第56話 希望への架け橋はトラウト?

 今日はコールとの診察は休日。

 一週間に一度しか、あの診療所にいる軽度の怠惰病患者の診察ができないからだ。

 軽度の患者がアルフォンス先生の診療所に入院してくれれば多少はやりようがあるんだけど。

 たまたまか、手回ししたのか、あの診療所にしか軽度の患者はいない。

 そのため一週間に一度しか、試すことができない。

 もちろん無茶な実験はできず、あくまで間違いなく問題ないという程度の内容だ。

 患者をモルモットにするような実験はできない。

 精々が少量の魔力を接触させる程度で、ともすれば触診のような軽い診断に近い手法だ。

 反応が見えるため、非常に貴重な実験ということになる。

 いつかは患者の家族なりに治療の実験をさせて貰うように頼むかもしれないけど、それは今ではない。


 とにかくまずは魔物での実験で、ある程度の結果を出す必要がある。

 そうすれば軽度の患者に対して、有効で問題ないアプローチ方法が模索できるかもしれない。

 贅沢を言えば、魔力を持つ健常者に人体実験の協力を得たい。

 軽度の患者でも言葉で状態を説明できないし、即座に反応しない。

 そのため危険性はやはり高いし、正確な反応がわからない。

 健常者であればその貴重な説明を自らできるし、危険だと判断すればすぐに中断できる。

 しかしそんな奇特で貴重な魔力持ちの人間がいるかと言われれば……。

 誰かの顔が浮かび、僕は頭を振った。

 いつかは通らないといけない道なのはわかっているけれど。

 やはり憚られる。

 自分の身体で実験していい、なんて簡単に言える人がいるだろうか。

 それも……他人のために。


 今、僕は姉さんの部屋にいる。

 彼女の手を握り、時には身体を動かしてあげた。

 僕の仕事はそれくらいで、それ以外は母さんがすることになっている。

 家族とはいえ、女の子だから男の僕に任せない方がいい、ということらしい。

 言わずともわかる部分なので、僕から何か言ったことはない。

 反応を期待するように姉さんの手をさする。

 微塵も動かない姉の姿を見るとやりきれない気持ちになった。 

 コンコンとノック音が聞こえる。

 返事をすると、入ってきたのはレッド、マロン、ローズの三人だった。


「みんな、来てくれたんだ」

「ええ。もちろんですわ」

「遠いのに……ありがとう」

「へっ、礼なんていいって。友達なんだし当たり前だろ。

 それに俺達は馬車の荷台に乗ってきただけだしな」


 何気ない一言が嬉しかった。

 助けてくれる人がいる。

 それだけでこれほどに力になるものなんだ。


「あ、あのね、シオンちゃん。頼まれていたもの、持ってきたよ」


 マロンがおずおずと差し出してきたのは樽だった。 

 中には水と魚――エッテントラウトが何匹か入っていた。

 レッドとローズも廊下に出て何個かの樽を運んでくれた。

 樽といっても小ぶりなので、中にはトラウトが三匹程度しか入っていない。


「悪いな。あんまり持ってこれなくて」

「ううん。十分だよ。ありがとね」

「いいさ。でもよ、シオンはトラウト好きなんだな。まあそれなりに美味くはあるけどさ」

「ま、まあね。色々と、使おうかと思って」


 何に使うのかを濁しながら、僕は誤魔化すように笑った。

 不意にローズを見た。

 彼女に言わないといけない。

 それは必要不可欠なことなのに、言葉が出ない。

 ローズは『魔力を持っている上に怠惰病に罹っていない数少ない人間』だ。

 彼女ならば魔力反応の実験に適している。

 その上、彼女を調べればなぜ彼女は無事だったのかもわかるかもしれない。

 しかし僕はまだ逡巡している。

 人体実験の被験体になってくれなんて、簡単には言えなかった。


「どうかしましたの? 私の顔に何かついてますか?」

「い、いや、何でもないよ」

「そう、ですか?」


