進路 その三

「あぁ、そういうことでしたか」

 突然の謝罪に困惑しながらもひとまずは客である実紗を助手席に座らせたオノザカは、駅のロータリーを出てすぐの国道へと車を走らせる。実紗は車内で前日のことを白状すると、内緒話をしていた訳じゃないですからと笑顔を見せた。

「近々ご結婚なさるとですか?」

 あっさりと許してもらえて安堵した彼女はつい突っ込んだことを訊ねてしまうが、オノザカは特に気にせずえぇと答えた。

「えっと、おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 一見クールに見える彼の表情がほころび、実紗はその横顔に気持ちが和む。車は国道を十分ほど走ったところで坂道に入り、生憎の天気ではあるがテレビや映画で見る風景がフロントガラス越しに映し出されていた。

「吹雪いとったっちゃ趣があるんですね」

「えぇ、私も道外の人間ですのでそう思います」

「そう言えば訛りがなかとですもんね、関東ん方とですか?」

「東京都出身です。初めてこっちに来たのは九年前ですが、一度出戻った後五月に移住しました」

 実紗はその話で移動パン屋の女性店員を脳裏に浮かべる。関西弁を操る彼女も含め、北海道に憧れて移住する人は案外多いものなのかと考えていた。

「ここは決して利便性のある大都市ではありませんし冬場の生活も厳しいですが、とても良い街だと思います」

「はい」

「土地の広さもあるかも知れませんが、間口が広くて地元の方もおおらかで懐の深さを感じます。自分のことをベラベラと失礼致しました」

「いえ、そういった貴重なお話が聞くるんな嬉しかとです。進学候補にしとー大学ん見学でこん街に来ましたけん」

「そうだったんですね、見学のご予定は?」

 前日に済ませた、彼女はそう答えた。

「残り二泊で少し街中も見てみようて思うとったんばってん……」

「明日だけになりそうですね」

「はい。今日は宿題が捗りそうです」

 坂道の中腹を過ぎた辺りで車は脇道に入り、画像で見た宿泊施設の外観が見えてきた。

「可愛らしか建物ですね」

「ありがとうございます、二代目の趣味でこうなったと聞いています」

 それから間もなく花柄が描かれた塀のある一軒家を通過し、目的地であるペンション『オクトゴーヌ』に到着した。後部座席に入れていた荷物はオノザカが全て引き受け、入り口まで実紗をエスコートする。

 彼に誘導される形で中に入るとペールオレンジの壁、そこに飾られてる小さな絵画、テーブルを覆う暖色系の小花柄テーブルクロス、角の本棚に仕舞われている絵本たちが建物内をメルヘンチックに演出している。

「いらっしゃいませ」

 カウンター席の奥に設置されているフロントには緑色の調理服を着た長身の男性がにこやかな表情で待ち構えており、実紗は彼に見憶えがあったのでぺこりと頭を下げた。

「あん時はありがとうございました」

「えっ?」

 一旦は驚きの表情を見せた男性だったが、改めて実紗に視線を合わせると思い出したという風に笑顔を見せた。

「あの時は災難でしたね、市民として何とお詫び申し上げていいものやら……それに私は特に何も」

「いえ、皆様がおってくださったお陰でさほどんトラウマにならんで済んだとです。そんお礼ばずっと申し上げとうて……まさかここん方々やったとは思わんやったとです」

「礼でしたらオーナーにお願いします、明日の昼まで休みですが」

「はい、お見掛けしたらそん時に」

 その言葉に彼は頷いた。話が済んだところで実紗の荷物を持っていたオノザカがフロントのに近付き、奥に隠し置いていた台を引っ張り出す。

「そいじゃチェックインの手続き頼むよ」

 その上に旅行バッグを静かに置き、自身はそのまま別室へと移動した。

「山林様、こちらへどうぞ」

 実紗はチェックインを済ませ、二階のある【チューリップ】ルームに通される。この部屋の内装は壁の色に合わせて淡いピンクに統一されており、飾られている早咲きのチューリップも濃いめのピンクだった。

