第76話 王都へ

 バルフ公爵からの伝令が来た翌日。早朝。

 すでに中庭に迎えが来ているらしい。

 自宅の居間で僕は鞄を背負い、家族達と向き合っていた。

 父さんと母さんは心配そうにしていた。

 姉さんは父さんに抱えられている。


「忘れ物はない? 大丈夫?」

「うん。何度も確認したから大丈夫だよ」


 母さんは、はらはらした様子だ。

 いつもはどちらかというと落ちついている人なのに。

 僕だけが離れて生活することは初めてだから、心配なんだろう。

 荷物は多くはない。

 数日分の着替えとお金、それと雷火くらいだ。

 どうせ王都へ行けば生活用品を買い揃える。

 それと食料は僕が用意するわけじゃない。

 迎えの人達が持ってきてくれるらしく、馬も必要ない。

 だから必要最低限の荷物しか持っていない、というわけだ。

 ちなみにお金は僕が貯めたもの。

 二年以上の雷鉱石の加工と冒険者ギルドの依頼達成で稼いだお金だ。

 馬を買ったり、他にも色々と買ったおかげで大分、減ったけどまだ三十万リルムくらいある。


「王都までは馬車では十日近くかかる。

 途中、ちょっとした山岳地帯があり、魔物も出るから注意しなさい。

 シオンならば心配はしなくていいだろうが」

「ありがとう、父さん。姉さんのこと、お願いね」

「……ああ、こっちは心配しなくていい。できるだけ家を離れないようにするからな」


 父さんの頭に浮かんだ光景は何だったのか。

 ゴブリン襲撃の時か、怠惰病発症の時か、それとも魔族襲来の時か。

 そのどれも父さんはその場にはいなかった。イストリアは最終局面で間に合ったけど。

 もしかしたらそれが心に残っているのかもしれない。

 僕がいない分、母さんと姉さんを守れるのは父さんだけだ。

 父さんを信頼しているけど、心配でもある。

 離れがたい。

 そう思ってしまう。

 父さんには領主の仕事があるし、父さんを一人にはできないため母さんは残らないといけない。 当然ながら、姉さんの世話も必要だし、姉さんは長旅に耐えられるような身体じゃない。

