意地 その四
朝食を食べて仮眠を取った後、空腹に見舞われた川瀬は『DAIGO』でランチを食べることにする。この日は慣れ親しんでいる古参のキッチンスタッフと夢子が出勤しており、客として来店する際は事前のシフトチェックを怠らない。
「久し振りだな川瀬」
彼は
「結婚式で会ってるじゃない」
「そうじゃなくてここに来るのだよ。今日はBランチしか残ってないけどいいか?」
「うん、お願いします」
川瀬は死角となっている奥の四人席を選んで腰を落ち着けた。
『お疲れ様です、川瀬さんの声が聞こえましたけど』
『多分トイレ近くの四人席だよ』
店内はピークを過ぎて客もほとんどいないので、ほんの微かにだがフロアスタッフの夢子と野上との会話が聞こえてきた。彼女の勤務はこれで終わる、スタッフも野上しか残っていない。このシフトパターンを選んでの来店には理由があった。
夢子は入社当初、ここの雰囲気になかなか馴染めずにいた。夫となる前の小野坂に要らぬ心配をかけたくなくて我慢していたのを気にかけた川瀬が、野上を味方に付けて彼女と食事を摂るようになっていた。
その甲斐あって今は徐々に他のスタッフと打ち解けてきてきたのでもうこんなことをしなくていいのだが、趣味嗜好が近く話の合う二人はこれそのものが楽しみの一つとなっている。
「お待たせしてごめんなさい」
「そんなに待ってないよ」
私服姿の夢子は川瀬の向かいの椅子に座る。
「このところ慌ただしいものね、『オクトゴーヌ』」
「うん。この前来た仁君の知り合いの彼、今朝採用試験とかで朝ご飯作ってたよ」
「そうなの? 智とは入れ違いだったから何も聞いていないわ」
近況報告をしている二人の元に野上がお冷を二つ持ってきた。変な勘繰りを警戒してなのか、なるべく他のスタッフを早めに帰らせて接客させないようにしていた。
「仲が良いのは結構だけど、旦那にはオープンにしておけよ」
「大丈夫ですわ、夫はこのようなことで怒るような人ではありませんので」
「そうだよ、僕たちはあくまで同僚なんだよ」
「なら良いけど。もう少し待ってて」
野上はすっと席から離れてキッチンに入っていく。二人は彼の気遣いと心配が滑稽に見えて思わず笑ってしまう。
「そこまで気になさらなくていいのに」
「多分チーフとしてだと思うよ」
「でも私には夫がいるわ」
夢子は幸せいっぱいの表情で左手薬指にはめている結婚指輪を触った。
「ところで
「美味しいとは思ったよ。ただ彼和食型で『オクトゴーヌ』で出してる料理のレベルに達しているのかは正直計りかねてるよ」
「そう、どうして堀江さんはそれに合わせなかったのかしら?」
「きっと彼自身の実力を見たかったんじゃないかな?」
川瀬は悌が出した朝食の味を思い返す。元は企業経営者の専属料理人なだけあって技術は一流と言えた。しかし和食であること、独創性に欠けること、そして物腰に自信が感じられなかったこと、この三点を懸念している。
「僕は『オクトゴーヌ』に合う人材だと思わない」
「そうなのね」
「技術は高いけど個性と自信が足りないと感じたんだ。大型チェーン店のシェフとしてであればそれなりに務まると思う」
「たった一度のお食事でそこまで分かってしまうのね、何だか怖いわ」
夢子はそう言って笑った。
「Bランチお待たせ。ごゆっくりとは言えないけど焦らなくていいから」
「「ありがとう」ございます」
野上は出来たてのランチプレートを二つテーブルに置く。
「さっき聞こえちゃったんだけどさ、『オクトゴーヌ』増員するのか?」
「オーナーはそのつもりみたい。別に今のままで困ってないのに」
「いやいや十分人材不足だと思うぞ、入社希望者がいてくれるだけでもありがたいと思わないと。個性が薄いんならお前の味を教えれば?」
「洋食と和食とじゃ全然違うよ、味のずれが信用問題に関わるんだよ」
「それは俺も分かってるよ。スキルが高いんならそっちに期待するのもアリなんじゃないのか? って話だよ。要は考え方と使い方次第なんだよ、人材ってやつはさ」
野上は言いたいことだけ言うと二人から離れていった。彼の本音を言えば、事ある毎に応援という名目で後輩スタッフが借り出される現状に迷惑していた。大悟はなるべく早く増員しろというシグナルのつもりで人材を貸しており、野上はもちろん堀江もそれに気付いて求人広告を出すなどの対策案を講じていた。
あんたの上司はお困りなんだよ、現状の人員不足を……いっそ分からせてやろうかという考えもよぎったが、他所の職場事情に首を突っ込み過ぎるのも野暮かと割り切って言葉を飲み込んでいた。
「う〜ん」
採用試験を終わらせた後、堀江はどう決断するべきか悩んでいた。相手が知人であるため自身の独断は危険だと周囲の仲間たちに協力を仰いだが、意見が真っ二つに割れてしまったことでかえって決断を鈍らせていた。
根田、雪路、村木、鵜飼は賛成派で今日にでも雇えと言わんばかりの勢いであった。特に偏食家の村木の気に入りようは凄まじく、『落としたら祟るべ』と捨て台詞を吐いて帰っていった。
一方反対派に回っている川瀬、小野坂、嶺山、日高は業務で調理も担っている言わばプロ寄りの選考員となる。小野坂は川瀬との相性を、嶺山は違い過ぎるスタイルを、日高は企業向きであることを懸念材料としている。ただ三人とも考え方次第ではという含みを残しており、人材としての否定はしていなかった。
『彼には自信と向上心が見られない』
川瀬は想像以上に厳しい評価を下している。十年前くらいの悌であればそれも納得なほどの卑屈な男であったが、今回の彼の姿はその面がかなり改善されていた。
堀江の知る悌は何をやらせても標準以上の結果を出せるのに、常に自信無さげにしていた。才覚はあるのに自己評価が驚くほど低く、自己否定のドツボにはまると手が付けられないほどであった。
川瀬はその性格を見抜いているのだろうか? それとも神経質な面が悪く作用してしまっているのか? そうは言っても現状の人員不足はかなり深刻で、二年目に突入した今これ以上他所からの応援はなるべく避けたいところである。
「う〜ん困った」
堀江はケータイを取り出して画面を指でちょんちょんと触って耳に当てる。それから数分通話をしてから客室に上がっていった。その様子をフロントで見ていた根田は厨房にいる川瀬に声を掛けた。
「オーナー席外しましたぁ」
「うん」
川瀬は隙間時間で夕食の下ごしらえに取り掛かっていた。小野坂は夜勤にあたっているのでそろそろ『離れ』に入っている時間帯であるが、そこでちょっとした“予想外”な出来事が起こっていた。
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