覗き見 その一

 その電話以外は特に何事も無く日付が変わり、小野坂は朝のうちに外に出て掃き掃除をしている。この日は気温がぐんぐん上昇しており、天気予報では本州よりも暑い三十二度と予想していた。

 湿度が低いだけマシなのか。この暑い中ろくな日焼け対策も取らず、一人黙々と建物の周囲のゴミを掃き集める。途中、入口に繋がっている階段に黒のパスケース的な落とし物を発見した小野坂は何かと思いそっと拾い上げた。

「お客様のかな? にしても男物っぽいな」

 独り言を言いながらそれを裏返してみる。一瞬気が咎めたが、従業員の物なら軽く中を見れば返せるな……そう思ってパッと広げた。中には一枚の写真が収められており、天使かと言わんばかりの可愛い女の子が写っている。

「うわっ、超可愛い」

 少しばかり邪な感情を持ってしまった小野坂だったが、彼女の左肩には男性の長い腕が垂れ下がっていてガッカリする。彼女はその手を握り、幸せそのものと言った表情で笑っている。

 何だ男かよ。そう思って写真全体を見ると、男性の正体は多少雰囲気は違えど今よりも少し若い堀江だった。小野坂は持ち主が分かったので掃除を中断し、パスケースをたたんで店内に入ると堀江が何やら探し物をしている。

「もしかしてこれか?」

 小野坂は手にしているパスケースを彼の前に差し出した。途端に堀江の表情がさっと変わり、まるでひったくる様にそれを取り上げた。これに驚いた小野坂は体が固まり、微かに恐怖すら感じる。

「何処にあった?」

 堀江は普段使わない関西弁で、聞いたことの無いきつい言い方をする。

「入口の外だけど」

 普段他人に恐怖を感じることなど滅多に無い小野坂が、その変貌振りに思わず怯んでしまう。チラッとだけ中を確認したと正直に伝えて出方を伺っていると、堀江はほぼいつもの調子に戻していた。

「ゴメン、ひったくるような真似しちゃって。大切な物だから」

 その声は少し動揺していたが、堀江は探し物が見つかったと安堵の表情でありがとうと声を掛けた。

「どういたしまして」

 いつものオーナーに戻っていることにホッとした小野坂は、笑顔を見せてから再び外に出る。そのの背中を見送った堀江は手にしているパスケースをそっと開いて中を見た。写真の女性は少し前に出会った女子高生とほぼ同じ顔だった。

 もう八年になるんやな……そんなことを考えていると、ベッドメイクを終えた川瀬と根田が客室から降りてくる。

「終わりました」

 川瀬に声を掛けられたので慌ててパスケースをポケットにねじ込み、ご苦労様と二人を労った。

 堀江はフロントに入って現在の予約状況をチェックする。ここ数日は今宿泊している団体客をはじめ、Tホテルに宿泊ないし予約を入れていた客が流れてきてほぼ満室となっている。昨日早朝に客室でボヤ騒ぎが起こったそうで、原因が分かるまでの数日間は営業停止を余儀無くされているとTホテルからはそう説明を受けている。

 当面アイツの宿泊は断れそうや……堀江は一つ息を吐くと、チリンというベルの音と共に入口のドアが開く。

「おはようさん」

 この日も笑顔でやって来た塚原は、仕事中なのに呑気そうですっかり指定席となっている入口に一番近いカウンター席に座る。

「いらっしゃいませ」

「今日はカプチーノにするよ」

「かしこまりました」

 堀江は厨房にいる川瀬に声を掛けた。川瀬は早速カプチーノを淹れ、相も変わらずオーナーの観察をする郵便局員の前にそっと置いてすぐまた厨房に引っ込んだ。

 塚原は少し待ってからカップに口を付け、誰に言うでもなく美味いねとご満悦の様子だ。しかしいつもなら何らかの反応をするはずの堀江が、ノートをじっと見つめているのかぼんやりしているのか分からない状態だった。毎日の様に観察をしているとおかしいとは思うようで、様子見がてらどうでも良い世間話をしてみたが反応が無い。

「仁君?」

 客に名前を呼ばれてようやく反応した堀江は、慌てた様子で声のした方へ顔を向けた。

「あっ、すみません。おかわりですか?」

「そうじゃないけどさ、考え事?」

 塚原はこの日も堀江の事を詮索する。厨房入口付近に居た川瀬は、相変わらずだなと少々嫌そうに様子を伺っていた。しかし当人はいつもの様にえぇちょっと……と応対しているのでむやみにしゃしゃり出ないでおく。

