26 独占
「 むぐっ、… !」
イシュタルにかけていた術を解いて、自身へと戻ったムタが急いで手を伸ばす。しかしその左手は空を掴んだ。
襲い来るであろう痛みに目をきつく閉じたイシュタルだが、突如強引に体を後ろに引かれた。すぐ近くでシンの振り下ろした剣がぴたりと止まり、宙に浮いた体はなにかに優しく包まれた。
ふわりと石鹸の甘い香りがして顔を上げると、そこにはセオの姿があった。
これはイシュタルが中庭へと向かった同時刻。目を覚ましたセオはベッドを出て浴場へと向かっていた。
「おはようございます、セオ様。ご準備出来ております」
セオはオセロットに脱いだ服を渡すと身体を流して湯船に浸かる。暫くしてふと外が騒がしいことに気付いて窓へと顔を向けると、オセロットが不思議そうに目線を追って言った。
「何か、気になる事でもお有りですか?」
「いや、今日はやけに中庭の方が騒がしい気がしてな… “
発生した光がひとつに集まって窓に広がった。すると、そこにはシンとムタにバステトと何故かイシュタルといった不似合いな面々が映し出された。
「何故、イシュタル様があの三人とご一緒に?」
セオの後ろから覗き見たオセロットが、肩を揉みながら呟く。セオも皆目見当がつかず、黙って見つめるがあまり良い事ではないと察した。
「シンはまぁいいとして…あの二人は完全にイシュタルで遊んでいるな。もういいぞ、オセロット」
「わかりました。セオ様、今日は何時もよりあがるのが早いですね。イシュタル様のご様子でも見に行かれるんですか?」
「ああ、少し度が過ぎているようだ。
人間は弱い生き物だから、俺達の掠り傷がアイツには大怪我になるかもしれない。それにあの二人には灸をすえなければな。特に悪知恵をはたらかせたバステトには」
少し怒気を含んで言ったセオに、オセロットが苦笑して棚からバスタオルを取って振り返る。
「バステト様はいつものことじゃないですか…ってあれ、セオ様 ?」
だが、そこにセオの姿はなく、着替え用に置いてあったガウンと共に消えていた。
そこで話は冒頭へと戻る。
「お前達、やけに楽しそうだな。なにをしているんだ」
一瞬でイシュタルの近くに
だが、かなりお怒りであることに間違いはなかった。
「セ、セオ様、申し訳ございません ! 」
慌てて剣を納めるシンを盾にするようにムタとバステトが背に隠れる。セオはなにも答えずに、イシュタルを見て前髪をかき上げた。
かち合ったその瞳は明らかに憤怒の炎に燃えていて、イシュタル同様に三人は恐怖から顔を青ざめ額に脂汗を滲ませている。
「助けてくださって、ありがとうございます。…あ、あの、セオ様、どこに」
背中にまわっていた腕が手を掴んでイシュタルは驚く。無言のまま引っ張られてイシュタルは言うが、こちらを向く気配すらなかった。三人も止める事が出来ずに、というか震えながら見つめていると、扉の前で立ち止まったセオがゆっくりと振り返る。
「ひとつ言っておく。世話を焼くのは良いことだ。だが、イシュタルは俺達とは違って“人間“だということを忘れるな。お前達の度が過ぎた悪ふざけはイシュタルに大怪我を負わせるかもしれない。今回も最悪、俺が来なければ死んでいただろうな。
だから、こうしよう。
イシュタルを連れて出ていったセオがいなくなった部屋で、三人は糸が切れたようにその場に座り込んだ。
「お、俺ちんもう死ぬかと思った、セオ様マジギレだったじゃん」
「ヤヤヤヤバイにゃ、しかもアイツ死んだらセオ様死ぬとか…なんであんな人間一人に…」
「落ち着けバステト、俺達の行いは確かに度が過ぎていた。だからまず、セオ様の怒りを静める為にも謝りに行こう、イシュタルの所へ」
完全に怯えるムタに狼狽するバステト。シンの提案した打開策に二人は頷く事しか出来なかった。
部屋の中へと半ば引こずられるようにして連れてこられたイシュタルは、怯えた顔でセオを見上げる。自室に入るとオセロットがバスタオルを広げて駆け寄って来たが、セオに席をはずすように言われて疾風のごとく部屋を出ていった。
助け船はもうない。イシュタルはソファーに座らされて、正面には乱暴に濡れた頭を無言で拭くセオ。暫くして拭き終わったセオが低い声で言った。
「怪我は、ないのか」
「へっ…! あ、ありません 」
突然話しかけられて驚きから肩を上げたイシュタルにセオは困ったように笑う。
「もう怒ってないからそんなに身構えないでくれ。なに、とって食ったりしないさ。
だがさっきは正直お前にも怒っていた」
「すみません…。勝手に剣術を教わろうとしたからですか」
イシュタルが自信無さげに答えるが、セオは首を横にふった。
「それもあるが、なんせ剣は危ないからな。
でも違う。いや、そもそも怒っているのではないのかもしれない。
きっと、俺は拗ねているんだ。何故俺を頼らない、剣が使えないとでも思っていたのか」
セオは拗ねていると言ったが、それは紛れもない独占欲だ。
「いいえ、そんなことは思ってません!