「今日はもう出掛けられんと」

 これ以上の外出を諦めた彼女は、旅行バッグから筆記用具、参考書、宿題である問題集をテーブルに置いてひたすらそれに取り掛かっていた。


 プルルルル、プルルルル……。

 客室電話の音で我に返った実紗は筆記の手を止めて席を立つ。正確な時間は分からないが、日はすっかり傾いて日没にほど近くなっていた。

「はい」

 取り敢えず受話器を取って耳に当てる。

『カワセです、一階カフェにてお食事の支度が整いました』

「はいっ、すぐ降りますっ」

 実紗は卓上照明のを電源を落とし、やや早足で階段を駆け下りた。一階カフェ館内は食欲をそそる洋風料理の薫りが立ちこめ、宿題に集中していた彼女のお腹が食事の催促を始める。

 音を聞かれたのではないかと一旦立ち止まって腹部を押さえ、辺りを見回したが誰一人こちらを気にしている者はいなかった。それに安堵した彼女に女性従業員が近付き声を掛けた。

「山林様でしょうか?」

 はいと返事して頭一つ分近く身長の高い従業員を見上げると、商業施設駐車場で出会った移動パン屋の美人店員であった。

「あぁ、先日はありがとうございました」

 彼女も実紗のことを覚えており、きれいな笑顔を向けた。

「いえ、こちらこそ美味しく頂いたとです。ところでお店はこらへんにあるとですか?」

「明日までは休みですが今はここで臨時営業しています。因みにペンションでお出ししているパンはウチのですよ」

「ホントとですか?」

「えぇ。ただ山林様お食事は全てライスを選択なさってると伺っておりますが……」

 あっ……本来パンを食べない習性が思わぬ選択ミスをしてしまったと今更ながら後悔する。

「変更が可能か聞いておきますね、立ち話も何ですのでお席へご案内致します」

 彼女に案内されたテーブル席には既に前菜とオードブルが配膳されていた。実紗が着席するのを見計らったように、先程の美人店員がスープと瓶を乗せたトレーを持ってきた。

「お待たせ致しました。明日の朝食からでしたらパンへの切り替えも可能ですよ」

「ワガママ言うてすみまっせん。明日は両方ともパンで、最終日ん朝食はライスでもよかとでしょうか?」

「承りました、そのように伝えます」

 女性は笑顔で頷き、配膳を済ませて別の席で食事をしている宿泊客の様子を気にしている。実紗は冷めないうちに角切りの野菜が入ったスープとサラダを食べきると、オードブルに手を付ける前にライスが運ばれてきた。

 空腹も手伝って調子良く食事を進め、オードブルもきれいに食べきるとカランという音と共に冷気がビュッと館内に入り込んだ。誰か来た? と思いそちらに視線を向けるとテレビ等で見たことのある有名人がそこに立っていた。

「へっ?」

 突発的すぎる光景に実紗は素っ頓狂な声を上げ目を丸くする。それに気付いた隣の席の宿泊客もつられて同じ方向を見やった。

「えっ? あの人死亡説流れてなかった?」

「うん、このところ見なかったから」

「こんな所にいたんだぁ」

「ここ出身とは聞いたことがあったけどビックリだよね」

 その有名人は男性を一人伴ってフロントへと歩みを進める。そこには送迎で出会ったオノザカが立っており、お帰りなさいませと頭を下げている。フロントにいる三人は親しい間柄がごとく笑顔で言葉を交わしており、察するにここの宿泊客のようだった。

「お待たせ致しました、メインディッシュでございます」

 タイミングを伺って実紗のいるテーブル席にやってきた女性店員が空になったオードブルの皿をすっと退けて、湯気が立ちこめている肉料理を配膳する。

「あっありがとうごじゃいます」

「どうぞごゆっくり」

 彼女が一礼して立ち去ろうとするところであのと声を掛けた。

「今そこば通った方ってもしかして……」

「本日宿泊予定のお客様みたいですね」

 女性店員はフロントの様子に大した興味を示さず、躱すような受け答えをした。

「えっと、見間違いでなければ……」

「申し訳ございません、あいにくペンションの詳細にはノータッチなんです。私はベーカリーの従業員ですので」

「そっそうなんですか……」

 実紗は有名人の姿をもう一度見ようとフロントに視線を移したが、入館した二人組はおろかオノザカもいなくなっていた。

「冷めないうちにお召し上がりください」

「はい、頂きます」

 彼女は勧められるまま食事を再開させる。普段口にすることの無いフルコースディナーを堪能しているうちに、先程まで脳裏にあった有名人のことなどすっかり消し去られていた。

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