「話せばスッキリするよ」

「いえ、お気遣いなく」

 堀江はそれだけ言うと、再びノートに視線を移す。

 実のところ川瀬も堀江の様子が少しおかしいと感じていた。昨日の電話もそうなのだが、商店街で女子高生を助けた一件辺りから物思いに耽ることが増えたように映っていた。ここで知り合ってから一年半を超えたくらいになるが、時折ふと憂いの表情を見せることがある。人それぞれ事情があると敢えて触れてこなかっただけに、いわばただの客である郵便局員がやたらとオーナーのプライベートゾーンを覗き見しようとしてくるのがどうも鼻持ちならなかった。

 何なんだろこの人? 川瀬はカプチーノを飲み干しているのを確認して、わざと堀江から目を背けさせようと塚原の相手を始めた。


 夜、商店街青年部の若者たちが数名一組でパトロールをしていたところ、遠目ではあったがチンピラ風の男が若い女の子をナンパしていた。彼女は近くの居酒屋にユニフォームを着ていて、何らかの用事で外出しているところを絡まれてしまったのだろう。有志たちの間ではさすがに見逃せないべという話になり、その中に混じってパトロールに参加している鵜飼がポケットからケータイを取り出した。

「ちょびっと大袈裟な気もするけどさ、百十番すっぺ」

 彼は皆の了承を得ての一人少し離れた場所で警察に通報する。

「一応声掛けるかい? 相手一人だしさ」

 有志たちは鵜飼を抜いても三人いるのをいいことにチンピラ風の男に近付いた。

「おばんです。最近治安いくないしたっけ……」

 彼らは無難な一言を選んだつもりだったが、何処からともなく涌いてきた似た風貌の男たちが三人を取り囲む。

「やかましいわ、軽う相手したり」

 その言葉を合図に男たちは三人に襲い掛かり、暴力沙汰が勃発してしまう。それに気付いた鵜飼は、すぐ側の店のほうきを拝借して仲間たちを助けに行く。チンピラ風の男たちは剣道有段者である彼の相手にはならず、幸いにもたった一人で仲間と女の子の救出に成功した。

「したらそん子とこっから離れて。あの男刃物持ってる」

 仲間たちは女の子を連れてその場から離れ、一人残された鵜飼はチンピラのリーダーと対峙する。

「気に入らんなぁ」

「お互い様しょ?」

 二人は一触即発の状態で睨み合っているところへ、運が良いのか悪いのか厨房の電球を買いに出ていた川瀬と小野坂がその現場に鉢合わせた。川瀬は治安の悪さを目の当たりにして驚いていたが、小野坂は平然と二人に近付く。

「信、警察呼んでるか?」

「うん」

 鵜飼は返事をしつつも相手からは視線を外さない。小野坂は鵜飼と背中合わせになる位置で足を止め、再び起き上がったチンピラたちに睨みを効かせる。腕っぷしに自信の無い川瀬はそんな様子を見守るしかなく、今や遅しと警察の到着を待つ。すると鵜飼が呼んだであろう警察官が二人やって来て、真っ先に気付いた川瀬が手を振って大きな声で呼び掛けた。

「ここです! 早く来てください!」

 その声に導かれて警察官がこちらに気付くと、チンピラたちは我先と散り散りに逃げていった。

「それにしても二人とは随分とお気楽だな」

 小野坂はチンピラたちを追う警察官を見て何の気無しに毒吐いている。

「したって通報した時は一人だったんだべ」

「そうなのか?」

「ん。ただアイツら関西弁だったべ」

 関西弁……小野坂は今朝の出来事を思い出しだが、それを払い除けて平成を装った。少し離れた場所にいた川瀬は二人の元に駆け寄り、大丈夫? と声を掛ける。

「ん、僕はね。それより仲間の方が怪我しちまってさ」

 鵜飼は辺りをキョロキョロしていると、彼を心配した仲間三人が戻ってくる。女の子の姿は無く、勤務先に送り届けてきたと話した。確かに彼らの着衣は汚れていて何ヵ所か小さな傷を作っており、パトロール部隊は先に病院へ、鵜飼、川瀬、小野坂は警察署で事情聴取を受けることとなった。

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