命を宿す その三

 路面電車を降りて程なく、この街でも歴史ある教会方向の道すがらに一軒の木造建築物の前で香世子の足が止まる。

「ここだべ、入るよ。こんにちは~」

 慣れた様に入店する香世子に付いてまどかも店内に入る。内装も木造で、加工も最小限に留めてあって温もりを感じさせる。肝心のパンたちもバラエティーに富んでおり、美味しそうな薫りが店内いっぱいにたちこめていた。

 ここは当たりだ♪ 彼女は心の中でほくそ笑むも、決断力に乏しい性格でいざ何が食べたいかとなるといい意味で目移りする。そこにスレンダーでお洒落な装いをしている女性店員が、いらっしゃいませと声を掛けた。

「ここは初めてなんですか?」

「えぇ、叔母と一緒に来てるんです」

「え? じゃあ香世子さんの……」

 女性は早速菓子パンを物色している香世子を見てから改めてまどかに顔を向けると、ってことはと表情が明るくなった。

「ひょっとして礼さんの妹さん? お話は伺ってますよ」

 えっ? 関西弁を操る女性が自分のことを知っていることに驚いたまどかは、あぁと戸惑いの表情を見せる。こっちには何一つ教えてくんねえのに……そんな性格はきょうだいよく似ており、口の軽い兄を少々恨めしく思った。

「村木まどかさんですよね? 申し遅れました、嶺山雪路です。お会いできて嬉しいです」

「村木まどかです、まさかここの方が兄と知り合いだったなんて……私には何もぬかしてくれんかったのに」

 まどかはそう言って膨れっ面を見せると、雪路も兄貴ってそんなもんですよねと笑った。

「ところで嶺山さんは内地の方なんですか?」

「内地? あぁ、はい、大阪出身なんです。去年の秋兄に付いてこっちに移住してきました。祖父母が北海道出身なのに縁を感じたようで、私も良い街やなと思います。ただあまり同性の知り合いがおらんのがちょっと寂しいかな? って」

 雪路は兄の知り合いの親族であるまどかと話せるのが嬉しくて、接客はレジに立っている女性に任せて話し相手をする。まどかもこの街に来て初めて同世代の女性と話すので、うきうきした気分になって自然と笑顔がこぼれる。するとパンを物色していた香世子が買い物を済ませて二人の元にやって来る。

「ホラ、アンタの好きなんにしたべ。シナモンロール、好きしょ」

 早速袋の中身をチェックしているまどかはシナモンロールに満足そうな表情を見せる。

「ん、美味そうだべ。メロンパンも入ってるし……カレーパンは遠さんの?」

「んだ、帰ったらまくらおうね。そん前にお茶しね?喉渇いたべ」

「ってことは『オクトゴーヌ』ですか? 私ももうすぐお昼なので伺います。まどかさん、折角のご縁ですからその時に連絡先、交換しませんか?」

「はい、是非」

 まどかも嬉しそうに頷いて、『オクトゴーヌ』での待ち合わせを約束する。

「ユキ、焼き上がったから並べてくれ」

 厨房から男性の声が響き渡ると、雪路はそちらに視線をやってはぁぃと返事をする。

「それじゃ、後ほど」

 彼女は二人に一礼してから仕事に戻った。


「ここがさっき話した『オクトゴーヌ』。お昼近いし、軽食くらいならあるけどどうっペ?」

「う~ん、メニュー見てから考える。したっけここ随分とがっちゃいけど……」

 まどかは外装を見ながら言うと、香世子はまぁそりゃあねと笑った。

「ここ自体は五十年ほど前からある建物したって、内装は新しいし四月にリニューアルしたばかりなんだわ。前のオーナーさんが八十歳を機に引退なさって、若い男の子に次を託して三月に亡くなられたんだ」