 結局、僕は何も言えなかった。

 しばらく三人と談笑して、後にみんな帰っていった。

 残されたのはエッテントラウトと僕の後悔だけだ。


「はぁ……言わないとな……」


 ローズが協力してくれるしてくれないに限らず、言わないといけない。

 ぐだぐだとしていても進捗はないのだから。

 もう帰ってしまったローズのことを考えても仕方がない。

 僕は持ってきてもらったトラウトを凝視する。

 僕が知っている動物の中で、唯一魔力を持った魚だ。

 魔物、人間以外で魔力を持っているのはエッテントラウトだけだ。

 今まで、トラウトの魔力反応を見たことはなかった。

 魔力の存在を見つけたのはトラウトのおかげだけど、それ以降はあまり気にしてなかったし。

 でも今は魔力の反応を色々な条件で見たい。

 トラウトには悪いけど実験させてもらう。

 魔物と同じ反応になりそうだけど。

 先入観で何もしないことが最も危険だ。

 ダメで元々だしね。

 僕はトラウトを手にして魔力を流す。


「10、15、20」


 数字を思わず口にした。

 口に出した方が自覚しやすいし、このままでいいだろう。

 僕は数字に合わせて魔力量を増加させていく。


「25、30、35、40、45」


 そのまま手元が発光し続ける。

 45まで来るとかなりの光量だ。 

 しかし弱い魔物はすでに炭化している魔力量だけど、トラウトはならないようだ。

 これには僕も驚いた。

 それに魔物相手に魔力注力をした場合、少量でも煙が出て徐々に炭化し、適量に至ると一気に崩壊する。

 しかしさすがにそろそろ限界だろう。


「50」


 炭化しない。


 まだいけるのか。


「55、60、65、70、75」


 嘘だろ。

 どこまで行けるんだ。

 ウォーコボルトでさえ50で炭化したのに。

 トラウトの身体には変化がない。

 僕の手が温かくなっているくらいだ。


「80、85」


 まだ。

 まだ変化はない。


「90」


 僕が集魔できる最大値。

 結果――トラウトはピチピチと暴れているが健康そのものだった。

 僕は水にトラウトを放す。

 放心状態だった。

 予想もしていなかった。

 魔物相手ならば『浄化』できたのにトラウト相手ではできなかった。

 これはどういうことなんだ?


「……もしかして魔物は別? 魔物だから浄化できるけど、トラウトは浄化できない……?」


 これは大きな成果だった。

 つまり魔物とトラウトで、全く別の反応が出るということ。

 その根拠があるのなら、怠惰病の研究はさらに進む。

 人間は、魔物と同じ反応なのか、トラウトと同じ反応なのか、あるいはまた別の反応なのか。

 それがわかれば人体実験に対してのアプローチが変わる。

 もし魔物と同じように浄化の前兆があれば、かなり危険だ。

 しかしトラウトと同じように少量の魔力供給をしても、表面上の炭化――煙が出る状態――がなければ、多くの魔力を供給しても人体には影響がないかもしれない。

 まだ確実性はないが、問題なければ今よりも積極的な方法が模索できる。

 結局、調べてもどこかの段階で人相手に実験をする必要がある。

 その時点で、条件は別としても共通点がある上で問題ないという前例があれば、心づもりも違うし、不透明な部分が少なくなる。

 情報があればあるほど実験は成功し、治療することもできるかもしれない。 


 しかしまだ一例だけ。

 これからしばらく、別の個体でも試して結果を記録しよう。

 もしもこの結果が限りなく100%に近ければ近いほど、今後の研究の安全性は上がる。

 人間とトラウトは違う。

 しかし魔物が別分類で、人間とトラウトが同分類であるかもしれないのだ。

 その期待を胸に、僕はトラウトへ魔力を流す実験を続けた。

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