 必然、僕一人が王都へ行くことになった。


「シ、オン……」


 姉さんがか細い声で僕を呼んだ。

 僕は父さんに背負われている姉さんの横に移動する。


「姉さん、行ってくるよ」

「……う、ん……」

「渡しておいた『魔法書』は暇な時にでも読んでおいて。

 一応、今後、怠惰病が発症しないとも限らないし、魔力操作は使えた方がいいと思うから。

 それとローズにも教えてあげて。彼女も魔力操作した方がいいかもしれないし」


 僕は稼いだお金で羊皮紙を買って、魔法に関して記述していた。

 魔法の概要、それぞれの魔法の原理や使い方などをしたためている。

 羊皮紙は高価で雷鉱石を加工したお金の多くを消費してしまった。

 けれど必要なことだと思い、こつこつと書き溜めておいた。

 どうやらそれは役に立ちそうだった。


「う、ん、わ、かった……」


 姉さんはそれ以外、何も言わず、ただ僕を見つめた。

 そんな顔をしないで欲しい。

 そんな請うような顔をされたら、寂しくてしょうがないって顔をされたら、決意が揺らぐ。

 僕だって姉さんと一緒にいたい。

 家で、楽しく暮らしたい。

 でもそんなことはもうできない。

 僕はルグレなんだ。

 魔法を使えて、怠惰病を治療できる唯一の存在。

 僕が王都へ行かないと困る人達は大勢いる。

 だから行く。

 僕は姉さんの頬に触れた。

 すると姉さんはくすぐったそうに目を細めて、そして僕の手に自分の手を重ねた。

 姉さんはしばらく僕の体温を確かめるように目を瞑っていた。

 けれど長いまつ毛が微かに触れ、それをきっかけに涙が零れた。


「寂しい。シオンが、いないと、寂しいわ……ご、ごめんなさい。

 我慢、しようと……思って、たんだけど……」

「…………ごめんね、姉さん」


 胸が痛い。大切な人が泣いている。

 その涙を止められるのは僕だけなのに、僕はそれをできない。

 もうすべてを投げ出して姉さんの傍にいられたら。

 そんな風に考えてしまう。

 でもダメなんだ。

 人は一人じゃ生きられない。

 一人きりでは生きていけない。

 社会に携わり生きて、人と関わるのならば、やらなければならないことがある。

 僕達が身勝手に、自分達のことだけを考えて生きれば、不幸になるのは自分たち自身だ。 

 他人を見捨てて生きれば、必ず後悔する。

 僕も姉さんも、家族も、みんな。

 だから僕は留まれない。

 僕は姉さんの涙を拭った。

 すると姉さんは、はにかんだように笑った。


「ご、めんね、シオン。あたしは、大丈夫……大丈夫、だから。

 早く治して、あたしも、王都へ、行く、から」


 リハビリは簡単ではないはず。

 もしかしたら数年で済まないかもしれない。

 でも僕はそんなことを口に出さない。


「うん。待ってるよ」


 そう言って、姉さんの頭を撫でた。

 兄と妹みたいな関係だなと思った。

 でも時として姉と弟になることもある。

 僕達はそうやって生きてきた。

 支え合い、認め合い、縋り合い、そして生きてきたんだ。

 だからこれが僕達にとって当たり前だった。

 僕達は何を言うでもなく、自然に玄関から外に出た。

 見慣れた中庭が広がる――はずだった。

 僕は思わず足を止めて、目の前の光景に見入った。


「シオン・オーンスタイン様に敬礼!」

「「「「「はっ!」」」」」


 大気を震わせるほどの声。

 それが一斉に響いた。

 青々とした中庭は鈍色で埋められていた。

 百、いや数百の兵士達が整列しており、中央には馬車が数台並んでいた。

 正門奥には更に兵士達が並んでいる。

 熱気がする。

 彼等の顔は真剣で、その視線は僕へと向けられていた。

 なんだこれは?

 そう思い、僕はすでに出迎えである兵士達を見ていたであろう父さんに向き直った。

 父さんは肩を竦めるだけで、答えてくれない。

 すると先頭にいた強面の兵士が一歩前に出る。

 鎧がやや豪華だ。彼がこの部隊の隊長だろうか。


「怠惰病治療の最功労者であり、イストリア襲撃に際して、魔族を迎撃したシオン・オーンスタイン様の護衛をさせていただきます、護衛部隊長のゴート・ファルスと申します!

 部隊はシオン・オーンスタイン様の功績、行動に感銘を受け、部隊に自薦した兵で構成されております!

 当然ながら私も、先の戦いを拝見しておりました。見事な戦いぶりでした!

 あなたのような素晴らしい方の護衛ができるとは光栄です!」


 説明口調過ぎる。

 この人、この文言を事前に考えていたんじゃないだろうか。


「え、あ、ああ、ど、どうもありがとうございます」


 僕はまだ現実を受け入れられていない。

 どうしようかと思っていたが、隊の先頭近くに見慣れた顔が入った。

 ラフィーナだ。 

 彼女は笑いをこらえながら敬礼をしたままだった。

 あ、あいつぅ! 知ってたんだな!

 ラフィーナは僕の視線に気づくと、小さく舌を出した。


「道中、如何な障害があろうとも、我々がすべて屠って見せましょう!

 シオン・オーンスタイン様は安心して、我々にお任せください!」

「そ、それは心強いですね。お、おねがいします」

「この命に代えても! 敬礼!」

「「「「「はっ!」」」」」


 これは何かのコントかな?

 そう思いたいところだったけど、そうもいかなかった。

 隊長の挨拶を終え、今度はラフィーナが敬礼をし、僕の目の前までやってきた。


「では、こちらへ。馬車にお乗りください。シオン・オーンスタイン『様』」


 様の部分を強調されてしまう。 

 僕は後で覚えてろよという視線を彼女に向ける。

 しかしラフィーナは悪戯じみた笑いを浮かべるだけだった。

 僕は振り返り、最後の挨拶を家族にした。


「じゃあ、行ってくるね」

「ああ、気を付けてな。

 シオン、どれほど離れていても、私達はいつでもおまえを想っているからな」

「シオンちゃん、お手紙書くのよぉ。お母さん達も書くからね!