 ここの事情を全く知らない姪っ子に、ざっくりとだが古くからペンションとして営業していると教えた。

「ってことはお孫さんかい?」

「ううん、先代の最後のお客様だって聞いてる」

「へぇ……」

 まどかはその話に多少の興味を示す。齢八十を超えた先代オーナーに見初められた若い男性……一体どんな方なんだろうか? 彼女は香世子よりも先にドアを開けて中に入ると、フロントにいた若い男性がいらっしゃいませと声を掛け、叔母が言った通りのイケメンだったので少しばかり緊張する。

「ホントだ……カヨちゃんのセンスしたからほらかと思ってたべ」

「どういう意味たべ? 遠君だってイイ男だぁ」

「イヤイヤ、我が兄貴三人の方がいくらかマシだべさ」

 二人でそんな話をしていると、フロントに立っているイケメンが香世子に気付いて声を掛けた。

「しばらく振りですね、そちらの方は?」

「んだ、姪のまどか」

「彼女がですか。初めまして、堀江仁と申します。『赤岩青果店』さんにはいつもお世話になっています」

「村木まどかです。こちらこそ、ウチのような小っちゃい青果店を贔屓にして頂いて光栄です」

 まどかは堀江仁と名乗ったイケメンに視線を奪われる。こんな姿じゃなかったら……彼女は小さな命を宿している下腹部を恨めしそうに擦った。

「礼君からお話は伺っていますが、もう随分と大きいんですね。何ヶ月なんですか?」

 ここでもか……まどかはまたも自身の知らない所で有名になっていることに釈然としないながらも、堀江という名のイケメンと話せる機会ができたのは正直嬉しかった。こんな知り合いいるなら紹介しろ! 肝心なところで役に立たない兄の口の軽さをまたしても恨めしく思う。

「三十週目に入りました、七ヶ月です」

「どちらが産まれるとか、もうご存知なんですか?」

 この人も関西弁……まどかは先ほどの雪路といい、この辺りは関西の方が多いのか? と思いながら堀江に出身地を訊ねた。

「僕は京都出身で、この街に来たのは三年前です」

「そうですか、先ほどそこのパン屋さんも大阪出身の方だったので……こん子の性別は生まれた時の楽しみに取っておこうかと思って調べなかったんです、両方の名前を考えたかったのでせめてもの楽しみです」

 まどかはそう言って微笑んだ。

「堀江さんはなしてここで働くことになったんですか?」

「よしなまどか、初対面の方ん詮索なんてするもんでね」

 事情を知っている香世子は慌てて姪の言葉を止める。しかし彼は特に気にすること無くまどかの質問に答える。

「知り合いの墓参りに立ち寄っただけだったのですか、ここで宿泊した際先代に後継者としてお誘いを頂きまして。当時仕事をしていませんでしたし、彼女を弔えるのであればその選択もアリかと思いまして」

「ごめんなさい、立ち入ったことを伺ってしまいました。でもきっと喜んでいらっしゃると思います、ここでこうしてお元気なのが何よりの証拠ですから」

 まどかは自身の無礼を慌てて謝罪したが、堀江はありがとうございますと礼を言った。

 この人さほど歳離れてないと思うんだけどなぁ……彼女には堀江が随分と大人びて見える。

「ゴメンねぇ仁君、こん子も礼とおんなじで何でもかんでも訊ねまわる癖があるんだわ」

「構いませんよ。一度お会いしたかったんです、あなたとは同い年だそうですから」

「えっ! どんぱ!」

「……どんぱ?」

「同級生って意味の方言だべ。因みにまどかは十一月が誕生日なのさ、仁君は確か早生まれだべねぇ?」

「はい」

 香世子の言葉に堀江は頷く。まどかは歳は同じなれど学年が違うと分かってなぜか安堵の表情を浮かべていた。

「くっちゃってたら何かお腹空いてきた、メニュー見せてください」

「かしこまりました」

 彼はフロントの下の棚からメニュー表を取り出してまどかに手渡すと、お冷やを用意する為に厨房ヘ消えていった。

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