オリジナルブレンド

倉田京

いつものお客様

 カランカラン。

 年季の入った真鍮しんちゅうベルの乾いた音がします。少し開いた入り口の隙間すきまから、夜の冷たい空気がふわっと流れてきました。二、三秒間を置いてローズウッドで出来たドアがゆっくり開きました。この開け方は、あのお客様です。私はいつものようにティーカップの準備を始めました。

「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」

 最後の一言を付け加えるのが、私なりのおまじないです。その方は私と向き合う形でカウンターの丸椅子に腰かけました。そこが彼のお気に入りの席です。



 ここはレトロな喫茶店。名前はピコラといいます。イチョウの街路樹がいろじゅが立ち並ぶ大通りから一本狭い横道よこみちに入った先に、このお店はあります。看板を出してはいるのですが、少し奥まった場所にあるので、入り口が少し分かりずらいです。初めてご来店される方は最初、おとぎの国に迷い込んだような表情で店内を見回されます。世間ではピコラのような喫茶店を『かく的なお店』と呼ぶそうです。

 私の名前は倉橋くらはしかんな。アルバイトとして二年ほど前からここで働いています。先月から閉店近くの忙しくない時間帯は一人でお店を任されるようになりました。



 お客様はひじをつきながら、かじかんだ両手をほぐしています。私はその手に暖かなお手拭を差し出しました。

「こちらどうぞ。外は寒かったですか?」

「ありがとう。そうだね、風も強かったし。北海道で初雪が降ったって言ってたよ。もう冬だね」

 彼はそう言いながらお店の入り口の方を眺めました。

「あ、肩のあたり…」

 私はそう言って彼の肩のあたりを指差しました。コートにイチョウの葉が付いていました。

「はい、こちらにどうぞ」

 私は両手をそっと差し出し、彼がつまんだ枯葉を受け取りました。

 秋も終わりに差し掛かってきました。この時期は肩や背中、時々頭なんかにイチョウの葉を付けた方がご来店されます。

 私は冬に向かって少しずつ弱っていくこの季節が好きです。頬を刺す冷たい秋風に乗って店先に届いた黄色い葉を見ると、何ともいえない切ない気持ちが胸にジンと広がります。



「いつものブレンドでよろしいですか?」

「うん、お願い」

 この男性の方は毎週金曜に来て下さいます。お店は夜九時に閉店するのですが、その五分前くらいにいらっしゃいます。背の高い方でいつもスーツ姿をしています。年齢は見たところ二十五歳くらい、私より三歳年上といったところでしょうか。いつもコートを脱がずにお店のオリジナルブレンドを一杯飲んでお帰りになられます。この時間帯はお客様が居ない事がほとんどなので、自然とこの方とお話をする仲になりました。今日も店内は私と彼の二人きりです。



「お待たせしました。ピコラブレンドになります」

 私はカウンターを出て彼の横にカップを置きました。そしてお店のドアノブにCLOSEDと書かれた札をかけに行きました。

 店名の『ピコラ』はイタリア語で『小さい』を意味しています。文字通りここはとても小さな喫茶店です。お店に入ると右側にカウンター席が五つ並び、奥には四人掛けのソファ席が二つあります。席はそれだけです。天井も少し低めで、針金で吊るされたランタン型のランプが店内を控え目に照らしています。テーブルもソファもアンティークで、どれも落ち着いた黒に似た濃い茶色をしています。年月によってみがかれたつやを持つ品々が、お客様を柔らかくお出迎えしてくれるお店です。オーナーさんはとてもオシャレな方です。



「いっつも閉店間際まぎわにごめんね…飲み終わったらすぐ帰るから」

「いえ、大丈夫です。むしろ来て下さって嬉しいです。それで……もしよかったら…お名前…教えてもらってもいいですか?私、倉橋かんなって言います」

「俺は仲河なかがわ拓真たくまです」

 彼のお名前をお聞きした瞬間、店内に流していた映画音楽がちょうど終わってしまい、私たちの間に少し沈黙が流れました。少しして、CDが一曲目からまた再生を始めました。レンガで出来た壁に囲まれた店内に、情景を感じさせる音楽が静かに満ちてきました。


 私は意を決して、以前から考えていたお願いを口に出してみることにしました。

「あの…突然なのですが…ご迷惑じゃなかったら……私が作ったオリジナルブレンド…飲んで…頂けませんか?」

「かんなさんが作ったやつ?」

「はい…わたしの……です」


 拓真さんはこころよく『頂きます』と言ってくれました。私は早速もう一杯コーヒーをご用意しました。とても嬉しかったのですが、正直心配で胸が張り裂けそうでした。香りや味が変だと言われたらどうしようと思ってしまい、ティーカップを置く手が震えてしまいました。