私は、セオ様に甘えてばかりです。
でも私も、自分を守れるぐらいでいい。力が欲しいんです!だから、バステト様にお願いして…それで、」
「イシュタル、もういい。俺はお前を責めてはいないし、魔力がないのは知っている。無駄だと思って
イシュタル、魔法で一番大切なのはなんだと思う?」
「魔力ではないのですか?」
「それも間違いではない。
だが、一番大切なのは" 創造力 "だ。もしかするとイシュタルは魔法をよく知らないだけで、身近に触れ学べば魔力だって生まれるかもしれん。その可能性は否定できない」
セオはイシュタルに拳を握らせそれを両手で包んだ。
「イシュタル、この手の中には何が見える?創造してみろ」
なにが見えると聞かれても、咄嗟に思い浮かぶものなんてない。正直そう思った。
だが、言われた通り目を閉じて集中すると、セオに握られた手が段々と暖かくなって心地よさを感じる。そしてイシュタルは思い付いたものを脳裏に描いた。
「イシュタル、目を開けてみろ」
目の前に広がる光景に、イシュタルは言葉を失った。そこには自分が創造した沢山の蝶が優雅に部屋の中を舞っていたのだ。
「これは、私が、?」
「そうだ。魔力は俺のだが確かにお前が創造した。やればできるじゃないか、イシュタル」
セオの手が優しく頭を撫でた。
今は魔力がなくとも諦めずに練習すれば、いつか自分にも魔法が使えるかもしれない。
力を失い消えていく蝶を見上げながらイシュタルは思う。
「セオ様、ありがとうございます!私…もっと、もっと勉強していつか魔法を使えるようになります!」
「ああ、応援するよ。ただ頑張りすぎはよくないぞ。
あとそれと今度からは俺もちゃんと頼りにしてくれ。でないとゆっくり風呂にも入れないからな。
そういえばイシュタル、汗をかいただろう?」
最後のセオの一言にイシュタルの背中にぞくりと悪寒が走り、嫌な予感がして首を勢いよくぶんぶんと横に振って答える。
徐に立ち上がったセオはガウンの結び目を、無駄に色っぽくほどきながら手を差し出した。
「遠慮するな。それに俺もゆっくりできなかったし、入り足りないからな。
どれ、一緒に入ってやろう」
「 っ!! 、けけけけ結構ですっ!!」
自然と前が開いたガウンから覗く色気にイシュタルは耐えきれず、まるでのぼせたように顔を赤くして部屋を走り出ていった。途中セバスとすれ違うも、全く気付かず自室へと一目散に駆けていった。
「失礼します、セオ様。先程
なんだか様子がおかしかったような」
入れ代わるようにしてセオの部屋へと入ってきたセバスが不思議そうに言った。
「いや、ただ少し意地悪をしただけだ。心配ないさ」
イシュタルの反応に満足したのか、楽しそうに答えたセオにセバスは深い溜め息をついた。
「あまりおいたが過ぎると…
いつか本当に嫌われても、知りませんよ」
「ははは、それは困ったな 」
セオは気にもしていない言い方で、わざとらしく眉を八の字に寄せて笑った。
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