 ま、毎日でもいいから! 寝る時は温かくするのよ!」


 父さんと母さんは精一杯の笑顔を見せてくれた。

 しかし姉さんだけは焦っている様子だった。

 彼女の視線はなぜかラフィーナに向けられている。


「あ、あた、し、ぜ、絶対、治して、い、行くから」


 その必死な形相に僕は反射的に頷く。


「わ、わかった。待ってるからね」

「そ、それと、こ、これ」


 姉さんの手に握られていたものに、僕は視線を落とす。


「首飾り?」

「う、うん……今日、十三歳の誕生日でしょ?」

「ああ、そういえばそうだった。忘れてたよ。そっか、もう十三歳になるんだ」


 精神年齢的には四十を超えてるからなぁ。

 それくらいになると自分の誕生日に対しての興味って薄れるものだし。

 姉さんはそんな僕の心情をわかっていたらしく、小さく笑うと話を続けた。


「遠く、離れても、さ、寂しく、ないように……。

 あ、あたし達の、こと、思い出せる、ように、さ、三人で、選んだの」


 僕は姉さんから渡された首飾りを眺めた。

 綺麗な紅い宝石がはめ込まれたネックレスだ。

 ルビーのように見えるけど、この世界の宝石には詳しくないのでわからない。

 小ぶりなので首から下げても邪魔にはならないだろう。

 僕は首飾りを身に着けた。

 とても軽い。けれど三人の想いが伝わってくる。

 いつも、みんな僕のことを考えてくれている。

 わがままを言って、迷惑をかけて、それでも僕を愛してくれた。

 父さんは厳しかった。けれどいつも僕達を導いて、守ってくれた。

 母さんは優しく、穏やかで、たまに怒ることもあるけれど、僕や姉さんのことを常に考えてくれていた。

 姉さんはいつも僕のことを助けてくれた。

 味方になってくれた。

 優しくしてくれた。

 そしていつもそばにいてくれた。

 当たり前の存在だった彼女と、離れるなんて思いもしなかった。

 ずっと我慢していた。

 理性を働かせて、自分に言い聞かせてきた。

 でも本当は寂しいんだ。

 みんなと、姉さんと別れたくないんだ。

 大人の自分が、僕にやるべきことを教えてくる。 

 わかっている。けれど感情を抑制するにも限界がある。

 僕はみんなと一緒にいたい。

 けれどそんなことを言うつもりはない。

 言ったら、もう進めなくなる。

 僕は泣きそうになる自分を叱咤して、家族に笑顔を向けた。


「ありがとう。父さん、母さん、姉さん。これ大事にするよ。

 それじゃ…………行ってくるね」 

「う、ん。い、行ってらっしゃい、シオン、気を付け、てね。

 い、いつでも帰ってきていいから! す、すぐにでもいいんだからね!」

「あはは、うん。わかった。必ず帰ってくるよ。やるべきことを終えたらね」


 僕は後ろ髪引かれる思いを振り切り、姉さん達に背を向けた。

 ラフィーナに導かれ馬車に乗る。

 貴族が乗りそうなしっかりとした馬車だ。

 ただかなり狭い。

 三人入れば隙間がないくらいだ。

 どうやら道中はラフィーナも同乗するらしく、僕の横に座った。


「私はシオンの護衛らしい。先の功績を認められてな第七十五親衛騎士隊は卒業だ。

 ただ、隊長から兵卒に逆戻りだがな」

「そっか。おめでとう」

「私としては別にどうでもいいが。シオンの護衛ができるのは嬉しかったな」


 真っ直ぐに見つめられると何だか照れてしまった。

 そんな風に思ってくれる友人がいるのは心強い。

 正直に言えば、心細かった。

 知り合いもいない新天地に行くのは抵抗があった。

 でも、ラフィーナがいるなら安心かな。

 馬車が進む。

 僕は振り返り、父さん、母さん、姉さんに向かって手を振った。

 遠く、見えなくなるまで振り続けた。

 視界に入らなくなると力を失った手はゆっくりと下ろされた。

 また戻ってくるから。

 そう思い、振り切るように僕は正面に向き直る。

 向かうは王都。

 そこで何が待ち受けているのか、この時の僕は何も知らなかった。

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