 彼はカップを口に近づけ、少し香りを楽しんだ後にスッと一口飲んでくれました。私は丸い銀色のトレーを胸にぎゅっと抱えながら、その様子をじっと見つめていました。

「ど…どうでしょうか?」

「すごく美味しいよ」

 その答えに思わず安堵あんどのため息が出てしまいました。

「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。いいコーヒーだと思うよ。ちなみにこれ、どんな豆を使ってるの?」

「それは…ごめんなさい……秘密です。あ、あと、お代は結構です」

 本当は拓真さんの為に作った特製ブレンドとお伝えしたかったのですが、それはどうしても言えませんでした。

「それじゃ悪いよ。お金の代わりに、何か俺に出来ることないかな?」

「い、いえ…私が勝手にやってることなので…。豆も自分で用意してます…。お店にも迷惑かけてないので…大丈夫です」

 作ったオリジナルを彼に飲んで頂けるだけで私は十分に幸せでした。これ以上の事をお願いしたらバチが当たってしまいそうな気がします。

「じゃあ友達連れて、今度このお店に来ることにするよ」

「そ、それは止めてもらえますか!それに、この事を周りの人に言わないでもらえると助かるというか…」

「そうなんだ…そっか…」

 拓真さんはそう言って残念そうにスプーンでカップの中をかき回してしましました。陶器と金属が触れて、小さいベルのような音が聞こえました。

「ご、誤解しないでください!嫌とかそういうのではなくて…まだ自信が無いというか……あの…でしたら、お代の替わりといっては何なのですが…来週も…また私のコーヒー飲んでもらえますか?それと、飲みながら…拓真さんと……もっと…お話がしたい…です」



 そして私たちは、閉店後の店内でいつもよりたくさんお喋りをしました。私は隣の椅子に座らせてもらいました。すぐ近くでお話ができることに緊張してしまい、私は何度も言葉をつっかえそうになりました。時折、拓真さんが私のコーヒーを飲むと、その口元に目が行ってしまいまい、思わずエプロンの端をギュッと握ってしましました。

「これいいカップだね。ひょっとしてお店で使ってるのとは違うやつ?」

「そ、それ私物…なんです。ごめんなさい。えーっと、黙っていてもらえますか?私と拓真さんだけの秘密にしておいてもらえると…」

「大丈夫だって。このこと全部、マスターや周りの人には内緒にしておくから」

「あ、ありがとうございます。そう言ってもらえると、すごく…うれしいです」

「俺、この店の雰囲気が結構気に入っててさ。ほら、あの猫の絵とか…」

「ありがとうございます。でも、そんなに褒められるほどの物じゃないです」

「え?それって、もしかして…」

「あれは…私が…描きました……」

「すごいじゃん!才能あるね!猫好きなの?」

「はい…。でも私なぜか猫に嫌われる性格みたいで、野良猫と仲良しなろうと思って近づいてもすぐ逃げられちゃって…いま一番仲良しなのは拓真さん…です」

「そう言ってもらえると、俺も嬉しいっていうか……俺もかんなさんと…仲良くなりたかったっていうか……」


 夢のような時間でした。実は以前から拓真さんと、こんな時間を過ごしたいと考えていました。今日は勇気を出して話しかけてみて本当に良かったです。私は欲張りになって、彼について知りたかったことをもう一つ聞いてみることにしました。

「拓真さんはスポーツか何かやっているんでしょうか?」

「ボルダリングって知ってる?」

「壁を登る競技でしょうか…」

 私は猫が爪を研ぐようなポーズをして、両手を上下に動かしました。

「そうそう、そんな感じの。大学から始めたんだけどさ、結構面白いよ。その前はサッカーやってたかな」

「握力とかもすごいんですか?」

「見る?」

 私は差し出された彼の手の平に思わず触り、食い入るように見てしまいました。その時、勢いあまって、置いていたシュガーポットを転がしてしまいました。でも拓真さんは笑って許してくれました。

 スポーツが得意なしっかりした体、そして私が作ったコーヒーをこっそり飲んでくれる…。まさに理想の方と巡り合うことができました。



「また来るね」

「お待ちしてます…」

 拓真さんが笑顔で手を振ってお店を出て行かれました。私は胸の横で小さく手を振りました。一度はお見送りしました。でも、あまりの嬉しさについドアを開け、歩いて行く彼の後ろ姿を笑顔で見つめてしまいました。そしてもう一度『お待ちしてます…』と言って同じようにまた手を振ってしまいました。彼はそれに気付いてくれて、大きく手を振り返してくれました。

 私は拓真さんとお別れする時はいつも『ありがとうございました』ではなく『お待ちしてます』と言っています。次もまた来てもらえるように…。私がかけている小さなおまじないです。



 今日は拓真さんといっぱいお話をしてしまいました。飲み干してくれたカップの側面を触るとぬくもりが、まだほんの少し残っていました。私はそれにそっと頬ずりして、カップ一式をナイロン袋に入れて大切に家に持ち帰りました。

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