意地 その一

「えらい申し訳無い、寄り道したら遅うなりまして」

 翌日の午前、『播州建設』の社長である勝原カツハラという男性が二人の秘書を伴って『離れ』にやって来ている。昨夜は宿泊客として『オクトゴーヌ』で一夜を明かしたカケハシは、床上で土下座をし微動だにしない。

「吾、頭上げい」

「はい……」

 大きな体とは裏腹に蚊の泣くような声で返事をする。

「取り敢えず座れ」

 そう言われた悌は床上で正座し直す。堀江はキッチンで茶を入れながらその様子を気に掛けていた。

「せやのうてソファーに座れ言うとんのや」

「あっはい」

 彼は慌ててソファーに座る。それを見てから淹れたての茶を四つお盆に乗せてリビングに入った。まずは客人三名の前に置き、悌の分を最後に置くとそのまま下がろうと立ち上がった。

「ちょっと待って兄さん、堀江さんやったか。ここは何屋や?」

「宿泊施設となっております」

「パンの匂いすんねんけど、隣かいな?」

「はい、今は店舗の一部を営業スペースにしてもらってます」

「そうか」

 勝原は左隣の男性においと声を掛ける。

「そのパン屋で五人分・・・適当に見繕うてこい」

「へい」

 彼は堀江に会釈すると静かに『離れ』を出た。

「済まんな、朝飯まだやねん」

「左様でございますか」

 これで用は済んだだろうと客人に一礼して下がろうとすると再度呼び止められる。

「このままおってもらえるやろか?」

「は?」

「立会人になってくれんか? あと話しときたいこともあんのや」

 堀江は空いている一人掛けソファーに腰を落ち着けると、それに満足した勝原は向かいにいる男に顔を向けた。

「吾、規則は分かっとるやろな?」

「はい」

「悪いが例外は無い、今日付でクビ」

「はい……」

 覚悟はしていたが、いざ面と向かって宣告されると落胆は隠せない。

「ご迷惑、お掛けして申し訳ございませんでした」

 これも自業自得、悌は言い訳せずに謝罪した。

「やらかしたもんを今更グズグズ言うてもしゃあない、手ぇ出せ」

 悌は言われた通りテーブルの上の右手を置く。

「そうやない、手のひらを上にせぇ」

「はい」

 置いた手をひっくり返したその手に細長い箱と分厚い祝儀袋をドンと置いた。

「餞別や、受け取れ」

「いえ待ってください、俺解雇……」

「多少の足しにはなるやろ、何かあったら連絡せぇ」

 と今度は小さな傷がたくさん付いたケータイをテーブルの上に置く。

「こいつ探すん難儀したぞ」

 悌は目を丸くして勝原を見た。

「お前GPSで居場所突き止められとる思うてわざと棄てたやろ。追手のことは安心せぇ、出処は調べ付いとるさかいワシがカタ付けたる」

「しかし……」

「相手は玄人や、お前は出ん方がえぇ。社員のケツ拭くんも仕事のうちや、こんなもんべっちょない」

 悌は何も言えずテーブルに額を当てるくらいに頭を下げている。堀江は二人のやり取りを黙って見つめていた。

「堀江さん、あんたに一つ頼みがあんねや」

「何でしょう?」

「空きがあるんならコイツ雇うたってくれ」

「えっ?」

 今度は堀江が目を丸くする番であった。

「参考までに、今従業員何人おんのや?」

「僕を入れて四人です」

「宿泊施設でそれは少なないか? 何部屋あんのや?」

「八部屋です」

「あと二〜三人は欲しいとこちゃうんか?」

 その指摘は彼自身が最も痛感しているところであった。少数精鋭で何とか一年は持たせてきたが、経営状態云々以上に他所の人材を借りている時点で手腕に問題がある。

「えぇまぁ」

「相性いうんはもちろんあるやろけど、面接だけでもしたってほしい。腕の良さと生真面目さはワシが保証する、接客経験もあるから即戦力にどや?」

「分かりました、面接はします。採用はそれ次第ですが」

「それはそっちの都合で構へん、あとはお前がきばれ」

 勝原は元専属料理人の肩に手を置いた。

「はい」

 彼の返事に満足したのか、買い物に行かせている秘書が戻っていないにも関わらずすっと立ち上がる。

「ほなお暇するわ。吾、縁があったらまた会おや。その時は茶碗蒸し食わしてくれ」

「はい、喜んで」

 悌もつられるように立ち上がり、出て行こうとする元社長の背中を追った。すると『アウローラ』のパンを買いに出ていた男性が五つの紙袋を持って戻ってきた。

「買ってきやした」

「ご苦労さん。お前はまず腹満たせ」

 勝原はそのうちの二つ分を手に取り、一つは元専属料理人に手渡す。

「あっありがとうございます」

 日の出マークのプリントされている紙袋を恭しくうけとった悌の後に、残りの一つを堀江に差し出した。

「あんたはしょっちゅう食うとるやろけど、迷惑料として受け取ってもらえんやろか?」

「ご丁寧にありがとうございます。遠慮無く頂きます」

 堀江は素直にそれを受け取った。勝原は三つのうちの一つの口を開け、中から季節限定の桜アンパンを手にしてがぶりと頬張った。

「行儀悪うて申し訳無い、この匂いには勝てん」

 と桜アンパンを美味しそうに食べながら日の出マークのプリントを見つめていた。

「ところで堀江さん、パン屋の名前何て言うんや?」

「『アウローラ』と言います」

「なるほどな」

 勝原はあっという間に手にしていたパンを平らげていた。

「ごちそうさん、また買いに来よかな」

「機会があれば是非」

「せやな。お前らも後で食え」

「「へい」」

「ほなな」

 『播州建設』社長は颯爽と『離れ』を後にする。二人の秘書も堀江に一礼してから彼の背中を追っていった。

 解雇を言い渡された悌は、餞別として受け取った箱を開けてみる。中には真新しい包丁が入っており、【悌吾】としっかり刻まれていた。彼は粋すぎる元社長の計らいに感涙し、覚悟を決めたように蓋をしてから堀江を見た。

「仁。面接してもらえるか?」

「分かった、明日午前二時にここでするわ。形だけやけど履歴書は用意しといて。写真と印鑑は不要、服も普段着でええから」

「分かりました」

 悌は『離れ』を出て真っ先に隣のペンションに入る。フロントに立っている小野坂目指して真っ直ぐ進み、連泊できないか? と訊ねた。

「可能です、ご希望の日数は?」

「そうですね、三泊お願いできますか?」

「承りました、そのまま【チューリップ】ルームをご使用ください」

 小野坂は分厚いバインダーを引っ張り出して何やら記入してから連泊の手続きを始める。悌は必要事項を記入して手続きを済ませるとその足で外出していった。

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