を呼ぶと、川瀬がトイレから顔を出した。
「はい」
「ちょっと早いけど、宿泊分の仕込み初めてもらえる?」
「分かりました、ここだけ終わらせます」
堀江はふと違和を感じて足を止めたが、これと言って問題がある事案でもないのでここでの詮索はやめておく。業務の指示は伝えたからとそのまま階段を降り、カーテンを閉めてから義藤が待つ『離れ』に戻った。
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